テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:エクアドル人のおっとを持つと
おっとの幼馴染ウイリアムがUSAで行方不明になった話を覚えておられる方はいらっしゃるだろうか?
彼はせっかくイタリアくんだりからUSAまで彼女の出産に合わせて行ったというのに、一方的に彼女のお母さんから「娘はアメリカ人と結婚しました。」と別れを告げられて、彼女にも、産まれた娘にも遭えずにショックで行方不明になったのだ。 日記にはUPしなかったけど、その当時はまるでドラマのようで、心配というより次に何が起こるかかなり期待しながら様子を見ていたクールなわたしだったのだが、3ヵ月後ぐらいにエクアドルの実家に戻った、という彼からおっとに連絡があって、ありきたりな展開にちょっとがっかりしながらもホッとしたのだった。 そして、その電話の2週間後ぐらいには何事もなかったかのようにイタリアに帰ってきたウイリアム。 話を聞けば、彼女とヨリを戻したという。ど~ゆ~こっちゃ? ウイリアムが言うには偽装結婚はあくまでも偽装結婚であるという。ではなぜ彼女がせっかくはるばる行ったウイリアムに遭わなかったかというと、留守の間、彼女の兄弟のひとりが、ウイリアムが他の女の子といちゃいちゃしながらミラノの街を歩いているのを目撃してさっそく彼女にちくったかららしいのだ。(彼女の父親と兄弟はミラノに住んでいる。) 確かにここの兄弟は「種馬野郎」なので、ありうることなのだが、彼女はこの裏切りを怒って、遭わなかった、というのである。 エクアドルに帰った彼はその間、必死で言い訳をしてなんとか彼女とヨリを戻すことが出来たので安心してのイタリア帰国となったのだ。 な~んだ、つまらない展開。 ウイリアム「だから、やっぱり俺はアメリカに行って家族3人で暮らすよ。」 はいはい。 やっとイタリアの家族親族友達一同と離れる決意が着いたか。そうとなれば、別に彼に思い入れなどないわたしはあくまでもドライだ。ヤギ的飲んだくれ会のお誘いなど断り続け、おっとはひとりでせっせと参加しに行き、「そういえば彼に半年以上遭ってないな?」、というころにウイリアムから先日2人揃っての夕食会に招待された。 「お別れ会」だという。そうか、いよいよ。。。。 この会ぐらいは参加しておくか、と出かける準備をし、夜おっとが帰宅するのを待った。 帰ってきたおっと「今日はシンプソンのお別れ会だから。」 へ? シンプソンとはアメリカアニメの「ザ。シンプソン」のホーマー似のわたしは数回しか会ったことがないウイリアムのいとこだ。聞けば、たった1ヶ月のエクアドルへの里帰りである。 わたしは黙って上着を脱いでクローゼットにしまった。「ひとりで行ってきなよ。」 おっと「え~、一緒に行こうよ。」 わたし「嫌だよ。たったの1ヶ月の里帰りでしょ?だってウイリアムのうちに行ったらあんたいっつもベロベロに酔いつぶれて朝までソファの上で寝ることになるじゃない?普段ならともかくわたしは妊婦なんだからそんな一夜の過ごし方はごめんだね。」 おっと「。。。わかった、なるべく早く帰ってくる。」 わたし「信じてないけど、携帯電話だけはいつも身につけて置いて。なんかあったとき連絡できないのは嫌だから。」 おっとは出て行き、わたしはひとりで夕食を済ませ、シャワーを浴びてベッドに入った。なかなか寝付けなくて本を読んでいると本当におっとが夜中2時というとても早い時間に帰宅したのでビックリ! わたし「は。。。はやい。どうしたの、いったい?」 おっと「ミーちゃんのために早く帰ってくる、って言ったろ?」 そういえば最近、おっとはヤギ的飲み会への皆勤賞なのは相変わらずだが、朝帰りが極端に減った気がする。父親になるってのは、こうにもおっとを変わらせるものらしい。 わたしはまったく興味がなかったが「どうだった、お別れ会?」