人類移動経路
ミトコンドリアDNAは、母親からのみ伝えられY染色体は、父親からのみ伝えられるといいます。この二種の遺伝子は、混ざり合うことなく次世代へと変化することなく受け継がれるため私たちの祖先を遡り、最初の哺乳類、それ以前のものにまで辿っていけるのだといいます。このようにして一つは父方、一つは母方の遺伝子の二つの系統樹をつくることができます。すると、この男系、女系の遺伝子系統樹は、それぞれ、ただ一つの系統がアフリカからやってきたことを示しているといいます。私たちにつながる出アフリカは、たった一度しか成功しなかったということです。その前に、アフリカを出て行った先人類たちは、死に絶えてしまったといわれています。 男系、女系とも、ただ一つの共通の遺伝子上の祖先をもち、それぞれ世界すべての父となり、母となったのだといいます。 女系のミトコンドリアから調べると、この成功した南ルートの少数をイヴ一族としています。イヴはやがて二人の娘からそれぞれ女系一族をつくりました。一つはM、もう一つをN、Nは、ヨーロッパ人の唯一の母になりました。Mはアジア人のなかだけにみられます。南アラビアとパルチスタン沿岸にMとNの根源と早期の分枝がみつかっていてただ一度の出アフリカ移動が、まず南アジアへ進んで行ったことの証になっています。イヴ一族は、インド洋沿岸を周って東南アジアやオーストラリアへ突き進んでいきました。彼らはヨーロッパが殖民されるよりずっと以前の6万年以上前にはオーストラリアへ到着していました。オーストラリアの母系各族とマレー半島の先住民の遺伝子を調べるとMとNのDNAに属しているといいます。Nの子孫は温暖期に入った5万1000年以上前、インド湾岸からザグロス山脈の中腹に沿って中央アジア~肥沃な三日月地帯~トルコを通って、最初の南からの最古のヨーロッパ進出を行いました。一方、イブの連れ合い男系の遺伝子標識名をM168と呼びます。ユーラシアのアダム、今日生きているすべての非アフリカ系男性の父になります。M168の集団の一部がユーラシア南部からオーストラリアへの旅に出発した後に、まだアフリカに留まっていた集団の中に、45,000年前頃、M89という遺伝子の変異を持つ男系が出現します。このM89の子孫が現生人類で初めて中東方面に入植した痕跡を残します。東へと移動を始めたM89の系統に、40,000年前ごろ、イランか中央アジア南部の平原の辺りで、もうひとつの遺伝子マーカーが出現し、M9と名づけられ、このM9の子孫は、以後3万年間に亘って地球の果てまでその領域を拡大することになる現生人類の主要な系統です。このM9というマーカーを持っている人々をユーラシア族と呼びます。このユーラシア族が、さらに東へ、内陸部に進もうとしたとき、これまでの移動で初めての、最も深刻な障壁に遭遇します。それは中央アジア南部の山岳地帯でした。天山山脈やヒマラヤ山脈は標高7千メートルにもなって立ちはだかり、彼らは二つの集団に分かれるはめになったようです。 タジキスタンあたりで南に向かったM20マーカーの一族と(インド定住派) ヒンズークシ山脈の北へと移動し、中央アジアへ向かった集団です。 35,000年前頃になると中央アジアで、ユーラシア族にもう一つの突然変異が起こりました。 M45の出現です。ポーロと名付けられた、このM45こそ東と西にT字型に分かれて、広大なステップを移動した人々です。東はシベリアのバイカル湖、そしてずっと後にはアメリカまで、西はヨーロッパへ。男系M45の連れ合いはヨーロッパの母系Nの子孫エウロペの五番目の娘U5。彼らは、パレオ・ユーロペオイド的(白人)だったと考えられます。彼らは、新石器時代の後期、BC3000年紀の初めにかけて、南シベリアのイェニセイ河上流とアルタイ地方に、アフナシェバ文化を起こし、西シベリアのソンスク地方にBC1750年~1200年の間分布したアンドロノヴォ文化という青銅文化につながり、さらにBC2000年紀末南シベリアのカラスク文化 と中央アジア北部のダザバギャプ文化につながります。 カラスク文化は、殷の青銅文化と同様に、西アジアに発達した金属文化の東方流入によって発達したといわれます。M45が派生したと同じ頃、テンシャン山脈の北側に沿って移動しジュンガル盆地を利用して現在の中国にたどり着いたグループがいました。大半のユーラシア族が侵入をあきらめたルートです。このジュンガル盆地は、後にジンギス・カンが中央アジアを侵略するのに利用したルートで、この盆地は、中国やモンゴルから中央アジアへの抜け道になっているのでしょう。このグループは、西アジアとヨーロッパには全く見られないY染色体マーカーM175の子孫を残しました。M175の系統は、その後ヒンズークシ山脈とヒマラヤ山脈より東に住むアジア人の大多数を占めるほど大いに繁栄し、東アジア族と定義されます。しかもこのM175の分岐時期、35,000年前という時期は、まさに日本列島に【最初の日本人】が出現した時期と一致しているのです。日本列島には、旧石器文化の3万年前から1万4千年前頃に、鋭い黒曜石やサヌカイトの刃物に柄をつけた文化的な工具をもって彼らが渡来しています。この時代の石器はヨーロッパの旧石器文化と共通であって隣国の中国大陸の文化とは似てないといいます。ヨーロッパからやってきて日本列島で誕生した旧石器文化と考えられています