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2018.08.24
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カテゴリ:カテゴリ未分類
日本の他に世界、国際社会があるわけではなく、「日本」はその一部である。
このような見方に立つと、仏国で、「仏国がやら兄ことは、世界(の大国)がやっているわけではない」という極めて独善的にも感じる主張もまた成り立つことがわかる。(これはわが国では、多くの国が、あるいは一部の国が「国際標準」だなどと言い始めると、たちまちのうちに「わが国でも始めなければ」あるいは「わが国は遅れている」と感じやすい発想の対比として用いたまでである)

もっとおたおたせずに、我が国の良さをしっかりと知り、そのような美徳の下で成り立っている社会に自信を持てばよいと思うのだが、明治開国の際にも「わが国には歴史がない。すべて学ぶだけ」といった庶民の声もあったようである。(まるで戦後日本と同じようにも感じる。だからこそ、まあ日本人らしい発想とは言えるのだろう、その意味においても、日本は戦前も戦後も変わらない国ではある。明治時代に我が国の誇るべき文化が多く海外に流出してしまったことはその証左であろう。)

勿論、江戸時代が世界から完全に遅れていた社会ではなく、基礎知識としての基礎が出来上がっていたからこそ、飛躍することができたのだが。。。
(ペリーがその日記の中で、日本人についてほかの土人とは違う。と書いている。)

しかし、取り入れ方の比較として「鉄道」に関する朝鮮半島を掲げると、同じように「外国人の雇制度」のようなものを同s住していたが、我が国は外国人が辟易するくらいに熱心に自らのものとし運営していった。一方朝鮮半島では、外国人に任せっぱなしであったという。

だが、明治時代には、世界の知識を習得しても、我が国の美徳は世界に誇るべきものであり、なんら恥ずかしい思いをする必要はない。と考えた有識者は少なくなかった。だからこその「和魂洋才」であり、早く技術を身につければよい。そのような発想になる。これは「和魂漢才」と言われた時代もそうである。その後我が国こそ「中華」なりと称することすらある。)

少し「女性」に関しても記しておきたい。どうも我が国は世界に比べて「男尊女卑」の傾向が強いなどとマスメディアなどは書く。

本当なのであろうか????

まず、我が国では「源氏物語」や「枕草子」のような女流文学が「平安時代」から存在していた。その他の世界で「女流文学」などが登場してくるのは、それから千年くらい後なのではないだろうか???

時代を進めて、ペリーが来航した時、彼は女性が立て看板を平気で読んでいる姿に驚愕している。当時米国ではほとんどの女性が文盲だったのである。朝鮮半島では、我が国統治以前少なく見積もっても八割程度が文盲だったといわれている。(お分かりであろう。あの嘘だらけの韓国版大河ドラマの数々)

ハングルを奪った。などというのも真っ赤なウソであることがわかると思う。(奪う言葉すらなかったとさえいえるのだから。。。)漢字ハングル交じりは、我が国から学んだものであり、これによって表意文字と表音文字を合わせて使えるようになる。わが国にでは「古事記」が全文漢字を使っているが、表意文字としての漢字と表音文字としての漢字が見られ、その後のカタカナ、ひらかなへの変化は、そのような歴史あってのことである。)

我々日本人は、カタカナを用いて、自由自在に商品名などを表記できるのはありがたいことである。「漢字」だけで商品名記すシナは大変な努力がいまでも必要である。

閑話休題

「武士道」を英語で記した新渡戸稲造などは、「日本人の美徳」としての武士道を記したものであるが、「女性」についても記されており、その中で「内助」に対する使命感(使命感とは自由意志である)が記されている。それはただの付属品ではない。その外の外国人の日記からも、世の中で信じられているような「家庭に縛りつけられていただけの存在」ではなく。もっと生き生きとして自由であったことがわかる。

わが国では女性が「財布」を握るのが当たり前のようであるが、西洋では「女性には任せられない」というようなはっきりした「差別」が横たわってりる。

我が国は、女性を昔から蔑視していた。などというのが、いかに薄っぺらいものであるかがわかるだろう。

だからと言って、私は「女性の地位向上」なるものを軽視するつもりはない。だが「差別」の裏返しとしてのアファーマティブ・プログラム(強制的引上げといってもよいだろう)にはかなり疑問がある。

「黒人差別」から転換するアファーマティブ・プログラムは米国の「良心」とは言える。(仏国のようにフランス語をしゃべれない黒人に仏国籍を提供しているのだから、あとは同等にするべきだ。(結局、まともに就学・就職できないことになる)というものとの比較でえはあるが。。。

その仏国では、男女同数の議員をい作るために「男女」をひと組にした立候補というシステムを一部で同にゅぢたというが。。
(結構仏国というのはおもしろい発想をする国である)

