テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:エクアドル人のおっとを持つと
すみません、御無沙汰してます。
7月も終わり、仕事の繁忙期は過ぎたのですが、慣れない「働きすぎ」に体調を壊してしばらく休んでました。 だんだんと通勤電車は空いていくし、通勤客のかわりにスーツケースや登山用のでかいリュックを持った人々が増えてくると、言いようもない怒りと嫉妬と虚しさがこみ上げてきます。 ****** 日記には書かなかったが、ちょっと前におっとは、起業に失敗した。というより、始める前の準備段階でこけた。 そして銀行に借金までして買った(ちなみにおっと一人では借りれなかったので、わたしが無理やり共同借金人、しかも筆頭借金人に勝手に仕立てられたのである!!)ワゴン車も一度も使うことなく売り飛ばす羽目になったのだが、性懲りもなく、またもや9月から起業にチャレンジする気である。 わたしは前の失敗点を挙げ、「大丈夫なの?それでもOKなの?」と聞くのだが、自信たっぷりに「今度こそ大丈夫!」と言うばかりで、理論を立てて何が大丈夫なのかなどと、複雑なことは言えないようだ。哀 いったいこの自信がどこから来るのかは、妻のわたしよりもおっとと仲がいいであろうウイリアムですら説明がつかない。 このワゴン車を彼の遠縁のいとこを働かせる為にすっかり買うつもりでいたウイリアムは、このおっとの心変わりに、まるで浮気でもされたように「勝手にしやがれ!」とそっぽを向いてしまった。 わたしも、きっとウイリアムも、9月にまた同じこけかたをされたならば、それこそおっとを見放す時期だろうか?と、本気で考えている。 わたしは小ずるい奴だ。 決してこの事情だけで結婚したわけではないが、2003年のわたしたちの結婚は、おっとがイタリアにおける正式な労働許可証が取れて、わたしの滞在許可証の期限が切れる時期に合わせたのだ。 そうすれば、一度に「滞在許可証の種類の変更」も「更新」も済むし、今までの面倒な手続きから、簡単な扶養家族としての手続きだけでいい、と思ったのだが、その実は甘かった。 通常の「労働」や「学生」よりも「家族」のほうが、よほど手続きがややこしく、時間がかかった。 しかもミラノで前代未聞の「エクアドル人」と「日本人」の異国どうしカップルなものだから、あちこちの入管クエストウラをたらい廻しにされて、やっと書類を受理されても、おっとがそのときちょうど「被雇用者」から「自営業者」に変わったばかりだったので、手続きに揉めて何度も通いなおさせられる羽目となった。 ただでさえ、面倒なのに、イタリア在住者にはこの苦労は想像できるとは思うが。。(お暇な方はこのページの一番下から次ページの2004年7月11日までお読みください) ようやく全書類が受理され、「2ヶ月後に受け取りに来てください。」という言葉を信じて3ヶ月後に行き、それでもダメで何度も通い、2003年から準備を始め、やっと滞在許可証の更新が受け取れたのは2004年になってからだった。怒 毎度毎度、この恒例の儀式には本当に腹が立つ。なにもわたしたちは不法滞在者じゃない。あんたたちの給料をわたしたちの高い税金から払って養ってやっているのに、この態度はなんだっ!!?? というわけで、今年も憂鬱な更新の時期がやってきたのだ。 もう半年も前から憂いて、入管クエストウラのサイトを見たりして、必要書類を調べていた。 わたしたちは、前回のように、またもや2人の国籍が違う、ということでたらいまわしにされることを想像して身震いがした。 しかも、今回は田舎町に引っ越している。住んでいる場所によって入管クエストウラの管轄が違ってくるので、またゼロからやり直しのようなものである。 そんな憂鬱をある日、目目さんに打ち明けた。 目目さん「うちも今年更新なのよ、前回は業者に頼んで、1日でやってもらったわ。今年もやってもらうつもり。小さな子供連れでクエストウラに並ぶのはきついものね。」 なぬ!?さっそくわたしはその業者を紹介してもらった。それは2月の事だった。 業者「ええ、うちでは1日で出来ますし、滞在許可証の有効期限が切れていてもなんとかいたしますよ。はあ、「エクアドル人」と「日本人」のご夫婦?で、有効期限が6月20日。 奥さん、動くにはまだ早いですね。期限が切れる1ヶ月半ほど前にもう一度お電話下さい。」 そうか。。確かに早いな。 わたしは業者の頼もしい言葉に安心し、電話を忘れないように4月のカレンダーに大きくメモを書き残したのだった。 そして4月末。 わたしは業者に電話した。 業者「あ、ああ。覚えていますよ。では古い滞在許可証をFAXで送ってください。折り返しお電話致します。」 わたしはさっそくFAXして待った。次の日もその次の日も待った。返事がない。電話をするが繋がらない。心配になった。 やっと1週間後、電話が繋がった。 業者「あ、ああ。奥さん。申し訳ありませんがうちじゃ出来ません。」 わたし「ハア、どういう事ですか?この間は出来るとおっしゃったからFAXして待っていたんですよ!?」 業者「。。うちは日本人のみにしか出来ません。」 わたし「そんなはずないでしょう?ここを紹介してくれたのは韓国人夫婦なんですけど?!それにわたしは日本人です!」 業者はしどろもどろになり「つ、つまりですねえ。。うちは日本人とか、韓国人とか、カナダ人とか、北アメリカ人しか受け付けないんですよ。」 わたしはカチンときた。「要するに手続きが簡単そうな国しかやらない、ってことですね?」 