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カテゴリ:プレイバックシアター
今夜は、明日のパフォーマンスのための打ち合わせ。
ちょっとしたリハーサルのようなもの。 仕事を超特急で切り上げて、 新幹線に飛び乗って広島入りする。 気持ちは完全に明日で、疲れた身体を引きずって行った。 ところが、いざアルマンドを囲んで、全員が顔を合わせると、 まるで、ワークショップの始まりのよう。 このプロジェクトでパフォーマンスをするということが、 ひとりひとりにとって、どんな意味を持っているのか。 改めて、みんなの思いを聴きながら、 この広島に関わっているわたし自身の、ホントの動機を自分で探っていくことになった。 わたしにとって、従来の平和活動に強く惹き動かされる感じはまったくない。 じゃなぜ今夜、ここにいるのか。 2年前のこと、 被爆体験の話なんてしたくないと、前日まで頑なに断っていた女性が、 広島のプレイバックのワークショップに顔を出してくれて、 急遽テラーとして語ったストーリーを、アクティングした。 時空を超えて、わたしは凄まじい惨状の街を歩いた。 焼け爛れた身体を引きずり、愛する人を捜し求める。 その瞬間にいたわたしの身体や感覚は、 どんな平和教育より、リアリティのあるもので、 忘れられない。 それを観た広島で生まれ育った学生たちが、 初めて原爆のその日を知ったかのような衝撃とともに、涙を落としていた。 そしてその年の夏、 ちょうど原爆が投下された60年後の8月6日。 わたしは、プレイバックシアターのアジア大会に参加するためにシンガポールにいた。 アジア諸国が集まるこの場で、日本人であることが、どういう意味を持つのか。 親日家の台湾の彼は、祖父から日本語を少し習ったと、笑顔で語ってくれたが、 被爆国敗戦国としての日本とは違う顔を、思い知る機会。 フィリピンの男性がテラーとして、 反対する祖父を押しきって、来日した際に出会った日本人との友情を語ってくれた。 日本軍に家族を殺され、深い悲しみと強い怒りをもち続けている祖父のことを、 初めて日本人のわたしたちがいる前で、語ってくれた。 戦争を知らないわたしたちに、 目に見えない語られない、ある種の秘密が深く影響している。 決して、消えることなく、 わたしたちの世代に、受け継がれているのは、事実だ。 被爆者たちが口を閉ざし、語るのを困難にさせている罪悪感。 多くの人が死に行く中で、自分だけが生き残ってしまった。 助けることが出来ずに、自分が生きようと必死だった瞬間。 あとからどんなに理性を働かせて、幼い女の子が出来たことなんてなかったとしても。 成仏しきれないそれらのさまざまの思いを、 プレイバックシアターという手法で、丁寧に敬意を持ってお祀りしたい。 プロジェクトチームの輪になって語るときには、 みんなにここまで話せなかったかもしれないが、 その片鱗を少し話せたことで、自分がその場にいる意味がはっきりしてきた。 アルマンドのパフォーマンスに対する指導は、興味深い。 わたしは、パフォーマンスメンバーを全員知っているし、 それぞれとは何度も一緒になっているけれど、このメンバー構成は初めてだ。 そして、アルマンドが入り、瞬時にプロジェクトチームが完成されていく。 一瞬ごとに、精度が増し、バラバラに集まったユニットがひとつになっていく。 明日が楽しみだ。 って、もうこんな時間。。 ちょっとした打ち合わせ、顔合わせにはならなかった。 丸一日ワークショップして、トレーニングして、スーパービジョンしたかのよう。 やっと夕食を口にして、夜中にお風呂屋さんに行って、みんなタフだなぁ~。 そんな真剣さが好きな一人だけどね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.18 11:40:09
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