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テーマ:暮らしを楽しむ(388353)
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隔週コラム KUNI
究極の遊び人 続き そんなシドニー伝説の遊び人の話を思い出すと決まって、僕の中で 浮かんでくる男がいる。その男は、イギリス人とのクォーターで 徳川家の末裔、身長も185cmほどの大きく男からみても2枚目だ。 小金持ちしかあったことがなかった僕は金持ちのスケールを 持ち合わせておらず、家にはプールがあるとかお手伝いさんがいる などテレビで見たことがある金持ち像しか発想がなかった。 当の本人はニヒルな悪ガキ風で金の匂いがまったくしない嫌味 ないタイプだ。突然、代々木から2時間かけて原チャリでやってきたり、 意外な高級ブランド品を無名ブランドのように身につけていたり、 仲良くなるまで噂が先行した脈絡のない変わった奴にしか 思わなかった。 ある夏、九十九里のサーフスポットに別荘があるから遊びにいった。 そこはゴルフ場のような敷地に建てられた、海外のリゾート施設 のようなところだった。壁に掛けられた家族の写真には天皇陛下も 一緒に写っている。たまに父親もいて、ダディと呼んでいる姿が 冗談かと思った。妹も日本の学校には行った事がないと普通に いっていた。高校の時の話を聞けば、新宿を縄張りとした チーマーだかギャングだかとつるんで遊んでいたようだ。 彼らの溜まり場の今はなき新宿キングストーンレゲエクラブにも 一緒に遊びにいったが、ボクサーあがりや格闘家がごろごろいる 縦社会のグループ内で、気負いもなく飄々と誰にも干渉されない 自由な立場だったのも彼だった。 卒業後も生活をするために働くという発想がまったくないようで、 海外のアンダーグランドサーフポイントばかりをいったりきたり する生活を続けていた。しばらく、会わなくなってから中央? には置いとけないと一族会議で決まって、島流しにあったと 風の便りで聞いた。今時?と思いながら意味はわからないが 彼らしいと思った。音信不通となってから昨年の今頃、 突然の連絡があった。日本人離れした顔がさらに日焼けで 何人かわからない風貌になって、南国から浦島太郎状態で 渋谷にたっていた。飲み屋にはいるなり小切手しかないといって みんなを呆れさせている姿が懐かしい。島で何やってるの? と話題になるとグアムやサイパンのあるミクロネシア一帯 (彼曰くマイクロネシア)に一族が経営しているリゾートホテルが 多数あって、その中でも一番無名の島でホテルのマネージャーを しているといった。 詳しく聞くと、ボートを運転し無人のサーフポイントで波乗りや 素潜りをしたり、世界的にシークレットにされている、その島の サーフポイントにやってくる、名前を聞いてびっくりするような 超メジャープロサーファーをポイントへガイドしているらしい。 雑誌などのメディアへ露出し、スポンサー獲得をしようとする 争いの厳しいプロサーファーの世界で、昨年、アメリカの伝統ある 老舗サーフ雑誌の表紙をそんな彼が飾っていたと聞いて、 生まれつきとはこういう奴をいうんだなとびっくりを 通り越した気分だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/08/19 02:28:26 PM
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