テーマ:たわごと(26903)
カテゴリ:本当にあった怖い話
さて、スクーターの保険がもうすぐ切れる。
ここでわたしはギアつきの自転車を買うか、スクーターを修理して保険を更新して使うか、すごく迷っている。 家と駅までは歩くと20~25分。途中山坂もあって、毎日の通勤となると少々つらい距離だ。 先日スポーツ店で見た、一番安いギアつきの自転車は99ユーロ(約1万5000円)だった。 しかし、スクーターを修理して保険を更新して使うとなると; 修理代約200ユーロ、保険代250ユーロ、合計450ユーロの計算だ。 こうやって数字だけ見れば、自転車の方がはるかにお得なのだが。。。 おっとは渋い顔である。なぜならわたしに根性がないことをよ~く知っているし、それだけじゃない。 おっと「前に住んでた家も入居時に『自転車で通勤するんだ!』って自転車買って、すぐに乗るのやめちゃったじゃない?」 う。。。そういえばそうだ。 わたしの小鳩の脳みそはすっかり忘れていた過去の記憶を一気に引き出した! あれは何年も前の12月。 あのミラノ隣接町には地下鉄も通っている。しかし我々の家は地下鉄駅までバスで30分。クルマなら5分。なぜ、こんなに開きがあるかというと、バスは我が家を始点に市内を隅々までぐるぐる廻ってお客を拾う、恐怖の市内循環バスだったのだ。 こういった理由で自転車を買う決断に至ったのは、早かった。 わたしはあの当時、かっこつけてアンティークの黒い自転車を買い、それにあわせてデザイナーズブランドのリュックサックまで新調した。 服装もちょっとおどけてシチリアの少年のようにベレーをかぶり、黒い重いコートを着て、家から約3~4kmの地下鉄駅に向って走り出したのだった。 この町は、昔は工場町として栄え、今は昔の廃工場がどんどん壊されて新しいマンションが建っていっている。 なので駅までの道は工事の大型トラックがばんばん通り、まだ壊されていない工場の高い灰色の壁がひたすら続いていて、決してサイクリングに楽しい道ではなかった。 しかも12月の真冬。 わたしは毎朝夕、約2週間ほど冷たい灰色の排気ガスをたっぷり吸い込み、結果、人生はじめての「気管支ぜんそく」で倒れた。 その後しばらくは、口からシューハーシューハーするミニ呼吸器みたいなものを持ち歩かなければならなくなってしまったのだった。 ああ、そんなこともあったっけ? おっと「それだけじゃないでしょ?」 そういえば、大きな声では言えないが、固い細い黒い革張りのシートがわたしの敏感な股間を集中的に攻め、股の間が腫れあがり、水ぶくれみたいなのが出来て、しばらく用を足すにも沁みてトイレに行くたびに「!!!!」という悲鳴を押し殺す日々が続いたっけ。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。う、う~~~~~~~~むむむむ。。 でもさ、この田舎町は空気はきれいだからきっとぜんそくにはならないよ。 それにあのおんぼろ自転車が悪かったんだ。ちゃんとした新品のスポーティなサイクリング車を買えば、お股だってそんなことにならないと思うんだけどな? やっぱりお金がかかってもスクーターのほうがいいのかな。。。 でも。 先日、めちゃくちゃ久しぶりに大学時代の友人からメールアドレス変更のお知らせが来た。 わたしはうれしくなって、今年の不幸を一気にメールで語った。 返事がすぐ来た。「お前、まだ懲りずに当たり屋やっとるんか?」 当たり屋。。。? はっ!!!そういえば、遠い遠い過去の記憶が一気に戻った!!! まだわたしが将来こんな苦労を背負うとは想像もしていないお嬢様大学生だった頃。 父の海外赴任に母が数ヶ月、手伝いに付いていったのだ。 わたしは片道2時間の家からでも通えたのだが、それをチャンスに大学の女子寮に入寮したのである。 どうでもいいことだが、はじめて監獄のような母の元から解放されての女子寮暮らしはめちゃくちゃ楽しかった。 えげつないぐらい羽目をはずし、ほうけて遊んだいい時代だった。 「アルバイトなんて、絶対にしてはいけませんよ!」というお嬢母の意向で、生活費もたっぷり仕送ってもらっていた上、内緒でアルバイトもやったので、わたしは更に行動範囲を広げるためにぴかぴかの新品のスクーターを買うことはたやすかった。(もちろん親には内緒) 青い「どらえもん号」と名づけたスクーターで天気のいいある日、わたしは大学の午前の講義に急いでいた。 ああ~、前の日のコンパで飲みすぎちゃったな、まだ頭がくらくらする。。とたんぼの中の一本道をひたすら走る。 ほんの一瞬だった。ほんの一瞬、こっくりして、はっと意識を戻すと、ひたすらひろがる田んぼの中にぽつんと一軒あった小屋の影からトラックが出てきたことに気がついて、慌ててブレーキをかけたときにはすでに遅し! わたしはまるで、スタントマンのようにトラックの下にスクーターと一緒にザザザザザッと滑り込んだのだった。 びっくりしてへたり込んでいると、トラックから運転手が「だ、大丈夫!?」とわたしをかつぎあげてトラックに乗せ、病院に運んでくれたのである。 救急棟での診察の結果、すりきずだけで異常なし。 トラックの運ちゃんは「会社で全部、責任を持ちますから!」とその後、大破したスクーターと同じものの新品と、見舞金を届けてくれたのである。 それからだ、しばらくわたしが「当たり屋」と友人の間で呼ばれるようになったのは。 そ~いや、そんな若い頃もあったな。 懐かしいエピソードだったので、ついうっかりおっとに話してしまった。 おっと「スクーターの上で居眠りするようなやつは、運転する資格がない!!!」 ああ、じゃあいったい毎日の通勤、どうしたらいいんでしょうか??? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[本当にあった怖い話] カテゴリの最新記事
|
|