大河ドラマ『光る君へ』第29回~「母として」
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回はサブタイトルは「母として」でありますが、私は子役たちの頑張りに注目していました。道長の嫡妻・源倫子の嫡男の田鶴を演じる三浦綺羅くんと、妾・源明子の嫡男の巌を演じる渡邉斗翔くん二人の童舞の競演は、きらびやかな装束も相まって、それは美しくて見事なものでした。二人ともこのシーンのために、舞の稽古をいっぱい重ねたでしょうね。特に帝や公卿たちを感嘆させる巌の役の渡邉くんは、どれだけ稽古を積んだのかと思ってしまいます。また伊周の嫡男・松を演じる小野桜介くんは、舞は少しだったけど唄も入っていました。3人とも11~12歳の少年たちです。ふだんの生活ではまずすることがないであろう舞をよく頑張ったと思います。ちなみに三浦綺羅くん、どこかで名前を聞いたことがあるなと思ったら、昨年の『どうする家康』で、織田信長の少年時代を演じていました。そして幼児組では、まひろの子・賢子を演じる永井花奈ちゃんと帝の子の敦康親王を演じる髙橋誠くんの、二人ともたぶん意味をわかってやっていないであろう演技に驚きました。花奈ちゃんが、まひろの読む漢詩に興味がなくて動き回ったり、道長の使者の百舌彦が来ているときに大人の間を走り回ったりするのは、「さあ、走っておいで~」とか言われていたのでしょうか。あるいは誠くんが彰子の膝にちょこんと座ったときは、何かの合図で「あのお姉ちゃんのお膝に座っておいで」とか言われていたのでしょうか。この幼子たちにどうやって演技させていたのか、私はドラマの内容よりもそちらが気になっていました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長保3年(1001)正月、天皇に屠蘇などの薬を献じて一年の無病息災を祝う儀式が行われ、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)はその行事において大層名誉な役割を担い、上機嫌で妾のまひろ(吉高由里子さん)のところに帰ってきました。宣孝は帝(一条天皇)の様子など宮中でのことを話してくれるのですが、娘の賢子(永井花奈ちゃん)の実父である左大臣・道長の話題になると、まひろも受け止め方に少し戸惑う部分もありました。そして宮中行事の後、除目の前に各国の国司たちの働きを評定する受領功過定が行われるのですが、まひろの父・藤原為時は越前での働きが足りないと評価され、次の任官はならず再び無職となりました。そんな折に他界した中宮・定子に仕えていたききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が喪に服したままの姿でまひろの家を訪ねてきました。ききょうはあれから定子の遺した2人の内親王を世話しながら、定子がいた頃のキラキラと輝いていた日々が後世に語り継がれるよう、草子を進めていました。まひろはそれを興味深く読んでいましたが、ただその草子の中には定子の影の部分がないことを少し物足りなく思いました。まひろが正直に感想を伝えると、ききょうは定子に影などないときっぱりと言い、影があったとしても書いて残す気はないと強く言いました。さらにききょうは、定子を追いやって命を奪うこととなった左大臣・藤原道長を許さないとまで言い、ききょうのあまりに激しい道長への憎悪に、夫・宣孝を通じて道長から恩恵を受けているまひろは戸惑いを隠せませんでした。そして夜遅くに宣孝が帰宅し、宣孝から父・為時の越前での次の任官がなかったことを聞かされ、まひろも一瞬はこの先どうなるのかと思いました。でも為時と遠い親戚で古くから交流のある宣孝は、為時の次の任官が決まるまで自分がこの家の面倒をみると言ってくれました。まひろが宣孝にしみじみと礼を言うと宣孝は「強気でおれ!」と励ましてくれ、一時は関係のこじれた宣孝でした、今は宣孝の愛情と力を信じることができて、まひろは安心して賢子と日々を過ごせると思っていました。しかし翌朝、宣孝は国司を務める山城国府に出かけたままそれきりまひろの元に戻ることはなく、まひろは後日、宣孝の北の方(嫡妻)の使者を迎えました。使者によると宣孝は4月25日に急病で他界、北の方が弔いの儀の済ませたとのことで、突然のことにまひろはただ茫然とするばかりでした。ただまひろに仕える者たちにとっては、家の主・為時は無官、殿・宣孝は他界でこのままこの家で仕えていてもいいのかという問題であり、賢子の乳母のあさは早々に暇をとって出ていってしまいました。