ととりあえず会話のネタを提供。 おっと「シンプソン、明日永久帰国だって。もうイタリアにうんざりしたからって。。いいなあ。あとウイリアムの1ヶ月遅れの誕生会も一緒にしたから夕食会は盛大だったよ。」 。。。出かける前と話が違うやんけ。 おっと「でね、でね、ウイリアムは夏休み、USAの彼女のところ経由エクアドルに帰ってたんだって。えっと、それからぼく決めたよ。老後はエクアドルに帰るんだ!!」 はあ?なんでいきなりそういう展開になるんだっ!? おっとは彼らにもらってきた数冊のエクアドルの不動産屋のパンフレットを広げる。「シンプソンの家族は向こうに家を買うためにこっちに出稼ぎに来てたんだけど、購入資金も溜まったし、買う家もめぼしをつけたらしいよ。見て、この値段!ぼくらもあっちに家を買おうよ!!」 わたしは夜中に突拍子もない話に頭をクラクラさせながらパンフレットを見た。どのページを繰ってもきれいなアメリカンスタイルの新築マンションでおしゃれな家族が幸福そうに団欒している写真が満載である。 値段予想はだいたいしていたのだが、実際見て驚いた。 首都キトの中心の広い新築マンションがミラノの車庫がひとつしか買えるか買えないぐらいの値段で買える。超高層マンションのオフィスワンフロアは我が家の2/3の値段、郊外の庭付き一戸建ての豪邸も我が家の半分もしない。安いっ!! おっと「今のうちに買っておこうよ。で、帰りたくなったらいつでも帰れるように。。。」 わたし「ちょ、ちょっと待ってよ!買うって言っても通販で服を買うのと訳が違うのよ?こんな遠くからどうやって家が買えるの?第一ローンはどうするの?安いと言っても今の我が家のローンだけで精一杯なのよ?」 おっと「ローンは借家にして家賃で払っていくさ。管理はママに頼めばいい。だから来年君が日本に里帰りするのにあわせて、ぼくはエクアドルに行って家を買ってくるよ!」 わたしはとうとう爆発した。 お腹のミーちゃんもビックリしたのか、内側からお腹を激しく叩いて蹴りまくってわたしは立っていることが出来なくなって、ソファの上でうずくまりながらもわめき続けた。 そんな大きな買い物をわずか1ヶ月ほどの休暇のうちにしようなんて、慎重さがなさすぎる。 おっとのそんな軽いノリに この家だって疑問を持ちながらも買って、後からこんなに多々の問題を抱えて苦しんでいるというのに! しかも家が安いのは向こうの平均収入が安い、つまり経済成長していない国だからだ。わたしは老後そんな国に移住するなんてまっぴらごめんだ。これはすでに数十万回常日頃、おっとに言ってあることだ。 それに今から何十年も先の老後用の家を買ったって、そのときには新築マンションも中古以下のレベルのマンションになっている。そんな古い家に住みたくない。 そしてそして、来年乳児を抱えて日本帰国予定なのだが、この目的だっておっとに数十万回常日頃、説明しているのにちっとも理解してない!! 来年の帰国は両親から受けた命令なのだ。 それというのもわたしたちがイタリアに家を買い、子供まで出来たことで我が両親は娘がイタリアに永住すると判断したらしい。 母「お父さんが先に死んだら、わたくしこの家を売って完全介護つきマンションを購入しますから、我が家にあるあなたのものは全部イタリアに持って行ってちょうだい。」 父「そうそう、邪魔なんだよ。でもあなたのものを勝手に移動するとお母さんが口から火を吹いて怒るから、家の中を改装したくても何も出来ないんだ。来年、荷物をまとめに帰ってきなさい。」 ああ、わたしっていまや日本に帰っても居場所がないんだな。。しかし乳児を抱えてそんな引越しまがいのことできるだろうか? もうちょっと数年先に延ばしてもいい気もするのだが、我が父はときどき家族の承諾なしでいきなり暴走するのでそれがこわい。 わたしが2年ほど東京で一人暮らしをしていたとき、2泊3日で母が友人たちと旅行に出かけた。 