カテゴリ:今 思うこと
先日 父が、 八十八歳で亡くなりました
米寿でした 癌の手術をして 10年以上経ちました 結局、誤讌による肺炎になり 3週間あまり入院しました もともと肺炎があり…すぐに重症になりまして シルバーウィークのうちに、危ないだろう と…家族親類縁者呼ばれまして 私も、休みになるとは… 高速で 車を飛ばし… 最後のお世話に通いました 右肺が真っ白で、ほとんど機能してないということで 苦痛を和らげるために、 モルヒネの投与もありました まだ、意識もしっかりしており 言葉も聞き取れたときに 甥っ子夫婦と私達夫婦の四人が 病室にいるときに 父が、突然 こう言ったのです 『 人生の生きざま 祝詞(のりと) や 』 と。 私達四人は、 父が言う言葉を 一生懸命 聞き逃さないように 集中しました そして…この言葉を残しました 『 いしのねの やまほととぎす はるののに 』 四人で、一生懸命その言葉の意味を 考えました 単に…石の根の 山ホトトギス 春の野に こういう景色が浮かんでいるのかな? でも、 人生の生きざま って言うたよね いし って 意志 ともとれるよね 父は、一生のほとんどを 田畑仕事に、命を掛けていました きっと…畑で死ねたら本望と思っている と 私は…ずーっとそう思っていました だから… 自分の意志の根底にあるのは 山ホトトギスと同じように 季節の風を感じ、 苦しい時も、嬉しい時も… 畑に出て、 一生を 終える… みたいなことなのかな? その後… もうしっかりした言葉は 聞き取れず それが、最期の言葉になりました でも、うなづいたりはできていましたので もし叶うのであれば… 自宅で最期を迎えさせてあげたい それが 私の…希望でした 家に帰りたい? って聞いたら 父は 大きくうなづきました 「こんな状態の人を連れて帰るのか? いくらなんでも 無理やろ! 」 と 中には そう言う人もいました (こんな状態だからこそ 家に連れて帰ってあげたいんや ) でも、 実家のお義姉さんは、 賛成してくれました 義姉も、 何ヵ月か前… 自宅で母親を看とりました その経験もあったのでしょう 快く 協力してくれました それから、お義姉さんと 父を家に返す段取りを 進めました 幸いにも…実家の地域は 診療所等を含め、 看とりのチームがきっちりできていまして 病院で、 地域の先生、薬剤師、看護師、ケアマネ 家族等を含め 総勢30人あまりの方達が カンファレンスを持ち 万全の体制で 退院できるように 調整してくださいました 義姉は、痰の取り方(吸引)を 退院までにマスターしてくれました 私は、看護師です 父のように、 吸引もしなければならないし 酸素吸入もしているし モルヒネもしているし… こういう人を 家で看る人の大変さは、容易に想像できます だから、お義姉さんが 任せといて ! と言ってくれたことに すごく感謝しました ありがとう そして 月曜日の午後、退院しました 私は、仕事で立ち会えなかったので 夜電話したら 無事に 自分の部屋に帰れたよ ということだったので まあ一安心♪(^o^) きっと家に帰ってきたことわかったよね そして、 火曜日の夜 もしかしたら、 今晩、危ないかも!? と連絡ありまして まぁ…私としては 充分、最期のお世話もできたし もし、間に合わなかったとしても… 後悔はありませんでした お葬式になったら…と思って 喪服も用意して 犬&猫ちゃんたちのことも気になるし こっちのお義母さんも、入院したとこだったので いろいろ、算段して、 お風呂も入って… 万全の用意をして、実家に急ぎました まあ…間に合わなかったとしても しょうがないな と思いながら… 玄関の扉を開けたら 甥っ子が 早く早く!! と手招きするので あっ!!間に合ったんや!!(^o^;) と思いました 帰って来たよ~\(^^)/ っていうと… すごく大きな息をして うなづいたように 見えました 父の周りには十数人いたでしょうか… それからしばらくして… 静かに息を引き取りました 待っててくれたんや… ありがとう…しんどいのに待っててくれて みんなに看取られて… いい最期やったね♪ いしのねの やまほととぎす はるののに 今は、そういうところで みんなを見てるかもね 長々と書いてしまいました 心に留めておきたかったので お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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