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 Art of Life研究所  プレイバックシアター      

Art of Life研究所 プレイバックシアター      

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2007.05.12
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昨日わたしが感じた、あの感覚は、
一体何に去来していたのか。

ワークショップの一部として、
パフォーマンスメンバーたちで、
プレイバックシアターのストーリーをした。

ミュージシャン席で、テラーの話を聴くとき、
わたしは、表現者としてのモードに変わるので、
涙で息ができなくなって、鼻をかむというような事は、
未だかつてなかった経験だ。

原爆の悲惨さが怖かったのでも、辛くて悲しかったのでもなく、
わたしの涙は、全く別のところからやってきていた。

テラーが話している間、尋常でないほどの涙と鼻水。

それが一体なんだったのか、
どこからやってきているのか、
今日1日、
じっくりとクールダウンの中で、感じていた。

なので残念ながら、京都のアルマンドのWSに招待されたが、
行く事ができなくなってしまった。
一般の人を対象としたアルマンドのドラマセラピー、
興味関心強かったのだけど。。

疲れて身体がベッドから離れられなかっただけでなく、
寝ても覚めても、昨日の節子さんのストーリーが、
消えて離れないのだ。

身体は広島から離れてきたけれど、心がどうも離れられない。
京都まで、身体を運ぶ事ができない状態になってしまった。

テラーは、語り部として、何度となく繰り返し語っているが、
昨日初めて、涙を流しながら、話したという。
一切涙を見せることがなかったというのに、
「安心していたのでしょうか」と言いながら、涙をぬぐっていた。

その時、確かに、何かが起きていたのだ。
その場だけに、何かが訪れていた。
繰り返し語られている内容とは、全く別の次元から、
まだ語られることなく、触れられることのなかったその部分に、
ほんの少し接触する瞬間が。

その繊細でやわらかい部分は、
涙の製造元と直結しているかのように、誘発させて、
その場を共振させる。

生命の数奇な尊さ。
今この瞬間に語ってくれている生命が、
眼前にあるその姿の、なんと尊ばしいことか。

よくぞ生きて、ここにいてくれたと、
わたしは、テラーに駆け寄って、手を握り締めたいほどの衝動に駆られていた。

13歳の仲の良い女の子二人の運命を、
一瞬のうちに分けてしまった原爆。

あまりにも多くの人がこの世を去り、
一命を取り留めたものの、顔や見える部分に被害の傷が残ってしまった人たちがいる中で、
少女の胸のうちは、被爆の苦しみだけではない。

あまりにも悲惨な出来事が、
あまりにも抵抗不可能な出来事が、
やわらかい少女の核となる部分を、硬く堅く難くさせていく。

それでも語り部として、
元来もっている美しい心が、平和を祈願して伝えようとする。

その繊細な部分は誰にも触れられず、
本人だけが、まるで十字架を背負うキリストのように、
一人でその重みを抱きかかえている。

墓場まで一人だけで持っていってしまうまえに、、
もしその先人が体験した事を、少しでもおすそ分けしてもらえるのだとしたら、
プレイバックシアターは、見事な構造を兼ね備えているように思う。

今同じ時刻に生きている人が、
わたしの全く知らない経験をしている。

その癒される事のない深い悲しみは、
時を越えて、人類全体へと、悲しみを伝染させずにいられようか。
よりわかりにくく巧妙に、姿かたちを変え、
まるで全く関連性のないものとして、現在へと現れる。

もし、観ることを恐れず、まっすぐに向き合うなら、
自ずと何かが変化するに違いないと、わたしは思う。

あぁ、このまま、時刻が流れて、証言してくれる人たちが、
この世から去っていってしまう前に、
何とか残したい、伝えたい。

手遅れになる前に。

舞台は生ものなので、その場でしか再現されないけれど、
映像は残る。

げげっ、ドキュメンタリーフィルムに意識が動いているのが、
ちょっと、自分でも怖い。。

いやぁ~、この2-3ヵ月、
立て続けに、フィルムディレクターたちに出会っているというのも、
偶然ではないかのように思えてくるから、もっと怖い。

怖がっていても始まらない。
わたしが動くとしたら、誰かのためなんかじゃない。
大義名分のためになんか動けない。

わたしの生存が危ぶまれたとき、生命の危機を察知したら、
動かずにはいられない。

それは、もうわたしの生命の鼓動と同じ。
制止することは、静止することは、死を意味する。






















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Last updated  2007.05.21 21:42:21
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