またちょっと間が空いてしまいました。
ちょうどあの重たい日記を書いた日の夜に更に漬物石で殴られるような展開があって、すっかり書く気が失せてました。
そのことに関してはまだ書く気持ちの整理もついてないし、展開をもう少し見守りたいところなのでおいおい書くとして。。。。(すみません、コメントのお返事もちょっとパスさせていただきます。はあ~。)
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先週土曜日はあるおっと関係の誕生日パーティに招待された。
招待してくれたのはなんと、先日パスポートを更新しに行った大使館のお姉さんである。
1ヶ月前、たった1回それもこんな形で知り合ったお姉さんを大胆にも自分の誕生日に招待したおっとなのだが、その時はあっさりドタキャンされた。
わたしは「やっぱりね~、大使館に来るエクアドル人なんて星の数ほどイタリアにいるんだし、お姉さんだってつきあう相手を選ぶわな。」とたいして気にも留めなかった。
なのでわたしは、大使館のお姉さんがおっとのことを覚えていて、交換した携帯のナンバーも捨てずに誕生日パーティに招待してくれたことに驚きまくったのである!
聞けばこれはお姉さんの誕生日パーティではなく、お友達のパーティだった。
ただでさえ、薄い関係のお姉さんの、更に全然知らないお友達のパーティなんかに行っていいのか!?
やっぱり南米人の思考はわからん。。。と思いながらもちょっとワクワクしながら、詳しい場所と時間のお知らせを待っていたのだが、金曜の夜になってもなんの音沙汰もない。
お姉さん、誘うだけ誘っといて、わたしたちのこと忘れたか。。。?と思っていたら、土曜の昼過ぎようやく「今夜8時半にこの住所。」とお知らせが来たのだった。←さすが南米人の法則からはずれない!
わたしは困った。おっとに「お姉さんってどんなひと?」と聞いても「ウイリアム関係とは違うタイプ。」と答えが返ってくるだけであいまいである。しかもその友達なんて。。。
わたし「そのひと、女性?男性?」
おっと「どっちかわからない。」
わからないはずがないだろう!?日本語では「友達」と言ったってどっちの可能性もある。しかしスペイン語の場合は男性は「AMIGO」、女性は「AMIGA」と語尾のアルファベットが変わってくるからお姉さんに言われた時点でわかるはずなのだ!
おっと「えっと。。忘れた。」←やっぱり痴呆症である。
何に困ったって、やはり誕生日なのだから知らない相手とはいえプレゼントを買わなければならない。
性別も、どういう感じとも、まったくわからないので、悩んだあげく、隣町の雰囲気のいいエノテカ(ワイン屋)で、店主お勧めのいかにもおいしそうなスプマンテ(イタリアのシャンパン)をきれいに包装してもらった。
ウイリアムのような友達ならスーパーでビール1ダースというところなのだが。汗
おっとは臭いほどコロンを身体中に振りまき、長い間鏡を覗きこみ髪をセットアップして、緊張しているようである。これを見て「ああ、やっぱりウイリアム関係とは全然違うパーティなんだ。」とわたしもめったにしない化粧もして、2人でおめかしして出かけたのであった。
お姉さんの友達のアパートはミラノの南。なんとこのアパートは同僚アンナの家と同じアパートだった!わたしたちは知らないお友達にインターフォン越しに門を開けてもらって、さっそくそのお友達のところではなく同僚アンナの家に奇襲をかけたのはいうまでもない。←ヤギ化進行中
お友達の家はアンナの家の1階斜め上にあった。
「HOLA!」と花束を抱えたきれいな女性がニコニコと迎えてくれた。
顔を見れば日本人ではないか!?
わたしは思わず日本語で「びっくりしました、まさか日本人のパーティだとは思わなくて。」と挨拶すると、彼女はきょとんとした顔を一瞬見せたのだが、すぐ「ああ、わたし日本人じゃないのよ、ペルー人よ。」という。
ええ?
