テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:ご近所物語
最近なにかと出会いが多い。
楽天やミクシのお友達にも会ったし、小さな出会いといえば、今朝は同僚の旦那さんに中央駅前の信号のところでばったり出くわした。 昨日も同じ信号で待っていると 前の道のトラムの線路を防護マスクをつけて座り込み、火花を散らして工事している男がいて、興味深く火花を見ていると、信号が青になる。 渡ろうとすると、この男が防護マスクをとった。 とたんマスクの下から金色の巻き毛の髪が乱れ落ち、彼はそれをかきあげながら、どこまでも透き通る緑の目でにっこりとわたしを見上げたのだった。 ごっつーっ、ええ男やっ!!!! わたしは目じりをだらりと下げ、彼にすれ違いながら微笑み返す。 ゴンッ!! そしてわたしは道路の向こう側の信号の柱に激突したのだった。(実話) しかし。 出会いもあれば別れも多い。 今日、この日記をUPするころにはコックさんはシベリアの上空だろうか? 今朝、コックさんは1年のイタリア生活を終えて日本に帰国した。 彼は最後の1ヶ月はミラノでゆっくりするつもりだったのが、急遽、知り合いのマルケ州のレストランに呼び出されて、我が家から先日バタバタと荷物を引き上げてぎりぎりまで忙しく働いていたのだ。 昨夜はお別れを言うためにおっとと2人で電話をしたのだが、電話をかける前まではいろいろ言葉を用意していたのに、いざ彼の声を聞くと、言葉が詰まって「気をつけてね、さよなら。」ぐらいしか言えなかった。おっとはお得意の祝辞のような言葉を並べ立てていたというのに。 今までこちらでいろいろな日本人を見てきたけれど、彼のように濃い1年を送った人もそういないだろう。 最初のホテルの面接のときは「おそろしいほどずうずうしい奴だなあ。」と思ったけれど、今考えてみれば、このイタリアではそんな大胆な奴のほうが生き抜いていけるのだ。 「終りよければ全てよし。」は、彼のようなひとに当てはまる言葉だ。 彼はホテルで数ヶ月働いた後、主にサルデーニャとマルケのレストランで働いたが、その間にイタリア全国のレストランを食べ歩きし、例えばリグーリアで気に入ったレストランを見つけると、厨房に入って1週間ぐらいただ働きしてそこの味を勉強したり。 彼には家族がいるが、日本に期限付きで置いてきたのは正解だったと思う。 わたしもおっとがいなければ、そんな大胆な冒険をやってみたいものだ。 彼の風貌も、イタリアに到着した当時は色が青白くてストレス太りした、ちょっとくたびれたおっさんだったのが、今は色が浅黒い、しまった体つきの南イタリア人のように変わった。 最初は他人にばかり頼っていたのに、今はなんでも一人でやっているようだし、たった1年でも過ごし方しだいでこんなに変われるものだ。 彼はこの調子ならきっと日本で大成功するとわたしは思うのである。 ***** ところで日曜日はまったく久しぶりにウイリアムの、正確に言うとウイリアムの弟アンドレスの家に行ってきた。 というのも、彼の娘の3歳のお誕生日会に招待されたのだ。 わたしは彼らの住む、マルペンサ国際空港近くの南米人密集地にクルマで行く道々3年以上前のことを思い出していた。 この弟はその当時の20歳近く年上のイタリア人の彼女を妊娠させて、その責任を取りたくないために逃げ出し、雲隠れの間に、今の歳のそんなに違わないエクアドル人の奥さんと知り合って、性懲りもなくすぐに孕ませたのである。 この種馬野朗、どうするつもりだ?と観察していると、イタリア人の彼女は泣く泣く雲隠れされた状態で中絶し、彼はまるで何事もなかったかのようにもうひとりの彼女の妊娠を喜んで受け入れたのであった。 その頃、まだヤギの行動を充分に把握していなかったわたしは(今も把握できてないが)、こいつとこいつを擁護する家族の態度に頭を混乱させていたのだが。。。 あれから3年。 浮き足立っていた種馬アンドレスも、少女のように軽かった奥さんも落ち着いていっぱしの娘の親に成長した。 彼らが7月に買ったばかりの田舎の果ての家は、我が納屋よりもさらにおんぼろな納屋の一角だ。しかし、我が家のときと同様、リフォームした状態で買ったので、彼らのきれいな一角だけがおんぼろな中、妙に浮いている。 家は2階立ての田舎つくりで、可愛い。中に入ると色とりどりの紙テープのデコレーションがされていて、13時開始で13:30にわたしたちが到着したというのに、まだ誰も招待客がいなかった。汗 15時も過ぎる頃、やっとぞくぞくと近所の同い年ぐらいの子供を持った、ウイリアム一族の家族たちが20人ほど集まった。 大人は座ってサルサが大ボリュームで響く中、スペイン語で大声で会話をし、子供は子供で走り回っている。 わたしはスペイン語の会話にいつものごとく、入れないので子供の相手だ。 おもしろいのはわたしを除くほかの人々は全員エクアドル人であるのに、子供たちは全員イタリア語で会話をし、サルサがかかっていてもジェノバのおっとの姪っ子たちのように踊らない。すでにイタリア人と化している。 わたしはそんな子供たちに囲まれて、たちまちのうちにマジックペンと、ケーキくずにまみれた。洗濯したばかりの白いパンツなんて、なんで履いていったんだろう?涙 そんなにぎやかな中、一人孤独にちびちびとビールを飲んでいる男、ウイリアムがいた。 ウイリアムの婚約者は現在イタリアにいない。 