No.4 チンチアとの出会い。南米との接触
しかし、引越し魔は相変わらずで私は次々に家を代えていった。 そして最後から2件目の家を出て行く2ヶ月前から私の部屋に入る次の子が「もう住むところがないから。」と入ってきて共同生活がはじまったときから少し変わった。 そのこはチンツィアという。 サルデーニャ出身でペルー人のだんなさんと離婚がこのほど成立して一緒に住んでいた家を出てきたとのことだった。 彼女の引越しに何人かの南米人の友達が手伝いに来た。 イタリアに来てEU圏、韓国の外国人はたくさん知り合ったが南米人ははじめてだった、というよりこんなにたくさんいたのに今まで視界に入っていなかったということにこの時気づいたのだ。 彼女は明るくて、姉御肌で、いつも私やシェアーメイトに南米の面白い話や、冒険味あふれる体験談を聞かせてわくわくさせた。 南米ってどんなところだろう?行ったことがない未知の国に興味がわいた。 そんなある日、彼女が「こうやって友達になったのも何かの縁だし、ねえ、どこかに一緒に遊びに行かない?」と彼女の南米人友達たちと遊園地ガルダランドに行くことになった。 私の中で南米人イコール背が低くて浅黒くて筋肉質。という公式があった。確かにそのとおりだった。 この日来た南米人は女の子1人を含めて5人。 エクアドル人4人とペルー人ひとり。 この日、はじめてエクアドルという国の名を聞いた。 ペルーの上、赤道直下の国。 実をいうと自称イケメン好き(??)の私はこの日のメンバーをみて心のなかでがっかりしていたのだが、ひとりだけひょろっとしていて色が白いなかなかかわいい男の子がいた。 このコもエクアドル人。この時、はじめて南米はいろいろな人種が混ざっていることを知った。 彼はイタリアに着いて3日目という。 しかし、皆な考えることは一緒でとうぜんスペイン語のうまいチンチアは自分が連れてきた新しいペルー人の彼氏もそっちのけでもうこのコにべったり。(これだからイタリア人はわからない) おかげで本命のペルー人の彼氏と大喧嘩となり、彼は遊園地に着くなりいなくなってしまった。 それに比べ、スペイン語はおろか、イタリア語もまだままならない私は彼とほんの2,3言言葉を交わしておわり。 もうひとりのシェアーメイトとはスペイン語とイタリア語が似ていることもありなんとかコミニケーションを取っているようだった。 まあ、それなりに皆な言葉がままならなくてもジェットコースターやアトラクションを楽しんでミラノに帰った。 私はその3日後に新しい家に引越した。 そのままこの南米人たちとはもう、会わないだろうなと思いつつ、実際彼らのことはすっかり忘れ、時が過ぎたのだった。