テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:エクアドル人のおっとを持つと
11月3日
というより11月2日深夜。 ここから先はお食事中の方は読まないでください。 レストランから上機嫌でホテルに帰ったわたしたち。このままシャワーを浴びてぐっすり眠ろうかと思ったのだが、おっとたちは実はレストラン待ちの間にコーヒーを飲んだバールで2本も酒を買い込んでいた。(イタリアに深夜営業のスーパーなどはない。しかしちょっと割高だがバールのカウンターで深夜でも酒が買えるのだ。) 彼らはこれから酒盛りをするらしい。妊婦のわたしは当然パスである。 なのでおっとは鼻歌を歌いながらジョバンニたちの部屋に消えていったのであった。 はああああああ。。。。。。やっとこれで、 やっとこれで やっとこれで ゆっくりトイレに行くことが出来る! ジョバンニたちがイタリアに来てからと言うものの、家でも外でもせわしがなくて、すっかり便になってしまった。 まあ、毎回旅行となると環境も行動時間帯も食べ物もずいぶん変わるからいつもこれで悩んでいるのだが、イタリアは特に外のトイレはどこも汚いのだ! ど~して使用後流さないの?というのはたまに日本でもあったが、 ど~して便座までびしょびしょなの?とか ど~して便器に便座がないの?とか ど~して便座にヒールのかかとの跡がついてるの? というのが結構当たり前なのである。こちらの女性はどんな姿勢で用を足すのだろうか? もちろんこんな便座に座る気になんかなれず、あまりに汚いと我慢してしまうか、中腰でさっさと済ませてしまう。 しかしこのホテルの部屋のトイレは現在わたし専用。 ピカピカに磨かれた便器のふたには「消毒済み」と書かれた紙たすきが巻かれていて、わたしは気持ちよくそれを取り、やれやれと腰を下ろした。 10分経過。 出ない。 30分経過。 出そうで出ない。 1時間経過。 いきみすぎたためか、なんか肛門のあたりが変だ。おそるおそる触ってみると(←汚い話でスミマセン)、腸がちょっと出てる? OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!?????? わたしは焦ってパニックに陥った。え~と、え~と、そうだ水をがぶ飲みすれば中身が出て腸が戻るかも?! 2L入りのミネラルウォーターを手に取り自棄飲みする。 しばらくすると次第にもよおしてきた。だが残念ながらそれは大ではなく小のほうである。 しかし。 今度はいくら頑張っても小も出なくなってしまった。 大は出なくてもまだ我慢できるが、小が出ないのは地獄である。 破裂しそうな膀胱を抱えながら、部屋とトイレを行ったりきたりしていると、おっとがベロベロに酔って帰ってきて、トイレのドアを開けぱなしで用を足し始めた。(人様には見せられない醜態である!)その勢いのいい音がまた尿意を誘うのだが、出ないのだ!! おっとは服のままベッドの上に寝転がるとすぐに大いびきをたてて眠り込んでしまった。 くっそ~、妻がこんなに苦しんでいるのに。 わたしは次第に弱っていき、もうトイレに立つ力もなくなって、脂汗をかきながらベッドの上で気持ちよさそうに眠るおっとを睨んで「う~んう~ん」とうなるしか出来なくなってしまったのである。 朝5時ごろ。 おっとは酔いが醒めたらしく、起き上がってパジャマに着替え始めたので、ついにわたしは「おっと、おっと。。。」と弱弱しくおっとを呼んだ。 おっと「ど~したの?」 わたし「調子が悪い。病院に行きたい。」 おっと「ま、まさか、陣痛?!」←ここで完全に目が覚めたようである。 わたしは「違うの。。」と恥ずかしながら状況を説明する。おっとはやや冷めた目になり「え~、大げさじゃないの?そんなことで病院なんて。ミラノに帰ってからかかりつけ医に行こうよ。」 わたし「きっとこの状態でミラノまで帰れないと思う。」 おっとはこの後、腕を組んでわたしの状態を見て考え込んでいた。「でもさ、こんな初めての町で病院なんて知らないし、かといって救急車も大げさだよねェ。。」 そうやって悩んでいる間に7時になり、ベロニカが「朝ごはん食べに行きましょうよ。」と部屋の扉をノックした。 ベロニカ「あれ、いくきーとどうしたの?」 おっと「昨夜から調子が悪くなったんだよ。で、病院に行くかどうか迷っているんだ。」 ベロニカ「何言ってるの!すぐに救急車を呼ぶのよっ!!」 ここからは早かった。ベロニカがフロントで救急車の手配をし「後10分で来るから。」というので、力を振り絞って起きてパジャマを脱いで、おっとはバタバタと荷造りをした。 救急隊員がどやどやと担架を持って部屋に入ってくる。脈拍を測りながら「どうなさいました!?陣痛ですか?破水ですか!?」 わたし「。。。。い、いえ。」知らない人にまで状況を説明するのが恥ずかしい。しかし彼らはさすがにプロで顔色ひとつ変えずにうんうんと聞いてくれる。 おっと「やっぱり、救急車なんて大げさですよ。。ネ?」 救急隊員「いえ、奥さん脈が普通よりだいぶ低くなっています。それだけ具合が悪いということですよ。」 そうなのか、と私自身も思ったが、おっとはそれを聞いてショックを受けたようだった。 この日、長いイタリア生活でわたしははじめて救急車に乗った。