テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:自分的に、こう思う
わたしは久しぶりにおっとでも不動産屋でもルイジでもない、他人に腹を立てている。
さっき、ネット上で宣戦布告をしてきた相手にだ。 というのも昨日、わたしが登録している、とあるイタリア在住の日本人のコミュニテイに彼がミラノにて「日伊昼食会」というイベントを立ち上げたのを見たことから始まる。 「へえ、楽しそうだな。」となんとなく彼のページを覗いて彼が日本語を勉強しているイタリア人の学生であることを知った。 この知らないイタリア人の若者、かなり日本語が出来る。わたしはイタリア語がきっと彼の日本語の半分のレベルも出来ないぐらい達筆である。 そういえば、最近まわりに片言でも正しい日本語を言えるイタリア人が増えてきた。 そんな彼らに「どうして日本語が喋れるの?」と聞くとたいがいは「日本のアニメやマンガをオリジナルの言語で理解したいから。」という言葉が返ってくる。 きっと彼もそういう若者の中から、さらに突き進んで勉強をしたひとりに違いない。 まあそれはともかくそれっきり、わたしはそのコミュをとじて仕事に戻った。 昼休みに、またそのコミュのあるサイトに行くと、わたしの個人宛に彼からメッセージが来ていた。開くとたった一行、そのイベントのアドレスがペーストされているだけ。 足跡たどってきたのかな?まあ、日本人じゃないからだとは思うけど、挨拶の言葉もなしにダイレクトな宣伝だな。と心の中で苦笑いして返信を出した。 「わたしは社会人で昼間は仕事があるので行けません。土日も遠いので行けるかどうかわかりません。ミラノ在住の留学生の方に聞かれたほうがいいと思います。」 そうするとすぐに彼から返信が来た。「日曜日。サンバビラ(ミラノの中心街)で待ち合わせて◎◎◎という日本レストランに歩いていく☆」 あはは。ここまで熱心だと行かなくては悪い気がしてきた。 わたしは彼のイベントのページのコメント欄に「遠いので行けるかどうかわかりませんが、他の国の外国人を同行してもいいですか?」とおっとの参加許可を求めるコメントを出したのだ。 「駄目です これは日伊昼食会ので 外人なんか要らないんです」 なんじゃこりゃ? 彼は「外人なんか」という言葉をどれぐらい理解して使ってるんだろう? わたしもときどき日記の中におっとの友達を「荒くれ系ガイジン」とか、自分のことを自嘲して「ガイジンの姉ちゃん」とか使うけど、この場合の「外人なんか」は適当じゃない気がする。「外人」と「外国人」の区別がつかないんだろうか?? わたしは少々ムッとしながら「旦那が『外国人』なので、残念ですが同行できないなら行きません。」と少し嫌味をこめてイベント欄にコメントを出した。 それと共に余計なおせっかいで彼の私書箱に「『外人』は差別用語なので使わないほうがいいと思います。」と出した。 するとまたすぐにイベント欄には「残念ですけど外人禁止です。」とご丁寧な返事があり、わたしの私書箱にも「『外人』というのは差別用語で使いたかったから使っただけ それじゃ、さようなら」とメッセージが入っていたのだ! やっぱりわかってて使ってやがったっ!!この小僧~~~~~っ!!!!!! なんだかこのままじゃ、表のイベント欄でわたしがやられっぱなしな気がして大人気なくこう書いた。 「わかりました。 どうでもいいですけど「外人」という言葉を差別用語とわかっていて、連発するのはやめてください。 気を悪くするのはわたしだけではないはずです。 このコミュは右左寄りのコミュではないとおもいますが。」 この後、わたしは猛烈に腹を立てて彼の返事を待っていた。 腹が立つ、腹が立つ。 彼の中で世界の国籍に対して、どのようなボーダーラインが引かれているんだろう? 彼のお気に入りコミュを覗くと、同じ日本好きでも過激なものが多い。 イタリア人と日本人が世界を征服する支配者だとでも思っているのだろうか? なんか第2次世界大戦時みたいだ。あのとき日本とドイツとイタリアは世界征服者(歴史に詳しくないから違うかもしれないけど)を夢見てたと思う。 でも敗戦寸前、アメリカに翻ったのはイタリアだ。 あ、何を書きたいのかわからなくなってきた。 やがて返事が来た。「じゃあ、終わりにしましょう。」 この頃にはわたしの中の熱もちょっと冷めてくすぶりかけていたのでというか、こんな外国人の若造相手に「外人」という言葉ひとつでカッカするのも馬鹿らしくなってきて、「お互いの表のコメントを削除して終わりにしましょう。」