兄の事
今日は節分。でも、何もしませんけどね。前回の更新、1/18でした。あれから2週間。19日の午後、加古川の兄が亡くなったと電話がありました。火葬場の都合で葬儀は22日(月)でした。以下、スルーしてくださいね。兄の思い出、簡単に書き留めておきます。私のブログなので。👹鬼は外〜福はうち 豆まき(ノ・・)ノ⌒◦⚬¨°。゚お正月、今年は帰れそうにないから、来ないか?と言うので、2〜6まで顔を見に弟と2人で行ったのですが。支えれば歩ける感じ。少し話をしたら、疲れたと言って、寝てました。それでも5日間、顔を見て少しでも話が出来てよかったかな。小学校低学年(1・2年)では、成績オール5。クラス55人前後、2クラス。3年の時転校、1クラス55人前後3クラスに。先生から、こんなに何でも出来る子は珍しいと褒められ、喜んでいた母でした。しかし、高学年になると、不良化していきました😑学校から呼び出し電話がある度、仕事から帰ってきた父親にぶち殴られていました。(いつか飲みながら、笑いながら殺されるかと思ったと話していました。怖かったと思いますよ。)今の時代なら、絶対、虐待もいいとこです。高校一年の夏休み、勝手に退学して、16才で家を出て、あちこちふらふらして。何をして生きていたのか?不明。高度成長期の時代、都会では「建築業」の仕事が山ほどあったらしく、ビル工事に転々としていたと聞いた記憶がある程度。ほとんど実家にも帰らず。私は知りませんが突然帰ってきた時には、金貸してくれ(返さない)だったようです。30才過ぎた頃、兵庫県姫路市(今は加古川市)に落ち着いて、小さなお店「クラブ」を経営していました。たぶん、バーテンしていてバブル崩壊、その後押し付けられた?50代になり借金して止め建築屋さんに。お嫁ちゃんは病院ヘルパーに。それから安定した生活に。バーテンしていた頃、友達と来ていたお嫁ちゃんと知り合ったようです。結婚して長男が出来てから、盆、正月に帰省し始めました。年、2,3度会うくらいで。1晩一緒に飲んで、バイバイするくらい。それでも、お正月に5日間いただけで。私たちが帰ったあと、急に歩くのもしんどくなったらしく。15・16だったか、本人が温泉に入りたいと言うので、じゃあみんなで行こうと、長男夫婦と孫、次男と6人で、淡路島へ1泊したようです。ちゃんと自分で歩いて行っていました。その時、ねぼけて?私の名前や弟の名前を何度も呼んでいたとか。長男が(正月の事を思い出しているんだと)もう家に帰ったで〜と返事したら、そうかと納得して寝てたわ、と聞きました💧旅行から戻ったら、食事も食べなくなり、あっという間に昏睡状態になったらしいです。病院には行きたくないと、12日くらいから「在宅看護」にしたと連絡があり、あっという間でした。お嫁ちゃんは、病院でヘルパーしていて。介護休暇3ヶ月をもらって、在宅看護を。年末に調子崩して病院へ、その時次が食い下がり聞いたらしい。昔はよく、あと〇〇くらいと言われたと聞きますが、最近は口を濁して言わないらしいですね。どうしても聞きたい!と次男が言ったら、お医者さん、どうしてですか?と次男に聞いたらしい。次男、おやじが大好きなんや!と言ったらしい😭お医者さん重い口を開いて「長くても3ヶ月持てば」と。大腸癌は手術したと言っていましたが、その後、肝臓、膵臓、リンパに転移…お嫁ちゃんには、安心して任せられました。可愛い次男にも感謝です。あ、大人です29才。結婚して20年くらいは、好き勝手!やりたい事して、お嫁ちゃんは苦労したと思います。次男が小学校でソフト野球を始め、監督をして、その繋がりで親同士が仲良くなり、今でも子供抜きで、旅行に行ったり仲良くしていたようです。数人の人達に、お兄さんには本当にお世話になりましたと、挨拶されました。ビートルズが大好きだった兄部屋にあったお気に入りを、会場入口に。今頃、まだふらふらしてるでしょうか?(-人-)お墓参りに行って、両親に、見つけたら捕まえておかないと、と言いました。これからは、ずっと一緒にいるといいですが。そうそう、一昨年だったか、お盆に帰ってきた時お墓参りに行って「おれもここに入るんか」とボソッと言いました。その時には、大腸癌が見つかった後だったらしく(私たちには内緒)その頃から、子供時代の事とか、思い出していたような気がします。一昨年も、昨年も、お盆にある「同窓会」参加で帰省していましたから。祭壇にはギターも。いい人生だったと思います。70才でした。お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m