日本では一度体験したが、イタリアの救急車は 運転荒い! 振動が激しい!! 膀胱にがんがん響く。身をよじりたいが、痛くてそれもかなわず。。。。と思っているうちにある病院の救急棟に担ぎ込まれたのであった。 さっそく待機していた救急医師数人が駆けつけてくる。「どうしました?陣痛ですか?破水ですか?出血ですかっ!?」 わたし「。。。。い、いえ。」何度も状況を説明するのが恥ずかしい。しかし説明が終わるとプロな彼らはポーカーフェイスで「ちょっとお待ちください。」と書類を作成しにいった。 わたしはようやく少し落ち着いて廻りを見渡した。わたしの隣には50歳半ばぐらいのおばさんがいびきをかいて寝ていた。。。と思ったら、急にかっと白目をむき、「あああああ~」と全身を痙攣させはじめたのでびっくりする。 看護婦のひとりが慌てて飛んできて「ちょっと~、この女性の担当は!?」とおばさんのベッドを押して走っていった。 ああ、やっぱり大げさだったかなあ?と後悔していると、わたしのベッドは診察室に運ばれた。 ベッドの上から女医に状況を説明する。女医はふんふんとうなずいて、「じゃあ一気に人工的に大小出しちゃいましょう。」と言って、研修医らしい若い男性を呼び、「浣腸と、チューブと。。」と手配しているのが非常に恥ずかしい。 女医「ところで、あなた日本人みたいな名前ね。」 わたし「??そりゃ日本人ですから。」 研修医が「恥ずかしいセット一式」を運んでくると、今度は別の看護婦が現れる。 この看護婦、まるでわたしを恐喝するかのように顔前でゆっくりと区切りながら大声で「よく聞いて!今からわたしはあなたにこのチューブを刺すからね、わかる?これよ、これ!!」というのでびっくりしてしまって「わかりますけど、だからわたしは何をしたらいいんでしょう?」とおそるおそる尋ねてみた。 看護婦は急にきょとんとした顔になって「あら、この娘イタリア語がわかるわ。」 女医「その娘日本人で、ミラノから来たのよ。」 わたし「???」 ここから先はあえて説明しない。とにかく寄ってたかって人工的にお腹の中の大掃除をしてもらったのである。 この後、妊婦ということで産婦人科の診察を受けに外来病棟まで運ばれた。そこで今までの「???」の謎が解けた。 そう、この病院は中国で、なぜかイタリア人医師が働いているのである! もとい、患者の95パーセントは中国人なのだ!! 特に産婦人科病棟の待合室では中国人夫婦がごったがえしていて、イタリア人看護婦が「男性はここから立ち入り禁止と言ってるでしょう、もうっ!!」と声をからして旦那さんたちを外に追い出していた。 診察を受ける前に「モニトラッジョ(日本語がわからない)」というものを受けたのだが、ここでも中国人妊婦がひとり、書類を作成されていて母親が付き添っていた。娘はまったくイタリア語がわからず、母親がたどたどと説明しているのだが、どうやら保険証どころか滞在許可証も持っていない「闇移民」のようである。 きっと、こんな中国人ばかりだから「日本人であること」と「言葉が通じること」が驚かれたのだろうなあ。でも昨夜の散策ではまったく中国人なんて見なかったのに。 やっと診察の番が来た。胎児は異常なし。 医師「これからミラノに帰っていいけど、ゆっくり運転してもらって、まめに休憩をとってトイレに行くんだよ。」 わたし「。。わかりました。」←まだ恥ずかしい。 医師「あ、それから君たち東洋人の主食の白飯はお腹の中の水分を吸収して膨張するから、出産まで食べないように。」 わたし「ええ~っ!!??」 これはショックだった。ほぼ毎日、おかずとご飯を食べている我が家は明日から何を食べたらいいんだっ!? 診察室を救急棟の看護婦に付き添われて出ると大勢の中国人の男性軍に混じってひとり南米おっとが心配そうに待っていた。 わたしが「みーちゃんは大丈夫だったよ。」というと、おっとは顔を真っ赤にして半泣きになって「ごめん、ごめん。」と謝っていた。 こうして、午前中の予定だったフィレンツエ観光は完全に潰れ、わたしたちはそのままミラノに帰ることにした。最初の30分はおっとが珍しくミュージックも流さず、ソロソロと運転していたのだが、早朝からの緊張で疲れていたらしく次はジョバンニに運転が替わる。 この時点でわたしの療養タイムは終了した。 ジョバンニはラテンミュージックをいつものおっとの倍のボリュームでガンガンにかけ、高速道路上で手拍子をとり、アクセルとブレーキを器用に踏み変えながらクルマを踊るように前後させて運転するのである!! おっとの運転中にはぐったりと眠りかけていたわたしも、おっともベロニカも「うるさ~~~~いっ!!!!」と耳をふさぎ、全身をぴりぴりさせて下手な事故を起こさせないようにするのが必死だった。 まったくこの野郎、2年前にも思ったが、もう2度とうちに来るなっっっっっっっ!! こうしてわたしの出産前最後の旅行は幕を閉じた。妊娠後期に旅行なんて、我が家の場合は少々無理があったようだ。 あ、現在は平和な日常が戻って、病院に行ったことがウソの様に快腸です。 おわり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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