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※トップに書いたように、昨年9月に一旦リセットして個人的なことは書かないようにしてきましたが、また少しずつ思いつくまま書いていきたいと思います。(mixiのコピーです)
************************ 「心配する」ということ 様々な問題が起こった時、人は誰でも心配すると思います。 それは、自分自身や子どもの体調のことであったり経済的な問題であったり将来への不安であったり。 私も昔はそれなりに色々心配をしてたとは思うのですが、いつからかほとんど気にならなくなりました。 なぜなのか。 それは宗教もひとつのきっかけではありました。 (今は完全にそこからは抜けています) でもそれ以上に、今まで私の人生でおそらく普通の人たちが経験しないようなことを経験しながら、何とかなってきたというのが大きいと思います。 人それぞれその人の学びはあります。 親子といえども他の人が解決できる問題でもないと私は思います。 もちろん突き放すのではなく、寄り添いながらその人の学びを応援する? そんな感じかもしれません。 なにより、必ず乗り越えられると信じる。 (心配しなさすぎて、息子から「どんだけポジティブなんや~」と言われましたが) そしてやっぱり 「すべて意味がある」 「ピンチはチャンス」 と思います。 何か困った状況になった時、それは自分にとってどういう意味があるんだろう、と考えて少し見直してみる、ということを心がけてきました。 人のせいにはしない、と。 もちろんなかなかできないこともあるし、失敗も数多くあります。 その過程で、自分を責めたこともあります。 そうしながら今は自分がやってきたことの大きな意味を感じています。 「~ねばならない」などの常識を取っ払って、自分を信じてきたことで見えてきた「今」があります。 私が経験してきたことはまあ普通ではありませんから、感覚的にも普通ではないと思います。 ですから、それが正しいと言うつもりもありませんし、そんな風に感じられないと思われるのを承知で書いています。 あくまでも私個人の考えです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年12月11日 23時41分07秒
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