そんな中、まひろの身を案じた道長は従者の百舌彦(本多力さん)をまひろの家に遣わし、父・為時を自分の嫡男・田鶴の漢文の師に迎えると伝えました。左大臣家のお抱えの指南役で好条件、という願ってもない話でした。でも為時はそれを辞退してしまい、自分の信念の為に暮らしを考えない為時に、百舌彦とまひろは半分怒り半分呆れてしまいました。さて道長の長女・藤原彰子(見上愛さん)は帝に入内して中宮となったものの、帝が彰子のところに来ることはほとんどなく、寂しい生活をしていました。彰子を案じる母の源倫子(黒木華さん)は彰子のいる藤壺が華やぐよう道具を選んで毎日運び、彰子の様子を見守っていました。夫・道長から藤壺に通い過ぎではと注意されると、彰子の在所が華やぐように知恵を絞っているのは自分だと倫子は反論、道長もそれを認めて謝りました。(倫子さま、自身も気が強いけど実家も強いから、道長に反論できるのですね)またこの頃、帝の母で女院の藤原詮子は病が重くなり、先の事を考えた詮子は弟の道長に、亡き定子の忘れ形見の敦康親王を中宮・彰子に養育させて人質にするように言い、道長は最初はそれを拒みましたが、姉・詮子の病を押しての考えを受け入れ、帝にそれを認めさせました。間もなく敦康親王は道長の後見を受けて彰子と藤壺で暮らし始めたのですが、彰子と会ったその日から彰子になついて皆も内心は驚いていました。(彰子は引っ込み思案だけど優しい子で、長女だから小さい弟妹たちに慣れているというのもあるでしょうね)家の再興を強く願う藤原伊周(三浦翔平さん)は嫡男の松の舞が思うように上達しないことに苛立ち、松に厳しく当たっていました。(伊周は自分が学問も芸事も武芸もなんでも人並以上にできた人だから、我が子のできが悪いと余計に苛立つでしょうね。)藤原隆家(竜星涼さん)はそんな兄を見て、気持ちはわかるが左大臣の権勢はもはや揺るがない、内裏に官職を得るまではおとなしくしているほうがいいと意見しますが、伊周は自分の考えを変える気はありませんでした。そこに清少納言(ききょう)が、伊周に頼みがあるとやってきました。ききょうは書の束を伊周に差し出し、亡き中宮・定子が輝いていたあの時代のことを書き連ねたこれを宮中に広めて欲しいと願い出ました。ききょうの文才を認める伊周は、自分がなんとかすると約束しました。10月9日、女院・詮子の40歳を祝う四十の賀が左大臣・道長の主催により華やかに行われ、その折に道長の嫡妻・倫子の子の田鶴(三浦綺羅くん)と、妾の源明子の子の巌(渡邉斗翔くん)が童舞を披露することになりました。(二人とも化粧をして衣装を整えると、綺麗になりますね。)先に舞った田鶴は緊張しながらもなんとか無難に演目をこなしました。でも後から待った巌の舞はそれは見事なもので、公卿たちの評判も上々で、母の明子も自信をもって我が子を見守っていました。巌の舞に感銘を受けた帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は藤原顕光を呼びよせて言伝し、顕光の口から巌の舞の師に従五位下を授けると発表がありました。巌の舞の師は思いもよらない帝からの下賜にただただ恐縮していました。ところがその直後、女院・藤原詮子(吉田羊さん)の容態が急変しました。母を案じて介抱しようとする帝を、詮子は苦しみあえぎながら帝が穢れるからと傍に寄せないようにしていました。詮子は病が重くなる一方なのに薬湯を拒否し続け、己の死期が近いことを悟った時に弟の藤原道長(柄本佑さん)に、伊周の位を元に戻すよう頼みました。それは伊周の怨念が我が子の帝と孫の敦康親王に及ばないように、という詮子の願いからでした。ところがその伊周の怨念はすべて道長に向かっていて、この頃の伊周は実は陰で道長を連日のように呪詛し続けていたのでした。詮子の願いで位が戻り、再び帝の御前に出ることができるようになった伊周は早速、ききょうが書き留めたものを製本して帝に差し出しました。亡き最愛の中宮・定子の思い出がつまった草子だと聞いた帝はそれだけで胸がいっぱいになり、草子を愛おしそうに手にとっていました。そしてそれは伊周の狙い通りの展開でした。日々、娘の賢子の成長を見守っているまひろは、賢子は漢文にはほとんど興味を示さないのに、かぐや姫の物語は興味を持って聞いていたことに気が付きました。そこでまひろは、今度は何か物語を書いてみようと思い立ち筆をとりました。この家で長く仕え、まひろを子供のころから見ているいと(信川清順さん)は、まひろを静かに見守っていました。