テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:自分的に、こう思う
毎回おひさしぶりです。日本から帰ってきて早くも1ヶ月と1日が過ぎてしまいました。
うちのRyu、6ヵ月半が過ぎました。 離乳食はまずいのか、なかなか食べてくれず、寝返りも未だに打てませんが(というか出来るのだけど面倒くさくてやらない感じ)、ずっしりと重くスクスク育っております。 最近「マンマ、マンマ」と連発するのですが、これは最初の言葉として数えて記録していいのか、ワケがわからず言っているそれとも赤ちゃん語なのか、悩むところです。 しかし「後追い」っていうんですか?起きているときは5秒以上、やつから離れると泣き出すので何にも出来ません。一日一回1時間ほどのお昼寝時に家事を済ませるのが精一杯。 だから、ボローニャのNaocciがまめにブログを更新してすごいな~、と感心していたらNarちゃんは「一人遊び」がお上手らしい。いいな、いいな~。 うちのRyuの辞書に「一人遊び」という言葉は存在しません。 ***** 4年ぶりの帰国で気がついたこと。 最初の一週間、ろくに話せもしないイタリア語なのに、イタリア語から日本語に頭の中で訳してからしゃべっている自分がいた。 例えば「わたしはこう思います。エクアドル人はヤギだと本当に。」などと変な文法でしゃべってしまったり。 イタリアじゃ日本人と普通に話しているのになあ?イタリア語を混ぜないように、と思っていたからなんかいつも緊張してしゃべっていた。 イタリア出発まで肌荒れに悩んでいたRyuのお肌が滞在2日目にしてつるつるに!!さすが軟水の効果である。イタリア人たちはこぞって「日本人って肌がきれいね、食べ物が違うからね。」と言うが食べ物よりも水が重要だということを実感したのであった。 わたしも髪がぱさぱさで悩んでいたのが、イタリアに帰る数日前にはサラサラツルツルになってきたので、勢いで日本で流行り(?)の「ふわくちゃパーマ」なるものをあてたのだが、こっちに帰って来て一ヶ月。くちゃくちゃパーマで浮浪者のようになってしまった。 滞在中で使い捨てるつもりで擦り切れかけたソックスやパンツばかり持っていったところで気がついた。 日本ではどこでも脱がなければならないのだ! 幸にも不幸にも、パンツに関しては銭湯や温泉に行く機会はなかったのだが、ソックスに関しては実家、友人宅、医院、和風レストラン。慌てて新しいソックスとパンツを買いに走った。 しかし靴を脱がない生活に慣れてしまうと、日本の生活は不便だ。 外と室内で段差があるようなところだと大丈夫なのだが、最近バリアフリーのところが多くてつい、そのまんまあがりそうになる。 それに実家、友人宅はともかく誰が何人履いたかわからないスリッパに履き替えることにすごく抵抗を覚えたのだ。 それとまあ予想はしていたが、どこにも行けなかった。 それで家でTVばかり観ていたら関西だからか? 朝から晩までほとんど食べ物の番組ばっかり。。 5週間もいながら一番遠いところで近所のマイミク、さくらちゃん夫婦にピッカピカの左ハンドルのアルファロメオ車で連れて行ってもらって大阪の友人宅。 ドアツードアだったから、大阪らしい景色はチンチン電車の線路を車窓から見ただけ。 電車は隣駅の自動車教習所まで一度乗ったっきり。 Ryuを連れて近所ばかり散歩していて気がついたが、最近の日本の個人宅の庭はこぞってイングリッシュガーデンのようにきれいな花が咲き乱れ、柵のない家も多く、そうやって美しい庭を見せている家が多い。 これをミラノでしたら。。。。? そういえば、ミラノのあるロータリーに市がバラを植えたところ、一晩で根こそぎ持っていかれてしまい、替わりに安いベコニアとかを植えるようになったニュースを見た。 うちのような田舎町のロータリーもラベンダーが植わっているのだけれど、よく普通に摘みに来ているひとを見かける。 柵のない家なんて、泥棒に「入ってきてください。」と言っているようなものだ。 これから見ても「日本って平和なんだなあ。」としみじみ思った。 さて、ともかくどこかに行きたいわたしは、ここ2~3年で出来た近所のイーオンにばかりRyuの散歩で通っていたら、しまいにRyuはイーオンの入り口に入るなり泣き出すようになってしまった。 しかし、こんな奈良の田舎にまでいろいろな友人が、遠くは東京、城之崎のひとまで会いに来てくれてうれしかった。そして出会いの場はいつもイーオンの食堂街(実家に来てもらうと、母がわたしの友人の値踏みをするのがイヤなので。)。 イーオンさま、本当にお世話になりました。 あ、それから例外として、実家に日本在住86人中、関西在住4人という、希少なひとりのエクアドル人マルちゃん(偶然にもおっとと同名。)と奥さんのマイミクびーちゃんが来てくれたときには(初対面!)わたしの中のエクアドル人像がちょっと変わった。 ところ変われば、性格も変わるのか??ヤギのお約束であろう、ビールを飲まなかったのでダースで買っておいたビールはその後、徐々に父の腹の中に納まることとなった。 彼のその身のこなし、振る舞いは日本人以上に和を感じさせるおだやかなひとだったのだ(実際、お茶と着物の着付けが出来るらしい)。 わたしの知っている日本人と結婚しているイタリア人も、ほとんどは同じような雰囲気を持っているけれど、彼は彼ら以上に日本人ぽかった。 でも彼らの去年の結婚式のときのアルバムを山のように持ってきてひろげたときには、「やっぱりエクアドル人だ!」と思ったけど。。。