そのとき父は、きっとずいぶん前から密かに計画していたであろう小さな我が家の倉庫の中のものを、庭にプレハブの物置小屋を作って洗いざらい移動させ、倉庫にじゅうたんを敷き、家具を入れてあっという間に自分の書斎にしてしまった。母に承諾なんて絶対得られないと踏んだからの行動だとは理解できる。 旅行から帰ってきた母が仰天したのも言うまでもないが、わたしが帰省したときに大学のときの卒業制作や作品のキャンバスがむしりとるように木枠からはずされ、ぐちゃぐちゃにまるめられて父の登山道具の下敷きになってプレハブ小屋の中で土埃をかぶっているのを見たとき、呆然として涙がつーっと頬を伝わった記憶がある。 去年も父が海外から永久帰国してわたしの部屋を仕事場にした、とわかったときも、あのときと同じく父が母の留守中に突然始めたことだった。出かける前から怪しんでいた母が予定より早めに帰宅して発見し、わたしに連絡を取った、という次第である。 もうわたしは実家に住んでないし、しぶしぶ許可はしたがやはりあのときのトラウマがあって「わたしのものを移動するときは慎重にお願いします。」とは言ったけど、すでにいろいろ移動させてしまった後のようだったし、飾り棚に飾ってあった一時的に凝っていたペンギンコレクション、ぬいぐるみとかはまだしも割れ物やブリキのおもちゃはきっと無事には済んでいないだろうな。。。と考えるだけで気が重くなる。 父にとってはただのガラクタでも、わたしにはひとつひとつに思い入れのあるものばかりなのだ。 必要最低限のものはイタリアに持ってきて、処分できる限りのものは処分してきたはずなのだが、処分したくなくても実家において置きたいものはいっぱいある。 古い洋服やバッグやアクセサリーはもっと絞って処分できるし、古い画材も使うかどうかは別にしてイタリアは高いから持ってきてもいいだろう。としても、例えば日本で自分が商品化したもののサンプルとかそのまま捨てたくも使いたくもないし、子供の頃からの大量のアルバム類もそのまま置いておきたいし、生まれた年のお祝いにもらった10段(だったっけ?)飾りのひな人形なんてデカすぎて持ってくる気も起こらないし、収納場所もない、しかし処分は呪いがかかりそうでこわい(実際いわくつき日本人形なのである!)。 どちらかというとわたしは畳の上で死にたかった。しかし自分で選んだ国際結婚。 こうして来年にはわたしにはイタリアに永住する選択しか残されなくなるので、それなりに日々、覚悟を決めるように努めているのだ。 だというのに老後、住んだこともない、住みたくもないエクアドルに行く? おっと「ぼくももうイタリアはうんざりだ。今すぐにでも帰りたいんだよ。」 その気持ちはわかる。わたしだって、こんなに住みにくいイタリアなんてうんざりだ。でもおっとという存在があるから仕方がないし、なんとか快適な生活を作るためにメンタリティを変えようと努力しているんだ。だから、だから。。。。。 それってあまりにも自分勝手で不公平じゃないかっ!? おっと「落ち着いて。じゃあ、こうしよう。君のお母さんと同じように君が先に死んだらぼくとミーちゃんとでエクアドルに住むために今から家を買うってことで。」 。。。。。。。。。。わたしはあんたの先に死ぬ予定かい? そんなにわたしがうっとおしい? たぶんおっとも我が父のように、わたしの承諾が得られないなら独断でエクアドルに家を買ってしまいそうな勢いだ。 わたしは自分を我が母に重ねた。小さい頃から彼女のようになるのが嫌で、あんなに反面教師として見て来たはずなのに。 気がついたら似ている自分に激しく嫌悪した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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