テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:自分的に、こう思う
わたしは普段、世間の記事に着いてはなるべく日記に書かないようにしているのだけど。。。。
こ、これは。。。 これは!!!! 「姉の子供(小5)にお年玉5,000円あげたら、「少なすぎる」とお問い合わせが。。。」 つくづく日本に住んでいなくて良かったと思った。 長いイタリア生活ですっかり忘れていたけど、日本にはこんな恐ろしい習慣がまだ残っているんだ!! お年玉の由来: 元来、鏡餅は御歳神へのお供え物であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今の「お年玉」になったということです。(葛木御歳神社のホームページより) がきんちょになんて、鏡餅食べさせとけばいいんだよ。そのちょっと前にクリスマスプレゼントももらっているくせに! わたしだったら、上記のレスの中にも類似のお答えがあったが「間違えてた、ほんとは500円のつもりだったんだ、ごめん。返して。」というがな。 そういえば、わたしの子供のときは貧しかった。←今も貧しいけど。涙 一人っ子だったし、両親の両親は、わたしが幼少のころに亡くなり、その上、孤高のお嬢母は父方の実家とひじょ~に仲が悪く、自分の実家の親戚との交流もさけていたので、新年の挨拶さえ拒否する年もしょっちゅうありで、お年玉流入ルートといえば、母のたったひとりの姉ぐらいからしかなかった。 しかしあるとき珍しく母方、父方のいとこたちと同時に会うことがあって、みんなで「お年玉の収穫高」を言う羽目となった。 父方のいとこ兄「ぼくは4万5000円。」←親戚多し。 父方のいとこ弟「兄ちゃん、いいな。ぼくはたったの3万円だ。」←親戚多し。 母方のいとこ「わたしは4万円。」←普通に親戚多し。 わたし「。。。言わない。」 全員「ずるいよ、みんな言ったんだから言えよ!」 わたし「。。。。2000円」 わたしを除く全員「えええええええ!!!!????」 みんながいっせいにわたしを哀れむ目で見たのは間違いない。わたしは情けなかったが歯を食いしばってこらえるしかなかった。 翌日。 実家にひとりで新年の挨拶に行っていた父が帰ってきてわたしにぽち袋をくれたのだ。「いとこたちからお年玉だって。」 中を開けると5000円が入っていた。きっと兄弟2人のお年玉から分けてくれたのだろう。もしかしたら、いとこたちから事情を聞いた叔父さんが哀れんで、いとこたちから、ってことで渡してくれたのかもしれない。 ちなみにこのいとこ兄弟はわたしよりも兄が3つ、弟が5つも年下である。 父に言われてしぶしぶお礼の電話をすると、叔母さんが出て得意そうに「な、うちの息子たちは優しいやろ?」と言った。 しかしこの時点でわたしのプライドはズタズタ、 この夜、わたしは今までにない、みじめな気持ちになって、ひっそりと枕を濡らして泣いたのだった。 でも今になって考えてみると、これがきっとおっとなら、手放しで喜んだだろう。おっとはイタリアについてすぐは、前後も考えず遊びほうけて持ち金を使い果たしてしまい、一時は教会の可哀相なひとのみのための食糧配給所にまで通ったらしい。_| ̄|○ わたしにはそんな真似は絶対出来ない。 そんなところに行くなら飢えて「ハラキリ」か、せいぜい親に泣きついて親の資金で帰国だ。っつ~か、持ち金がゼロになるまでなんて遊ばない!!! 「もらえるものはもらえ、拾えるものは拾って、ボクノモノ。」というテオリーがどうやらおっとにはあるようだ。 サムライタイプのわたしとは大違いである。 話はそれてしまったが、 というわけじゃないけど、わたしは「お年玉トラウマ」だ。 こんなことがあってからというもの、良かれとお金をくれたいとこたちには悪いが、もう遭いたくなくて疎遠になった。 あれから数十年。 母は最近歳を取ってちょっとは温和になったのか、彼らと交流を持ち始めているようだが、わたしはすでに心も地理的距離も大きく空いてしまっているので、遭うのにためらってしまう。よっぽどご近所やブログで知り合った人たちのほうが親しみが沸く、というものだ。 そして、会いたくない理由は他にも出来た。 この兄弟は2人とも何年か前に結婚したのだが。。。。。今は2家族して3人の子持ち、つまり合計6人の子供がいる。一番大きな子供が確か小学5年生だ。 ということは、全員にお年玉を渡したらその合計でもしかして日本からエクアドルにも行ける??←ちょっと足りないか。 ん~~~~~~~~~~。。。。。。。。。N....NOOOO,NOOOOOOOO. こうしてわたしは「決してお正月に帰国をしない。」と決意を固めたのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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