わたしは間違えた恥ずかしさでしどろもどろに「え?というと日系の方?」と更に聞くと「ううん、100パーセントペルー人。よく間違えられるのよね。」と答えた。本人にこう言われてみても、どこからどうみても、サーファー系日本人である。
そういえばさっき奇襲したアンナは「私たちの上に日本人が住んでいるのよ、きっとそこじゃない?」と言っていた。アンナもそう思っていたらしい。
彼女の家はアンナの家とほぼつくりが同じだけあって50平米ほどのロフト付き1DKでモダンでおしゃれである。
すでに数人の友人たちが集まってキッチンで談笑していた。が、肝心のおっとの友達の大使館のお姉さんはまだ来ていない。汗
テーブルに並べられたお皿はほとんど純イタリア式アペルィ-ボだ。南米人のお約束のコーラもトロピカルジュースも見当たらない。
一皿だけ生玉ねぎとゆでたポテトの南米料理のようなサラダがあって、自分の皿に採るとおっとにすかさず「ちょっと!こんなところで生玉ねぎなんて食べないでよ、息が臭くなるでしょ、残しなさい!!」と姑のような注意を受けた。
おっとはかなり緊張しているようである。汗
小さな子供連れも2組いたが、みなさん、普通。。。というより、お嬢留学生時代によく参加したアーティスト関係のパーティのようにセンスのいいお友達が集まっている。
きっとこのペルー人のお友達と、大使館のお姉さんだけが南米人なのだな、と思い談笑に加わると違う事がわかった。ほとんどがスペイン語圏ガイジンとイタリア人の相方という夫婦の集まりで、ガイジンはエクアドル、ペルー、ウルグアイ、コロンビア、スペインと多様であった。
やっと大使館のお姉さんがイタリア人の旦那さんと娘さんとで現れた。
チャキチャキとしていかにも頭の良さそうなお姉さんである。
彼女の旦那さんとの馴れ初めはエクアドルのイタリア某大手機器メーカーでの社内恋愛であった。
更に彼女に黒髪の小さな男の子を連れたエクアドル人夫、イタリア人妻を紹介さた。旦那さんは純インディオで絶滅寸前のケチュア語が話せるという。奥さんは人類学者。エクアドルの研究所にイタリア政府から派遣されたところで同じ研究班の旦那さんと知り合ったとそうだ。こんなひとたちになんだか我々の軽い馴れ初めを語らなければならなかったのが、かなり恥ずかしかったわたしである。
1時間近くも過ぎると狭い家の中に25人ほどの招待客が集まり、あたりは花とプレゼントで埋まった。(←これがヤギなパーティならあたりはビールの空き瓶で埋まる。)
全員シャンパン片手に立食パーテイである。
わたしはこの夏、日本に旅行に行くという2人のミラネ―ゼの女の子に捕まり、話が盛りあがった。秋田の友人を訪ねるらしいが「でもね、どうしても行きたいのは京都と奈良なのよ。」と言ったところで息投合したのである。
おっとに役立つ安い日本語教室を教えてもらった。
なんだかうれしかった。この間の展示会では無理だったが、ひょんなところで友人は作れるものだ。
このパーティが他のイタリア人ばかりや、日本人ばかりのパーティと違うな、と思ったのはさすが南米人や、南米を愛するひとたちの集まりなので全員が人見知りすることもなく、こんなわたしたちのような飛びこみでも簡単に仲良く輪に入れたところだ。
しかしこれが逆に南米人ばかりの集まりでも、こうはならない。このミックス加減がちょうどいいのだろう。
バックにサルサやメレンゲがかかっても、誰も愉しそうに身体を揺らすぐらいで、日本人のわたしとしては時に強制的にもなってしまうダンスに発展しなかったのが更にわたしの居心地をよくさせた。
夜もふけてだんだん人数が減ってくると、皆で居心地のいい白いソファに移動。(←白くても誰も汚さない!)リキュール入りのコーヒーを飲みながら、お姉さんからイタリアで活躍しているエクアドル人アーティストの話を聞いて驚いたり(←そんなひとが存在するとは思っていなかった!)、政治の話にシビアになったり、お友達のアマゾンの話に耳を傾けたり、退屈することなくあっという間に時が過ぎてお開きとなったのである。
あああ。。。。目からうろこが落ちた。
南米人でもこういう人種もいるのだ。
次回のパーティの開催も決まった。
5月、わたしのお嬢留学生時代の友人アレグリアがエクアドルのキトから来伊した週末、我が家で「日本食パーティ」。
おいおいおっと、日本食はいいけど勝手に取り決めないでくれ!
目目様、目目夫様。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
また来てもらってもいい??