なぜなら、妊娠して、子供をアメリカで産むべくロサンゼルス在住の彼女のお母さんのところに数ヶ月前から行ってしまったのだ。 哀しいかな、エクアドルの国籍というのは、一歩エクアドルを出ると、まるで紙くず同然の価値で、どこの国に入国するのも困難である。 そのため、彼らの多くは自分の子供に他国籍を持たせたがるのだ。 ウイリアムの場合は、彼はイタリアの永久滞在許可証を今年手に入れたので、そのうちイタリア国籍も取得し、子供にはアメリカの国籍を持たせて将来どこの世界でも生きやすくするのが目的で、奥さんを送り出した。 が。そんなウイリアムにちょっと変化が起きた。 アメリカに行ってしまった奥さんが、あちらのほうが暮らしやすくて、もうイタリアに帰って来たくないらしい。 それは激しく同意する。 わたしもおっとさえいなければ、こんなイタリアもうごめんだ。 イタリアは人種差別が激しくて、どんなに優秀な人材であっても、イタリア人ではない、ということだけで出世がはばまれるケースがほとんどだ。だから、自営業をする外国人が多いわけだが。 それに毎年どんどん厳しくなる外国人の締め出しにも閉口する。 理由は不法移民や難民を減少させるためなのだが、そういうものは、入国の取締りを厳しくするとか役人の働きを活発にさせるだけでも減ると思うのだが。 話を戻せば、ウイリアムはアメリカに移住するかどうか悩んでいるのである。 わたし「英語話せるの?向こうに行って仕事どうするのよ?」 ウイリアム「LOSはメキシコ人が多いから英語が喋れなくても仕事はあるらしい。」 わたし「あんたの一家はどうするの?みんなで移住するの?」 ウイリアム「いや。。。もうみんなそれぞれ家族を持って、独立してきてるし。行くならオレだけだ。だがな、仕事がな。。。」 そうなのだ。彼はこの日記では語れないほどの苦労をして事業を大きくし、この大一家に仕事を廻し、切り盛りしているボスなのだ。彼が抜けるなら跡目は必然的に種馬弟アンドレスが継ぐ、という形になるだろうが、他人のわたしが見ても彼にその器はない。 それで彼は憂えているのである。首領の悩みだ。しかし、状況はかなりアメリカ移住へと傾いているらしい。 そうか、おっとをイタリアに連れて来た張本人、つまりおっとをわたしと出会わせてしまった極悪人も行ってしまうのか。。。。 おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」 。。。。。。こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙 ***** そして昨日。 夕方、わたしを駅に迎えに来たおっとは目に涙を溜めていた。わたしはびっくりして「どうしたの!?」と聞く。 おっと「さっきローランド(ジェノバのおっとのいとこ兄弟の弟)から電話があった。何だと思う?」 わたし「え~と、ミッシェルちゃんが、事故した?あ、それとも奥さんのローリーがおめでたで妬いてる。と。か?」 おっと「あのね、12月に3日間、うちに泊めて欲しいって。」 わたしはちょっとホッとした。実は以前にも同じようなお願いがあって、それは3日間ではなく期限なし、つまりミラノで働くために家をシェアさせてほしい、ということだったのだ。 以前の同居人コックさんとはうまくいっていたけれど、彼は一人だったし、日本人でおとなしかったので問題はなかったが、あのおそろしい子悪魔ミッシェルちゃんと一緒に生活するのは到底ゴメンである。 わたしは鬼嫁と化して、断固反対したのであった。 わたし「どういうこと?たった3日なんて。」 おっと「もうイタリアがイヤだから、永久帰国することにしたんだって!だから出発日前にぼくたちと過ごしたいって。。」 わたし「え~!!??」 彼らもか~!!?? 彼らは兄に「そのうち滞在許可証も取れるから移住して来いよ。」と薦められて前回のサナトリア(不法滞在外国人労働者に一時期のみ滞在許可証を出す時期があった)が終ったばかりのときにイタリアに来たのだ。 もちろんそんな時期は、サナトリアが終ったとたんにそれに漏れた不法滞在外国人の締め出しが厳しくなったときで、彼ら(特に奥さん)は毎日泣いて暮らしていた。 やっと1年ほど前から落ち着いて、仕事も見つけて順調に行っていたけれど、やはり不法滞在外国人は不法滞在外国人。さぞや、住みづらかったのだろう。 わたし「辛かったんだね。。。」 おっと「ううん、そうでもなかったみたいだよ。ある程度のまとまったお金をこの2~3年で貯めれたから、喜んでるみたい。だから、喜んで見送ってあげないと。」 そ、そうなのか。 こういうところ、ヤギってポジテイブだからいいな。うらやましいぞ。 おっと「でもね、でもね。。こうやって、どんどんぼくの周りから誰もいなくなっちゃうんだなあって、ガッカリしてたんだ。」 わたし「。。。まあ、時が経って状況が変化するのは誰にも止められないから。」 おっとは目をキラキラさせて立ち上がった。 おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」 。。。。。。だから。 こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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