「差別からの反省」
これは明らかに、我が国と海外では異なる歴史・事情であることをしっかりと押さえた上で、我が国の女性にとってどのような社会が望ましいのかを考えればよい。議員という自らが社会進出、地位を得たい。とう発想をもった方々だけではなく、女性としての「本心」を訴えっるべきであり、「自由」とは「義務」「責任」が伴う事をもしっかりと伝えてもらいたい。

東京医大の入試に関して、「男女差別」と言われているが、そこばかりに注目するだけではなく、女性の離職率、女性医師の科別偏在性に関しても正確な情報を伝えるべきであろう。(「批判するのは当然であるとは思うが、では医師不足、地域の医師不足などに我々はどう対応していくべきなのであろうか???東京には新規の学部創設を認めないということを批判する小池知事だが、Uターンはどの程度の比率で起きているのか。Uターン内外は、地方の人材を東京独占という意味でもあることくらい理解すべきであろう。(まあ東京都知事の立場として、言っておかなければならない。という事情は斟酌できるが。。。)

何か「差別」と言われてしまうと「それはだめ」との結論に.誘導されるように思われるが、「では本当に自由意志がはびこる社会をどこで抑制するのか?をも同時に議論すべきであると思う。(入試という公平性が重要とされる場で、なにも公表せずに闇の中で処理したことは、大いに批判すべきことである。)

「女性」については、これで終わりとしたい。

我が国では、スポーツでも「道」と表現する傾向があるいが、それはわが国が島国であり、自らのクンに伝わってきたものを、そのまま外に出すのではなく、自らのものとし、そこに魂を入れざるを得なかったという事情もあろう。勿論、べてのものが、我が国に留まったわけではなく、稲作のように我が国から朝鮮に伝えたものも少なくない。

また現在、シナで使われている言葉の七割以上が、我が国が伝えた「言葉」でもある。漢字を使っているから、などという引け目など全く無用である。

私は、「日本史」なる鏡花が、我が国は何でも外から取り入れた国」であり、自らのものはほとんどないかのような記述がなされることに反対である。我が国は積極的に海外のものを取り入れてきたし、送り出してもいる。当たり前のようだが、いまだに少なからぬ方は知らないままである。

「何でも外から取り入れてきた国」といった発想が、日本人を縮こまらせている。そのように思う。もっとどっしり構えればよい。そのように思う。

まず、我が国の良さを「知る」このことによって、国際社会の中で生存競争が戦えるのである。

その生存競争が行われている国際社会では、いま大きな変動期を迎えている。

2018.8.21 11:30更新
【正論・戦後73年に思う】
「頑健な日本」の姿勢を見せよ 明治大学名誉教授・入江隆則

 世界は目下、歴史的な大転換期に遭遇している。何からの転換かといえば、第二次世界大戦の長かった「戦後の時代」からの転換である。むろん「戦後は終わった」くらいのことなら、何年も、いや何十年も前からさんざん言われてきたことではある。しかし、当時の人々の目には「戦後」が終わったことは漠然と見えてはいても、その後に何がくるのかが必ずしも判然としていなかった。

 それがやっと見えてきたのがこの数年間の情勢であり、その意味ではやっと人々の目に「ポスト戦後」の姿が映じてきたようにみえる。それは世界有数の大国が、自分自身の内部に回帰していく時代として現れていると思う。

 ≪米国抜きの安全保障を考えよ≫

 まずアメリカであるが、トランプ大統領が述べた「アメリカファースト」という言葉について、いろいろ解釈もあるようだが、私はアメリカ大陸以外の世界からの関与からの撤退と考えればよいと思う。いわゆるモンロー主義への回帰だ。

 周知のようにモンロー主義というのは第5代大統領のジェームズ・モンローが1823年に述べた、アメリカとヨーロッパの相互不干渉を主張する外交政策の原則である。ここでヨーロッパが出てくるのは、ヨーロッパこそが当時の世界の実質的な全てだと見なされていたからである。

 従って、今日、同じことを言おうとすれば、ヨーロッパのみならず中東からアジアまでを含めた全世界から降りるということになり、それが「世界の警察官といった愚行は一切、やめる」というトランプ大統領の言葉になる。

 もちろん、直ちに在韓米軍を引き揚げるわけではないにしても、徐々にそういう方向にアメリカが動いていくことは確かだと考えなければならない。日本としても「アメリカ抜きの世界」の安全保障を今から考えておかねばならないだろう。

 ≪中国は復讐を意図している≫

 次いで中国だが、同様に自分自身への回帰に向かっていくと考えられる。しかし、それは中国が繁栄した時代だった14世紀から17世紀にかけての明帝国に還(かえ)ろうとしているかのようだ。明朝時代の中国は、鄭和の艦隊の大航海が象徴しているように東シナ海や南シナ海のみならず、インド洋からアフリカ沿岸までをも、その支配下に置いていた時代だった。だから現代の中国の世界戦略である「真珠の首飾り」や「一帯一路」といった海と陸からの大中華帝国に似た時代だった。