笑 写真で見たエクアドルのキトの郊外で挙げた結婚式が素晴らしくて、幸せそうで、新婚旅行のエクアドル旅行も、本当に楽しそうで、わたしたちの新婚旅行で「もう2度と行きたくない!」と思ったエクアドルに行きたい気持ちにさせてくれたのでつい、「次は一緒に行こうよ!あっちで落ち合おう!!」と叫んだら、なんだかうれしくなってしまって3人で鳥肌が立ってしまったのである。 変わったのはエクアドル人像だけではない。 イタリアに住む知っている限りのエクアドル人を言葉にするなら「なんでも食べてしまうアホなヤギ」か「ひと慣れしたたちの悪い野性のサル」なのだが、TVで人気のジェロさんや、その後、またまたさくらちゃん夫婦に連れて行ってもらった生駒山にある牧場つきのスリランカレストランのスリランカ人、大阪の友人宅で知り合ったガーナ人などを見ても、日本に住む外国人って、おだやかで普通だと思ったのである。 ってか、以前はこんなに簡単に近所で在住外国人に遭遇することなんてなかった。 それに今回の日本帰国ではこちらではRyuを預けるひとがいないから行けなかった医者にまとめて行くこと、RyuにBCG接種を受けさせること(ちなみにイタリアでもかかりつけの小児科のレシピを持ってASLに行けば有料で受けれるそうですよ、イタリア在住の小さい子持ちのお母さん方。)も目的だったので、市役所に保険証を作りに行ったら、たまたまアメリカから帰ってきたばかりという女性も保険証を作る列に並んでいて、日本もインターナショナルになったものだと思った。 うちのおっとも、もし日本に移住したら、性格変わるだろうか?ちょっと真剣に日本移住を考えてもいいかもしれない。。 そういえば滞在中にブラジル移民100周年にあわせてか?日本に移民を受け入れよう、とニュースで政府が推進しているのを見て疑問を感じた。 確かにきつい仕事の職人職などが後継者不足だから外国人を受け入れよう、というのはわかる。 イタリアも数年前、安い労働力としてどんどん移民を受け入れすぎて外国人が飽和状態になり、外国人犯罪が増えて今度の選挙では「移民を叩き出せ!」などと過激なスローガンを掲げる政党も出てきた。 受け入れてしまうのは簡単だ。でも増えすぎたから「追い出せ。」はかなり勝手だと思う。 そんな移民のひとりと結婚して自分自身もイタリア移民になっている自分が書くのもなんなのだが、 せっかく日本は島国で、陸ルートで不法に外国人が入ってくることがないのだし、やはり移民に関しては今までどおり慎重に受け入れて欲しいものである。 話は変わるが、Ryuがいることで日本にいた間も、こちらでも知らない人に気軽に声をかけられるようになったし、今まで気がつかなかったようなことにも目が行くようになった。 近所では結婚して遠くに行ってしまった小学生時代の友人などが「1ヶ月前から実家に住むことになったのよ。」とイーオンで声をかけてきたり、逆にわたしから「もしかして、◎◎ちゃん?」と声をかけて旧知の仲が何十年ぶりに戻ったり。 イタリアではRyuを見るとたいていのひとは手をひろげてニコニコしながら「まー、可愛い!」と近づいてきてRyuの足やら手を「コザチェ、コザチェ、?(何よ、何さ?)」などと言いながら握ってブンブン振ってくるのだが、 日本では例えばイーオンのエレベーターから降りようとすると、すれ違いに乗ろうとした人が、Uターンしてはたっと戻ってきてじっとRyuの顔を凝視して「あ、可愛い。」とつぶやいて(にこりともせず)私の顔を「親子なのに親はブスね。」というような目でちらっと見てエレベーターに乗り込んだり、 またもやエレベーターの中でじっとしていると隣に乗ってきた女性がRyuをじっと見ながらぼそっと「目。。。。大きいですよ、ね?」とこれもまたにこりともせず言って来たり、 100均の店をうろうろしていたら「あの~、そのベビーカーおいくらぐらいでしたか?」と声をかけてきて「あら、可愛い坊やね。」と付け足しのように褒めてくれたり、 ところ変われば、赤ちゃんとの接し方も変わるものだと思った。 そうそう、帰りの飛行機では九州からの団体旅行のおばさまたち、Ryuをたんとたんと可愛いがってくれてありがとうございました。Ryuも上機嫌で頭がおかしくなったのかと思うぐらい笑い続けていましたね。 反対に空港まで迎えに来たおっとが「ベントルナート(お帰り)!」と駆け寄ったとき、すっかり日本語漬けになったRyuがけげんそうな顔をしたのをお見せしたかったです。 家に着いてドアを開けたら、雨だったので部屋いっぱいに洗濯物が干されていた。5週間前に出したクリーニングは到着した日の日付で受け取られていた。冷蔵庫で5週間前の人参にかびが生えていた。 おっとはこの5週間、何していたんだ? トイレに座ったら、便座が冷たくて飛び上がりそうになった。日本のはいつも温かいし、便座シートがあるものなあ。 まだ腱鞘炎が治らない。日本で通っていた鍼灸医院のマッサージが恋しい。 気がついたのはこんなものかな? では次、またいつになるかわかりませんが書きに戻って来ます! 写真左は日本の元会社の同僚たちからお祝いにもらったバギー。写真右は生まれたときに買っためちゃくしゃ重いイタリア製。 ★売れてます~!★代引き料無料♪リッチェル ベビーバギーファインアール-WL レッド(R) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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