銀座・名バーテンダー物語/9月27日(日)
先日、あるBarのマスターから、「昔の素晴らしいバーテンダーがたくさん登場するビデオがあるんですよ。ダビングしたので、差し上げます」と1枚の貴重なDVDをいただきました。 早速、家に帰って観ました。食い入るように見つめました。タイトルは「名バーテンダー物語--東京・銀座」=写真右。ニッカ・ウイスキーが電通と毎日映画社に依頼して制作した約1時間ほどの、かなり昔の映像です。テレビで放映されたのかどうかや、どのような形で販促に使ったのかは、まったくわかりません。 この映像には、銀座のBARの中から10軒の名店とそのマスター(バーテンダー)や店長が登場します。サン・スーシーの野村保さん=写真左下、Barクールの古川緑郎さん、舶来居酒屋「いそむら」の磯村信元さん、Bar樽の吉田富士雄さん、Bar山の小板橋幹生さん、Bar SUZUKIの鈴木昇さん、Tony's Barの松下安東仁さん、スミノフの岩瀬庄治さん、KOBAの小林浩さん、セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さんの10人です。 これらのマスター、バーテンダーは知る人ぞ知る、今では伝説的な方ばかりです。すでに鬼籍に入られた方も数多くおられます(今もご存命の方は、このうち何人いらっしゃるのでしょうか? どなたかご存じの方がいればお教えください)。サン・スーシーやクール、いそむらのように、今はこの世に存在しないBarもあります。 うらんかんろは、登場された方々の中では、野村さん、古川さん、磯村さん、鈴木さん、松下さん、岩瀬さん、吉田さんの7人のお店にはかつてお邪魔して、お目にかかったことがあります。 いずれも日本のBar業界の発展に尽くされ、銀座の古きよき時代を知る、素晴らしい人柄の方で、とても「絵になる」バーテンダーでした。映像を眺めていると、初めてお店を訪れた日の思い出がよみがえってきます(写真右=クールの古川緑郎さん)。 映像に出てくる銀座の街の映像やお店に集うお客さんの服装や髪型、眼鏡、女性の化粧などをよく観察すると、ひと昔前の時代を感じさせる雰囲気です。 バックバーのボトルも、今と同じ銘柄でもラベルのデザインやボトルの形がかなり違っています。今なら、さしづめ「オールド・ボトル」と言われ、珍重される垂涎の酒ばかりです(写真左=「いそむら」の磯村信元さん)。 いつ頃の映像なんだろうかとあれこれ考えていると、映像の中にいくつかヒントがありました。クールの古川さんが、「13歳でサン・スーシーで奉公を始めてこの道に入り、もう60年近くやっています」と話しているシーンがありました。古川さんは1916年(大正5年)生まれでしたので、この撮影時は70~72歳だったとしたら、1986~1988年頃ということになります。いずれにしても80年代の後半の映像です(写真右=Bar樽の吉田富士雄さん)。 それはともかく、今ではとても懐かしい名バーテンダーの所作はとても興味深いものです。技術的には、 今の時代のコンクールで優勝するようなバーテンダーの方が素晴らしいものを持っているのかもしれませんが、年季を積んだバーテンダーのシェイキングは個性的で、とても味わい深いものがあります(写真左=Bar山の小板橋幹生さん)。 例えば、サン・スーシーの野村さん。シェイカーを持つ向きが普通とは逆です(トップが体と反対側に来ています)。澤井さんは右腕がリズミカルに上がる独特のスタイル。鈴木さんは伝説的な「片手振り」を披露してくれています。 小板橋さんは、「同じ水割りをつくるにも工夫をしている」として、バーボンとスコッチと国産ウイスキーで、3種の水割りをつくって、違い(例えば、バーボンは氷が少なめ)を見せてくれています(写真右=Bar・SUZUKIの鈴木昇さん)。 映像では、10人が皆さんがそれぞれ、仕事のあり方や「Barとは何か」という哲学を聞かせてくれていますが、それがすべて含蓄のある内容で、今も通じる内容ばかりです。撮影当時の銀座は、第二次カクテルブームだったということで、オーセンティックBarに客が戻りつつある時代だったようで、その名前が知られ始めたスタンダード・カクテルがよく飲まれています。 オリジナル・カクテルを披露しているマスターやバーテンダーも目立ちます。リキュールやフルーツなど今ほど種類がそう多くなかった時代ですから、オリジナルをつくるにも、きっといろんなご苦労があったと思います(写真左=Tony's Barの松下安東仁さん)。 珠玉の言葉の数々を少し紹介すると--。「オーセンティックBarでは、Barでしか飲めないウイスキーかカクテルを味わってほしい。ビールならビアホールで飲んでほしい。Barでビールでは“間”が持たないんです。 女の子がそばにいてほしいならそういう店へ行けばいいんです」「当たり前のことを当たり前にやるのが一番難しい」「国産でもいいウイスキーがあるんだ。それを知ってもらうことを使命にしてきた」(写真右=スミノフの岩瀬庄治さん)。 「珠玉の言葉」の続き--。「この仕事には何年やってもゴールはない。とても奥が深い」「店では毎日毎日違うお客さんと出会う。同じ仕事のやり方が通用する世界じゃない。それがまた勉強で、面白いんです」「欧米では、『バーテンダー』と呼ばれて尊敬される職業だが、日本ではバーテンという(見下した)言い方をよくされる。僕らは、バーテンダーという誇りを持ってずっとやってきた」。(写真左=KOBAの小林浩さん)。 とくに印象に残っているのは、最後に登場した澤井さんの言葉です。「欧米に追いつけ追い越せという気持ちでやってきた。今は80%までは近づいたかなと思うが、あと20%は僕らの世代だけの力では無理。 (後に続く)全国のみんなが頑張ってくれないと」。そう願った澤井さんも先般、鬼籍に入られました(写真右=セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さん)。 個人的には、技術面では今や日本のバーテンダーは欧米を抜いたと言っても言い過ぎではないと思っています。しかし、この映像に登場するあるBarのように、客が来たら必ず、付きだし代わりにジン・トニックを出すような商法は今では客にあまり支持されないでしょうし、また別の店のようにギムレットに、生ではないライムジュースを使うのも、今では受け入れられないでしょう(ただし、80年代後半はまだ生ライムは高級品で、現在のようにどこのBarでも気軽に使えなかったという事情もあります)。 欧米のBarにまだ追いついていないものは何なのか。答えは簡単ではありませんが、日本のBar業界がさらに発展して、「銀座第一世代」のバーテンダーの願いが叶う日が来る日を、Barファンの一人として心から願うばかりです。最後になりましたが、このような素晴らしいバーテンダーに一個人として出逢えたことを、今さらながら本当に幸せに思っています。Bar業界の先駆者たちに感謝です! 【おことわり】この日記で使用した写真はDVDを再生したテレビ画面をデジカメ接写しましたので、若干ピンボケですがご容赦ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】