昨日行われた米朝首脳会談
その評価は、後世の歴史家が下すであろう。
従って、私は、言いたいことは当然山積しているが、あえて評価を控える。
後世の歴史家が第二のチェンバレンと評さないことを私は希望する。
チェンバレンは、「私ならヒトラーを変えられる」こう本気で考えていたことは、現在では明らかとなっている。
その後、チャーチルは「第二次世界大戦」について「避けられる戦争だった」こう述懐していることは記憶を呼び起こしておくべきであろう。
こう記しておけば、現状における私の考えは理解していただけるものと思う。
さて、米朝首脳会談に対して、安倍総理が「感謝」の意を示したことに、違和感を持たれる方もおられようが、外交儀礼として、そのようなコメントを発するのはやむを得ないことである。従って、このコメントをそのまま受け取り、安倍総理への批判の材料とすることは不正確であり、不公平であろうと思う。
さて、朝鮮民族は歴史が示すように「騙される者も悪い」このように考える傾向がある。この民族性について、CIAは二流の諜報機関であるがため、そこまで分析不可能だったのかもしれないし、米国のお人好しの面が顕著に示されたのかもしれないが、まあ我が国としては、昨日なされた「米朝合意文書」なるものに拘らずに(我が国がこの文書に拘束される謂れはない)レイニーデイに備えておくことが重要である。
(ちなみに一流のインテリジェンス機関とはイスラエルのモサド、英国のMI6である。これはCIAを不当に評価するものではなく、一般的にその筋の専門家はそうみなしており、常識的な見方を示しているにすぎない。)
安全保障分野においては、「心配して心配して何もなかった」という状況が最高の状況なのである。
さらに言えば、「インテリジェンス情報は錯誤の葬列」である。
この二点は強調しておきたい。
インテリジェンスに関心をお持ちの方はとりわけ、二点目を忘れがちになる。
今回米国側が「CIA」を中心に「事前交渉」を行ってきたことは多くの方々が指摘しているところであり、その通りである。では米国国務省が前面に立てばよかったのかといえば、ブッシュ政権時代のライス、ヒルの例を思い出していただければよいであろう。「国務省に任せておけばよい」という批評は的外れである。ということはおわかりであろう。
米国は、朝鮮半島に対してさしたる関心を示していなかったし、関心を示した歴史もきわめて浅い。誰がやっても。というのは酷であろうが、せめてなぜシナが他地域に対しては侵略し、併合してきたにも関わらず、朝鮮半島に対してはできるのにしなかったのか?これを考察しておくことが、朝鮮半島を理解する上で極めて重要な要素であると思う。残念ながら、我が国は必要に迫られてという面があるが、朝鮮半島を長い付き合いであるにも関わらずに誤解していた時期がある。
私は「朝鮮半島」に対する米国の無理解が、南北分断を生じさせたことを指摘しておきたい。
米国は、大東亜戦争時、朝鮮半島は連合国委任統治としておけばよい。その程度の認識であり、赤化防止のためには、朝鮮半島に部隊を集結させて、日本に攻め込む必要があった。だが、彼らは南方の島伝いに我が国を攻め、た。
当然、赤化防止の最前線に立っていた日本。つまりは日本のおかげで、赤化しなかった。という一面にはまったく無頓着だったのである。そして、シナの偽宣伝に騙され、「日本が悪の元凶」こう思い込まされてきたのである。米国の歴史コンプレックス、歴史への無知からくるシナへの憧憬がその背後にある。
米国は朝鮮半島に関して無知である。これは非難ではなく、これまでの行動に対する正当な評価であり、これは過ちであるが、当時の米国はそう考えていた。ということを述べているにすぎない。
まあその米国だから、あのような「曖昧な合意」に至った。
ということは十分にいえるだろう。
勿論、外交には続きがある。従って、誤りであればそれを正していく、あるいは「外交にラストワードはない」といわれる外交の奥深さもある。(ただこのブログでは何度も言うが、外交も戦争も目的とするところは相手を自らの思うように変えさせる。という点にある。戦争は絶対悪であり、外交は絶対善であるなどという幼稚な思考からはこの厳しい原則は見えてこない。
外交とは
軍服を纏わぬ戦争である。
力なき外交は無力である。
この程度の常識くらいは弁えた上で今回の会談については評価すべきである。
文責 上田 和哉