と、この喧嘩は一応のところ、幕を閉じたのだった。 そういえば、この若造のような独特のボーダーラインを持つイタリア人の友達が昔いて、わたしから一方的に縁を切った。 そのころはまだ、おっととも付き合ってなかったので、きっと彼の中じゃ なんでわたしがよそよそしくなって、つきあいをしなくなったのか理解できなかっただろうけど、頭の固いわたしは、そうやってあからさまな言葉をまったく赤の他人の知らない外国人に使う友達がだんだん許せなくなっていた。←そんな気持ちが知らず知らずにイタリア国内にて、あえてイタリア人以外のおっとを持つ、という行動で現れたのだろうか? しかし。 そういうわたしも、差別はダメだ、と思いながらもやっぱり差別的な行動をとることが多い。 でも、それはそのひとを至近距離で見て、出来るならコミュニケーションをして、自分で判断してからのことで、やっぱり「ヤギ」は「ヤギ」という固定観念も最近自分の中だけで成立してきたものであり、誰にも強制してはいない。 イタリア人じゃないから、日本人じゃないから、ってことじゃない。 固定観念で判断するな、見た目で判断するな。これが最近のわたしの自戒である。 別にいいんだ、日伊だけの楽しいお食事会、なんぼでもしてちょ~だい。 ただ、どこの国のひとにしろ、自分から誘うだけ誘っておいて、こんな悪意のこもった返事はないと思う。自分がイベントの主催者なら、参加の意思を示す人(ほとんどごり押し的だったけど)にこんな対応をしていたんじゃ、社会人はやっていけないぞ。若気の至りだとは理解するけども。 それに、日本を本当に好きならば「最低限の礼儀」をわきまえろ!! あああああ、なに熱くなってるんだ。こんな小僧っ子相手に。。。。。_| ̄|○ PS.昨夜夢を見た。小学校のときの同じクラスだった女の子が泣いている。 「どうしたの?」と聞くと彼女は涙でグショグショの顔をあげて「藤◎くんに『ガイジン』っていじめられた。」と言った。 そういえば思い出した。彼女は旧チェコスロバキアからの帰国子女だった。 わたしは彼女の家が、見たこともない欧州の調度品に囲まれているので、お邪魔するのが大好きだったけど、藤◎くんときたらクラスでは彼女は日本人なのに『ガイジン!ガイジン!』と髪を引っ張るわ、蹴るは、えげつないいじめ方をしていたのだ。 彼女の泣いている姿でさらにだぶったのは、大阪の私立のお嬢さん高校に通っていたとき、一緒に電車に乗って帰宅途中の友達が突然泣き出したことだった。 このときもびっくりして「どうしたの?」と聞くと「◎谷さんたち(いじめっこグループ)に『ガイジン』みたいな顔して気持ち悪いっていじめられた。」ときれいな長いまつげの下からポロポロ涙をこぼしたのを覚えている。 彼女も100パーセント日本人だったけど色が白くて、目が大きくて、きれいな顔をしていて、でも気が弱かったものだから、きっとジェラシーでいじめにあったんだと思う。 だからたかが「ガイジン」の一言だけど、わたしにはやっぱり「『ガイジン』=仲間はずれのひと=いじめ」みたいで許せない。 わたしが日本にいた頃には外国人とふれあう機会はなかったのだけど、これが本当に日本在住の外国人だったら、日系人だったら(彼らは日本生まれの日本人よりも自分が日本人である、という意識が強いひとたちなのだ)、きっともっともっとイヤな思いをしてるひとが多いと思う。 そういえば、わたしが高校ぐらいのときに使い捨てカメラが登場してまたたくまに市場に普及した。その当時、そのカメラのことは「バ◎チョ◎カメラ」と言われてて、わたしもなにも考えなく使ってたけど、あるとき在日韓国人の女の子と出会って、その言葉に含まれるえげつない意味を知った。(他にも意味合いがあって、断定は出来ないとのご指摘がありました。スミマセン) 日本って、たぶん他の外国よりも言葉あそびや、言葉での表現方法が豊富な国だ。 だから言葉は薬にも武器にもなる。 失礼な言葉たちが知らないで使われるのも気分が悪いが、知ってて使われるのはまったくもって哀しい。 こんな「ガイジン」の小僧っ子はともかくとして、せめてわたしはそんな言葉を相手に対して使わない、使わなくてもそんな意味合いの別の言葉を相手に感じさせない日本人として生きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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