秋山徳蔵さんニ題/5月29日(日)
日本で初めて出版されたカクテルブックと言われる故・秋山徳蔵氏(1888~1974)著「カクテル(混合酒調合法)」=大正13年<1924>刊=について、私は先般、このブログ上で、その内容を詳細に「復刻連載」致しました。その後、出合った秋山氏に関する話題を2つ、余話として紹介致します。 秋山氏はご承知のように、この「カクテル」を著した後は、ほぼ料理人一筋の道を歩み、日本フランス料理界の先駆者となりました。そして宮内庁では、昭和天皇の料理番(料理長)にまで登りつめました。 しかし秋山氏がどういう風貌の方だったのかは、私も、まだ写真を拝見したことがなく、ずっと関心を抱いていました。不思議なことにインターネット上で画像検索しても、意外なことに秋山氏の写真はまったくヒットしないのです。 探しても探しても肖像写真が見当たらないということは、おそらく、秋山氏は昔気質の方で、裏方として昭和天皇に仕えることのみに徹して、表舞台に出るような晴れがましいことはあまり好まなかった人だったに違いありません。でもそうなると、どうしても見てみたいと思うのは人情です。 すると、秋山氏の没後2年の時(1976年)に刊行された豪華本「秋山徳蔵のメニュー・ブック」(宮中晩餐会等のメニューをまとめたもの。現在は絶版中ですが、古書市場では入手可能です)=写真左上=の中に、息子さんである秋山四郎さんが「父・徳蔵の思い出」という一文を寄せられ、そのなかで、おそらく唯一と言ってもいい秋山氏の写真を紹介していることを知りました。 写真そのものをこのブログに直接転載することは著作権に触れるかもしれませんので、ページ全体=写真右下=を紹介するに留めますが、写真はおそらく秋山氏が宮内庁を去る直前、晩年の頃の姿で、中央に写っているのはもちろん昭和天皇です。 秋山氏は昭和天皇の左側に寄り添うように立っていますが、いかにも明治生まれの厳格で、実直な感じの風貌です(ほぼ想像通りの方でした)。 それはともかく、このメニューブックには秋山氏が実際に関わった大正~昭和期の宮中晩さん会を始め、秋山氏が収集した明治時代の宮中晩さん会のメニューが約200種類も紹介されていて、とても興味深い内容です。西洋料理を志す方ならぜひ一度は見ておかれて損はないと思います。 ※ ※ 話は変わりますが、先般、バー業界の指導者として知られる重鎮、福西英三さんの著書「読むカクテル百科」(2008年、河出書房新社刊)という本をぱらぱらと読んでいると、「ブルー・ムーン」の項で驚くべき記述に出会いました。 少し長いですが引用しますと、「日本でもっとも古い『ブルー・ムーン』の収録書は、なんと1929年(昭和4年)に東京・赤坂の秋山料理研究所から発行された秋山徳蔵著『コクテール』というカクテルブックだった。(中略)秋山氏は1924年(大正13年)に『カクテル(混合酒調合法)』を発刊しており、彼にとって『コクテール』は2冊目のカクテルブックであった」とあります。 すなわち、私はこれまで、秋山さんが生涯で唯一度、最初で最後に著したカクテルブックがあの「カクテル(混合酒調合法)」だと思っていたのですが、その5年後に、またもう一冊別のカクテルブックを発刊していたという事実に、ただ驚くしかありませんでした。 この話を先日の東京出張の折、最近よくお世話になっていて、古いカクテル・ブックにとても詳しい銀座のAマスターに尋ねてみましたが、Aさんも「僕も聞いてはいるんですが、まだ現物を見たことがないんです」というのです。また、秋山氏の最初のカクテルブックの原本を貸してくれた神戸のMマスターも、「最近その本の存在を知ったのだけれど、まだ出合っていないんです」という返答でした。 これはまた一つ「宿題」が増えました。できれば、Aさん、Mさんならずとも、私も現物を見てみたいです。どなたか現物を持っていらっしゃる方がおられましたら、どうかぜひご一報くだされば幸いです(情報はメール<arkwez@gmail.com>でお願いいたします)。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】