業者「そうではなく、とにかくエクアドル人はできない、という事です。」 わたしは怒って電話を切った。 出来ないならなんで最初からできない、と言えないんだ!?怒りついでにその業者に別の業者を紹介してもらって電話をしたが、ここも似たような答えで断られた。 わたしは焦った。この業者を信じて何もせずに待ってしまったのだ。残り時間はあと1ヶ月しかない。準備に役所関係の書類を揃えるには、とにかくとろいルイジなイタリア、1ヶ月では少なすぎる! OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!! その夜、しょげているとおっとが帰宅した。 事情を話す。 おっと「そういえばウイリアムも今年、永久滞在許可証(USAのグリーンカードのようなもの)に変更だから業者に頼んでる、って言ってた。聞いてみようか。」 OH,エクアドル人が頼んでいる業者なら完全に大丈夫だろう。わたしたちはウイリアムにその業者を紹介してもらってさっそく遠いマルペンサ空港の近く(隣の県)まで向かったのだった。 明るい事務所に入ると、中には若い太ったタバコ臭いお姉さんがひとりと、その弟子のような更に若いギスギスした感じの女の子しかいなくて、ちょっとガッカリした。 彼女はカラーコピーをはさみで切った事が一目でわかる名刺を差し出して「では、ご持参された書類を拝見。」と言う。 彼女は一通りわたしたちの書類に目を通し、PCにインプットして行く。 そしてなんどもコピーされつくされた感じのクエストウラの必要書類一覧表にマーカーで印をつけて、「これとこれとこれは会社で揃えてもらってくださいね。」とわたしに言った。 わたし「。。わたしは扶養家族なのに会社の書類が必要なんですか?」 お姉さん「念のためです。クエストウラでは何を言われるかわかりませんからね。」 確かにそうだけど。。。業者がこんなこと言うなんて、信じていいのか? この後も、もっともなような、うさんくさいようなことをいろいろと指示されて話は終わった。 そしておしゃべりなおっとが、なぜこんな遠くの業者まで頼ってきたかを一通り話して場が和んだ後、さっそく支払いの話になった。 めちゃくちゃ高い!ミラノで断られた業者のきっちり倍額である。 わたし「え!そんなに?ウイリアムは永久滞在許可証で、これより安いじゃないですか!?」 お姉さん「彼はこの近所のいつでも空いているクエストウラで出来るからですよ。いいですか、今回マルちゃんさんはミラノでもワースト1の「CANI大通り」のクエストウラに行かなければならないんです。扶養家族である奥さんも当然そうなります。以前、前日の0時からあそこに並んだ事がありますが、それでも173番でした。今回はもっと早くから並ばなければならないし、そうなるとこの値段でも相当とは言いかねます。どうされますか?」 わたしはこのときやっと、他の業者たちが嫌がって断った理由がわかった。 お姉さんも「どうされますか?」なんて、おっとが全ての内情を吐き出したおかげで、わたしたちが他にいくところがないことなんて、わかっているくせに。 そこは「CANI大通り」と言って、名前からして「犬どもの大通り」なんてイヤな名前の住所にある。←実は後で「CANI」ではなく「CAGNI」とわかったが、発音的にはとにかくイヤな名前だ。 しかし。。しかし倍額は高すぎる!!2人合わせたら1ヶ月分の家のローンとほぼ同額だ。 困っておっとを見た。 おっとは喜んでもう、小切手を出している。 わたし「ちょっとちょっと!払うつもり?」 おっと「前回の苦労を考えてみなよ?また、あれをやりたい?しかもお姉さんはあれよりすごいって言うじゃないか?だったら、迷う事はないだろ。」 お姉さん「わたしたち、席をはずしますからおふたりでゆっくりご相談されます?」 わたし「ご相談、といっても値段が問題なだけで。。。2人いますし負けられませんか?」 お姉さんは首を横に振った。 なんか、怪しい気もするけど。。本来なら滞在許可証が取れない状態のウイリアムのお母さんの滞在許可証もまんまと取った、と聞いたし。意外にやり手かも。おっとはすっかり乗り気だし。。。 わたし「おっと、あんたに決断を任せた。」←後でこの放棄が大きな間違いであったと気づくのである。 おっとはすぐさまニコニコと小切手を切ったのであった。 お姉さん「じゃあ、書類が揃い次第、お知らせ下さいね。」とニコニコとわたしたちを送り出した。 おっとはニコニコと「ああ~、これで今年は楽勝だ。」 わたし「。。だといいよね。あんなに払ったんだもんね。」 おっと「まだ言ってるの?ミラノの業者だって、どうせあれだけ払わなきゃいけなかったんだからいいじゃない?」 わたし「なに言ってるんだよ!?わたしたち、あの倍額払ったのよ!」 おっとは立ち止まって「ええ!君が言ってたあの金額、1人分だとてっきり思っていたよ!?」 わたしは息が詰まった「。。。。。。ひ、ひ、ひとの話をいつも半分しか聞かないから~~~~~~~~~っ!!!!!!!!」 これが5月半ばの話だ。 くっそ~、裁判さえなきゃ、おっとが起業に失敗さえしなきゃ、おっとがひとの話をいつも真面目に聞いてさえすりゃ、今ごろはどこぞにバカンスに出かけて、こんなPCの前で愚痴なんぞ書いてなかったぞっ!! この話、まだまだ続きはあるのだが、それは次回、この腹立ちがちょっと収まった時に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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