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てっきり私は、裁判員裁判時に評議を行ったような小部屋で、裁判官、検察官、弁護士に裁判員経験者の代表者が顔を合わせ、ざっくばらんに意見交換をするのだと思っていた。 だから、裁判終了後のアンケートでも、自宅に郵送されてきた意見交換会開催の案内にも気軽に参加希望の意を表した。 先日、その意見交換会が高松地方裁判所において行われた。 私も選ばれた経験者のひとり。 裁判中は3名の裁判官としか直接話す機会がなかったから、今回は検察官や弁護士らも同席ということに多少の興味を持って高松まで足を運んだ。 何より、馴染みの裁判官との再会が楽しみだった。 ところが、会場に案内されてびっくり。 通されたのは、結構広い会議室だった。 確かに裁判員経験者8名と裁判官、検察官、弁護士がそれぞれ一名出席しての座談会形式には違いないが、向かい側には各報道関係者、その他の検察官や裁判官等、20名以上の関係者が傍聴席に座っている。 中央には高松地方裁判所所長と進行役の裁判官。 一気に緊張が高まる。 実際の裁判でさえ平常心で臨めた私だが、この日心臓のドキドキがとまらなかった。 私が経験した起訴内容は強盗致傷。 裁判当時を思い出す。 私が臨んだ裁判では被告は有罪を認めており、争点となるのはそれが計画的か偶発的かということだった。 被害者を殴った棒をめぐって議論が繰り返された。 初日に被害者による答弁が行われた際は私の気持ちも被害者側に大きく動いた。 また、裁判が進むにつれ曖昧な返答を繰り返す被告に対しても、それを弁護する国選弁護人に対しても不信感が募り、被告に向ける自分の眼が日増しに厳しくなるのを感じた。 だが、実際に刑を決める段階になると、若い被告の将来について考えざるを得なかった。 たぶん、いっときの出来心からの犯行に違いなかった。 被害者の受けた心の傷の深さまでは計り知れないが、被害者が負った外的な傷は比較的浅く、盗まれた金品の額もそう大きいものではなかった。 しかし、犯した罪は罪。 罪を償うことは被告の将来においても非常に大切なことだと思った。 * * * 今回の意見交換会の中で、ある経験者がこんなことを言った。 「被告が語った中で、自分の将来についての言葉がありました。私はそれがとてもショックでした。」 私以外7名の経験者が、殺人か殺人未遂という重大な事件を受け持っていた。 殺した側、人の命も未来も奪った人間が自分の将来を思う。 別の経験者はこう言った。 「(殺された)被害者の父親の意見陳述を聞きながら涙が止まらなかった。自分も娘がおり、どうしても感情移入をしてしまい家に帰ってからも泣きました。50何年生きてきて、これほど辛い時間はなかったです。」 私は周りの人たちと自分の意見との温度差を感じた。 裁判員裁判で受けた心理的苦痛も、殺人事件に携わった彼らと私とでは比較にならないほど違っていた。 私は裁判後、周りの人に裁判員に選ばれたならぜひ参加すべきと伝えてきたが、果たしてどうなのだろうか。 色んな思いが頭の中を駆け巡った。 だが、やはり裁判員裁判を経験したことは自分の人生上貴重な経験になったと思うし、裁判で終わらず、今回のような意見交換の場に選ばれたことを有難く感じた。 日々、新聞をあらゆる事件が賑わす。 文字としてそれらを見るのと、実際に被告や被害者、その家族と向き合うと、その重さは全くもって違ってくる。 感情的にもなるし、感情移入した状態で判決に関わるのはどうかと疑問に思うこともある。 けれど、裁判に参加する機会を与えられるということは、やはり意味あるものだろう。 意見交換会での私の意見が今後の裁判員制度の運用に役立つとは思えないが、自分の中で見直すいい時間になったと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.20 22:59:55
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