 同時に今日の中国には「世界列強への復讐(ふくしゅう)」という戦略があるのも見逃してはならない。これは歴史家のアーノルド・トインビーがつとに指摘していたところで、19世紀以後の中国は1840年にアヘン戦争が起こり、その半世紀後の94年に日清戦争が起こっている事実から明らかなように、世界の「列強」からいじめられてきた歴史がある。今日の中国がそれに対する「復讐」を意図しているのが、アメリカの先祖還りとの重大な相違である。

 ≪期待を裏切ってはならない≫

 では日本はどうか。思い出すべきは、第二次大戦後の日本人が自虐的な東京裁判史観によって“洗脳”された事実である。戦争に至る過程で「すべて日本が悪かった」というのがその考え方である。同時に戦後日本の「超平和主義」も、アメリカが日本の復讐を恐れて、日本人の頭にたたき込んだ結果である。この問題については、彼らが第一次大戦のドイツの戦後から学習した側面がある。

 第一次大戦の敗戦国だったドイツは、勝者だった連合国によってさまざまな外的、軍事的な拘束を課された。将校の数が4000人を超えてはならないとか、10万人を超える軍隊を持ってはならないなどの規制である。

 しかし裏をかくのはたやすいことで、例えば民間人に実質的な軍人としての教育を施しておけば、一朝有事の際には軍人をそろえることができる。したがって思想教育や洗脳が重要なのであって、それを敗戦国民に施して大成功を収めたのが、日本の戦後の特色だった。

 それでは洗脳から脱して、本来の日本を取り戻すためにはどうしたらよいか。記憶すべきことは、昭和20年8月15日までの日本軍は世界第一級の精強な軍隊だったことである。それは日本軍と戦ったアメリカ人がよく知っていた。だからこそ、「超平和主義の日本」を意図的に作り上げたのである。

 しかし、世界の人々は「毅然(きぜん)として戦った日本」を決して忘れてはいない

 戦後の日本が初めて遭遇する重大な国際紛争としての尖閣諸島問題に直面している今こそ、われわれは「頑健な日本」の姿勢を見せなければならないはずである。中国に対抗できる国は、東アジアでは日本しかないことを世界の人々は知っている。その期待を裏切ってはならない。(いりえ たかのり)

以上産経ニュースより引用

流石、入江先生と言いたくなるような一文である。
(米国モンロー主義にかんしては若干意見の相違はあるが。。。)

まず、多くの方々に、「世界では日本は期待されている」ということを知ってもらいたい。

いや、そんな声はあまり聞かない。という方々もおられるだろう。
それは我々が「関心」を寄せないからである。

東アジアにおいて、シナを脅威であると認識していたとしても、「日本」にそのまま「対抗できる国」として期待している。と言えるだろうか???(それはシナから敵とみなされかねない判断である)戦後日本は、このようなことを回避してきた国である。経済分野以外で「アジア」にどれだけ関心を寄せたのであろうか???

まあクーデターなどの政治事情には関心を寄せた方も少なくはなかろうが。。。

それよりも、「日本はアジアで悪いことばかりしている。申し訳ない。」このようなことばかり言っていることに彼らは失望している。なぜ戦前の日本を含めて、「日本のことが好きで仕方がないんだ」と感じている国々が多いことを知ろうとしないのか???
わが国ではアジアと言えばシナか韓国あるいは北朝鮮どまりであろう。もっとほかに目を転していれば、どれほど彼らが日本に期待したいのか。がわかると思う。(東洋史=シナ史となっていることに懸念を示してもらいたい。東洋史ならば、アジア諸国の歴史であるはずでありシナはその一部でしかないはずである。)

そしてその東洋史を学べば学ぶほど、我が国は大陸から様々なものを取り入れさせてもらった偉大な国であるかのような印象を持たせてしまう。シナの朝鮮半島における残虐行為の数々などなぜ教えないのであろうか?

戦時中に関して誰にとって不都合なのかは知らないが、その不都合な「事実」は報道せず、「あんな悪いこともやった、こんな悪いこともやった」こんなな報道ばかりでは、関心を持っても「恨んでいるんだろうな」としか感じないではないか。(勿論恨んでいる人々がいるのもまた真実である。だが、その理由として、われわれが感じているようなものではなく、西洋列強の豊かさの下で支配され、それが当たり前として思わせられていた時代、大国であったが、列強諸国と比較し貧しかった我が国では、彼らに与えるものというものが少なかった。ということである。「戦争下」それは日増しに強くなっていった。だからこその「不満」である。

