レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin):ハード・ロックの奇蹟/6月1日(水)
大阪ミナミのロック専門のレコード店に、1枚の生写真が張ってあった。あるロック・スターが来店時に、笑顔で微笑んでいた。あの伝説のバンド「レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)」のリード・ギタリスト、ジミー・ペイジだった。 外国人アーティストのライブは数多く観てきたと自認している僕だが、今でも全盛期の生の演奏が聴けなかったことを、今でも一番後悔しているのは、このレッド・ツェッペリンだ(写真左)。解散してもう20年以上、それでも今なおロックファンの人気は衰えない。 1968年のデビュー。ジミー・ペイジ(ギター)、ロバート・プラント(ボーカル)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース&キーボード)、ジョン・ボンナム(ドラムス)の4人が、ハード・ロックの頂点を極めたバンド。「グッドタイムス・バッドタイムス」「胸いっぱいの愛を」「ハートブレイカー」「天国への階段」など素晴らしい曲を数多く発表した。 メンバーの1人、ドラムスのボンナムが、活動停止直後の1880年9月に事故死(死因は急性アルコール中毒とも薬物中毒とも?)したため、4人でのツェッペリンはもう、観たくても、永遠に観ることはできない。残る3人のメンバーは、平均年齢58歳となった今も、それぞれ音楽活動を続けているが、公の場で3人で演奏することはほとんどない。 70年代、僕もコンサートを観る機会はいくらでもあった。大阪にも、彼らは何度もやって来た。初来日の際、ホールの終演時間を無視して延々と弾き続けた、あの伝説の「大阪・フェスティバルホール公演」だって、観ることは可能だったのに…、その機会を逸してしまった(写真右=ツェッペリンのアルバムは数あれど、僕が一番完成度が高いと思うのはこのセカンド)。 僕は、この日記でも何度も書いてきているように、アコースティック・ギターバンドをやっていた。だから、エレクトリックというよりも、生ギターの音志向だった。だから当初は、ハードなエレキ・ギターをフィーチャーしたツェッペリンに、のめり込むことはなかった(コピーしようにも、僕らには無理だったし、音楽の方向性も違っていると思ったから…)。 しかし、彼らの2枚目のアルバム「Led Zeppelin2」(69年)の完成度の高さ(飛び抜けた曲もあるが、駄作が1曲もない)を知って、僕は驚愕した。順序は逆になったが、その後デビュー・アルバム「Led Zeppelin」を聴いた時も、A面2曲目のアコースティック・ナンバー、「Babe, I'm Gonna Leaving You」の素晴らしさに言葉を失った。 アコースティック・ギターの表現の可能性を、ここまで広げられるとは…。ペイジの奏法の凄さには、ただ、ただ脱帽するしかなかった。僕らは早速、この「Babe, I'm Gonna…」をレパートリーに取り入れた。その後71年にリリースされた「Led Zeppelin 4」は、あのロックの歴史に必ずや残る名曲「天国への階段(Stairway To Heaven)」を収めた素晴らしいアルバム。これを聴いてますます、ツェッペリンの素晴らしさに魅入られた。 その後、数々のアルバムを発表し、バンドとしては80年まで活動するが、僕は、やはり2~4枚目のアルバムを発表した頃が彼らにとって、音楽的には頂点だったような気がする(写真左=アルバム「Led Zeppelin4」。ジャケットにはバンド名がまったく記されておらず、当時話題になった)。 ジョン・ボンナム亡き後も、ツェッペリンの3人は何度か一緒にステージに立った。ジミーとロバートは、2人だけのユニットで活動を続け、7年ほど前には2人で来日公演をした。 しかし、その2人でのプロジェクトは、中近東の音楽に興味を持ったジミーの影響を色濃く受けた音づくりで、昔のツェッペリン的な音楽を期待したファンの気持ちは、果たしてどうだったか…。ステージではもちろんツェッペリン時代の曲も少し演奏したのだけれど、少なくとも僕には期待外れだった。 ジミーとロバート、ジョン・ポールの3人がステージで集まるのは、最近では何か大きなイベントの時だけ。でも、「僕らは決して一緒に演奏するのが嫌な訳ではない」とジミーやロバートは語る。ならば、墓場で眠るボンナムは無理にしても、残る3人でのツェッペリン再結成を僕は心から待ち望む。できれば、もう一度3人で日本へやって来てほしい。ツェッペリンと、あとキャロル・キングを生で見たら、外国人アーティストに関しては、僕はもう思い残すことはない。