【改訂新版】カクテルーーその誕生にまつわる逸話(89)Vesper(James Bond Martini)/10月10日(水)
89.ヴェスパー(Vesper)/ボンド・マティーニ(James Bond Martini)【レシピ1】ジン(60)、ウオッカ(20)、キナ・リレ(リレ・ブラン)(10)、レモンの皮(細長く切ったものを沈める) ※「ヴェスパー」の異名を持つ【レシピ2】ウオッカ(65)、ドライ・ベルモット(5)、アンゴスチュラ・ビタース1dash、オリーブ、レモンの皮(同) ※ボンド映画に最もよく登場するマティーニ 【レシピ3】ウオッカ(65)、ドライ・ベルモット(5)、オリーブの漬け汁2~3dash、アンゴスチュラ・ビタース1dash、オリーブ、レモン・ピール 【スタイル】いずれもシェイク 英国の作家、イアン・フレミング(1908~1964)原作の小説を映画化した「007シリーズ」(1962年~ 2015年時点で計24作)で、主人公の英国諜報機関のスパイ、ジェームズ・ボンドが、しばしばマティーニを好んで飲んだことから、この名が付きました。 マティーニのレシピやつくり方にこだわるボンドが、小説や映画の中でよく嗜むのは「レシピ1」と「レシピ2」の2つで、通常ステアでつくることの多いマティーニを「シェイクで」注文します。また、マティーニと言えば通常は、ジンがベースですが、ボンドはウオッカがお好みです。映画の中で、「レシピ2」のウオッカ・マティーニをボンド自身が頼む際のセリフ、「Vodka martini, Shaken, not stirred」(ウオッカ・マティーニを、シェイクで。ステアはしないでくれ)はとくに有名で、このウオッカ・マティーニはボンド映画シリーズの中でたびたび登場します。 しかし近年では、「レシピ1」の通称「ヴェスパー(またはヴェスパー・マティーニ)」の方が有名になりました。「ヴェスパー」は、1953年に英国で出版されたボンド・シリーズの小説第1作「カジノ・ロワイヤル」で早くも登場します(邦訳は10年後の1963年)。 「カジノ・ロワイヤル」はその後、1967年、ピーター・セラーズ主演で映画化され、このマティーニは恋人役のヴェスパー・リンドの名にちなんで、こう呼ばれるようになりました。セラーズ版「カジノ・ロワイヤル」はコメディ・タッチの映画で、ボンド映画の中では格下の “色物”的な扱いを受けました。このため当時は、「ヴェスパー」自体もあまり話題にはならず、注目されるようになったのは90年代にインターネットの普及に伴い拡散されてからです。 「ヴェスパー」のレシピは、原作者のイアン・フレミングが考案したと紹介している本もありますが、実際はフレミングの友人だったロンドンのバーテンダー、ギルバート・プレーティ(Gilbert Preti)氏が考案し、フレミングに教えたというのが真実のようです(出典:The Craft of the Cocktail by Dale DeGroff)。 そして「ヴェスパー」は、2006年、ダニエル・クレイグ主演でリメイクされた「カジノ・ロワイヤル」で再びお目見えし、再度注目を浴びるようになり、世界的な知名度も広がりました。この映画の中で、バーテンダーから「シェイクしますか?それともステア?」と尋ねられたボンドの答えが、「そんなこと、私がこだわるように見えるかい?(Do I look like I give a damn?)」。このセリフも、今後有名になるのでしょうか? ちなみに、映画ではマティーニはウオッカ・ベースしか飲まないボンドですが、小説の中では、合計19杯もジン・マティーニを飲んでいる事実を調べあげた奇特な方がいますから、ボンド・マティーニの話題は尽きることはありません(出典:「the Spruce Eats」という専門サイト)。 なお、「ヴェスパー」に使われる「キナ・リレ」とはマラリアの特効薬「キナ」の樹皮を使ったフランスのフレイバード・ワイン(ヴェルモット)。現在は製造中止となっていますが、現在は、復刻版として「リレ・ブラン」という製品が出ており、現代のバーではほとんどこのリレ・ブランが代用されています。 「ヴェスパー」は現代のバーではよく話題になり、注文も出るカクテルですが、意外なことに掲載しているカクテルブックは国内外とも数えるほどです(WEBの専門サイトではたくさん紹介されていますが…)。海外では手元で確認した限り、2000年以降に出版された著名なカクテル研究家、デイル・デグロフ(Dale DeGroff)氏の著書「クラフト・オブ・ザ・カクテル」(2002年刊)、「エッセンシャル・カクテル」(2008年刊)くらいしか見当たらりません。 「レシピ3」のマティーニは、2015年に公開された第24作「スペクター」でボンドが頼んだ映画では新顔のマティーニで、「ダーティー・マティーニ」の異名でも呼ばれます。オリーブの漬け汁を少し加えてシェイクするので、見た目が少し濁ったマティーニになります。しかし、歴史は古く、考案者は不明ですが、米国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト(在任期間1993~1945年)が大好きだったことで一般にも知られるようになりました。少し塩辛い味わいですが、普通のマティーニに慣れきった人には、少し毛色が変わって面白いかもしれません。 余談ですが、2015年に『BOND COCKTAILS』という本(洋書)が出版され、ボンドお気に入りのマティーニを始め、フレミングの原作やボンド映画に登場したカクテルの数々が紹介されています(サゼラック、ネグローニ、スティンガー、サイドカー、モスコー・ミュール、モヒート、ミント・ジュレップ、アメリカーノ、キューバ・リブレ、シンガポール・スリング、オールド・ファッションド、ブラック・ベルベット、ピンク・ジン等々)。見ているだけでも楽しいので、お勧めの本です。 ボンド・マティーニは、映画の人気が高まるにつれて、70年代以降、日本国内のバーでも徐々に有名になりました。しかし海外と同様、国内でのカクテルブックでも、なぜか掲載例ほとんどありません。不思議ですね。調べた限りでは「マイ・スタンダード・カクテル」(2003年刊)くらいです(冒頭のボンド・マティーニのうち、「ヴェスパー」を紹介しています)。 なお、1962年と1982年に出版された木村与三男氏の名書「カクテール全書」「新カクテール全書」には「ヴェスパー」というカクテルが登場しますが、レシピは「ジン3分の2、クレーム・デ・ノワヨー3分の1、オレンジ・ジュース0.5tsp、ビターズ2dropsで、シェイク」となっていて、ボンド・マティーニとは似て非なるものです(どこ発祥のカクテルかは不明です)。【確認できる日本初出資料】「マイ・スタンダード・カクテルズ」(内田行洋氏ら3人共著、2003年刊)。