彼らも起こったことがある。それはわが国が謝罪ばかりしていることにである。
(アジアで日本は良いことばかりしていた。などというのは間違いであると思うが、悪いことばかりやってきたというのも間違いである。両方当然あるのである。だから、謝罪する必要は全くない。というのも誤りであり、謝罪し続けなければならないというのも間違いである。そのような姿勢こそ、彼らを我が国から引き離すものである。結局は何も知ろうとしていないんだ。そう思わせるだけなのである。つmなりは関心を持っていない。ことが明らかになるのである。)

残念ながら、力によって支配し続けられ、「抵抗できる」という気持ちさえ奪われていた時代である。今からでは信じられないかもしれないが、インドネシアでも、多くは独立を望んでいなかったといわれているのである。

時代背景も、我が国が行ってきた事実を伝えることなく、「関心を持て」というのは無理な話であろう。

だが、我が国は期待されているのである。しかし、まだそれは確固たるものとはいえない。なぜなら我が国がいつまた戦後から続く「謝罪だけ」の姿勢に回帰してしまうのではという怖れである。このような国では期待されないのである。

戦後日本だけは「戦争をしなかった」
戦後日本では、当り前の「良いこと」であるかのように思われるであろうが、裏を返せば、せかいが苦しんでいるときに、日本は何もしなかった。ともいえるのである。

「戦争」「軍事力」によってしか解決できないことがあるということを、戦後日本人は見ようともしなかった。見ないことにしたのである。

アジア各国は、自らの存亡を賭けて日本を、米国を、シナを見ているのである。
(尖閣諸島に関して、彼らはその目で見ているのである。大国日本ですら、領土を一方的に奪われるようでは、とてもこれらの国々一国、またはいくつかの国がまとまっても太刀打ちできない。と感じるであろう。)
今現在彼らの声は「積極的平和主義って、日本が関与してくれるって本当に信用してよいの?」という段階であろう。だから、尖閣諸島はまならず死守しなければならないし、「わが国に任せておいてくれ」と政府も国民も一体となれば、「信用しても良いんだね」とそのような声が大きな声になって我が国に伝わってくるだろう。)

これはアジアについてだけではない。「価値観外交」を展開した谷内氏がポーランドなど多くの国でじかに「やっと関心を持ってくれましたね」と言われ、「待ってました」という姿勢を示してくれていたのである。

「関心を持ってほしい」ではなく、我々がまず「関心を持とう」
目を閉ざさないでもらいたい。
そしてわが国は、国際社会の重要な一員であることと共に、「日本」なのだと歴史からくる自信を」持って自覚してもらいたいのである。’我が国の歴史を一部だけ切り取って、あの時代は狐に酒を飲ましたような時代。と一部だけ切り取ることによって、善も悪もいっしょくたに捨て去ることはやめてほしい。それでは、いつまたそのようになるのか心配することにつながる。

いいことも悪かったことも、両方共が我が国の歴史なのである。歴史からも目をそむけないでほしい。嘘で固めた(固めざるを得ない)シナの歴史と我が国の歴史の違いは何か???

我が国は現存する最古の国であり、王朝を倒す以前の歴史を悪く書き、自らの正当性を主張し、他国を悪く書く必要がないからなのである。

また後日書くかもしれないが、「明」という時代、シナには歴史に残る「文化」が全く振るわなかった時代であり、シナの貨幣の中で最も質の劣ったものであった。という事実もまた記しておきたい。その意味でも中華人民共和国が明に似ているという入江先生の見方には覆いに賛同するところがある。

「明への回帰」など世界中から見ても、シナの奴隷(シナは皇帝と兵隊と奴隷からなるのがシナの歴史である。「国民」という意識がない。というよりも国家はいずれつぶれ、崩壊するのだから時の政府の言い分はそのときはオウム返しをしておけばよい。と感じているのである。

シナにとって支配とは「搾取」しか意味しない。のである。
もっとシナの歴史も学んだほうがよいだろう。

封建時代を経て「国民意識」が醸成されていないのである。米国も同様「中世」を経ていないのであるが、米国へ渡った人々は英国から来た人々が多数であり、その意味では「中世」を経験しているともいえる。それが違いとなっているような気もする。

だが、米国人は中華人民共和国が自らの国よりも歴史が浅いなどという感覚よりも「4000年の歴史」などという虚構に歴史コンプレックスから憧れをもっているようにも思える。
100年にも満たない歴史の国に「あこがれ」るのは不思議で仕方がないもだが。。。

またシナは、異民族によって、何度も繰り返し「制圧されている」
元朝、清朝などがそうである。(彼らは異民族による支配としているではないか)
(つまりは、南モンゴルや満洲がシナの固有の領土などというのがウソであることがわかるだろう。)

最も、シナとはいったい何であるのか
この定義すら学問的にも不明確なままであると思うのだが。。。)

文責 上田 和哉





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Last updated  2018.08.24 12:30:07
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