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2007.08.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「甘えて心を開いていたが、これからは自重する」
というフレーズを聴いて、ちょっと変な感じがした。

甘えるのを自重するのだろうか?
それとも、これからは心閉ざすということなのだろうか?

「甘えられるから、心を開く」ことはあっても、
甘えるということと、心を開くということは、別の次元だ。
同列に混同すると、混乱する。

甘えるというと、依存が含まれる。
心を開くときに、依存は無関係だ。

緊張してトイレに行けない子どもが、
おなかを痛めているとする。

その子が安心して、トイレで用を足せることは、必要だけれど、
誰も、その子の代わりには、トイレで用を足すことは出来ない。

その子にしか、出来ないことなのだ。
その子自身が、するしかないのだ。

いくら甘やかしたくても、そればっかりは出来ない相談だ。

甘やかすというのは、ずっとオムツを許したり、
どこででも垂れ流すのを許すことでもある。

「甘やかす」と「甘えさせる」とも違う。
十分に甘えさせることは、自立に必要だが、
甘やかして育てると、自立できない。

トイレットトレーニングのしばらくの間は、
用を足したあと、きれいに拭いてあげたとしても、
それは、トレーニング中という条件付き。

甘えるということは、幼い子どもの特権だ。
自分でお尻を拭かなくてもいい状態。
安心してゆだねている状態。
でもそれは、一人でトイレが出来るまでの、期限付き。。
成長すれば、自分のケツは自分で拭け!ということになる。

期間限定、このときだけの、特権なのだから、
それはそれで十分に享受してしかるべきなのだ。
そこが欠落すると、あとの人生で取り戻そうとして厄介なことにもなる。

その状態では、トイレで用を足すことが一人で出来たとは言い難い。
それは、トイレットトレーニングの過程でしかない。

心を開くというとき、甘えることが条件であったなら、
それはとても限定された狭い範囲だけになってしまう。

甘えて心を開くことはあろうが、甘えなくても心を開くことは可能だ。

心が開いている状態というのは、とても安心してリラックスして、
くつろいでいると同時に、
自由で、オープンで、自立している。

オムツをはずして、トイレットトレーニングを始めるのは、
春先から夏にかけてがいいという。
汚れても苦にならずに洗濯できるという実用性と、
生物学的に、成長の季節でもあるからだろう。

今まさに、伸び盛りぐんぐん成長する季節だ。

大人になったわたしたちは、
目に見えるオムツはしていないけれど、
極端な形で排出できない状態にいたり、垂れ流し状態でいたり、
バランスを取ることが難しくなるときもある。

そういうとき、一時的に誰かに甘えることで、
またバランスを取り戻すことが、出来るのかもしれない。

余談だが、
目に見える形として、便秘になったり、下痢をしたり、
身体的側面と心理的側面の影響を受けやすい腸は、
そんなアンバランスさを知らせてくれる。

「甘えて心を開いていたが、これからは自重する」
というフレーズには、
別々の項目を一緒くたに押し付けられている感がある。

トイレに行くのに、
トイレットトレーニング中なら甘えて拭いてもらうのは必要だろうが、
必要がなくなれば、甘えなくてもトイレには行けるし、心を開くことも出来るのだ。

甘えるという甘美な世界に酔い始めると、
幻想が増大し、現実とのギャップに苦しむことになる。

どちらかがいいのではなくて、
その行ったり来たりをバランスよく、
意識的に出来ると、人生は豊かになるだろう。

時には甘えることは大事だが、
幼い子どもではなく、自立した大人としては、
甘えることしか出来ないとなると、問題だ。

自重するというのは、ジーニアス和英辞典によると、
watch oneself
keep one's head down

広辞苑によると、
1.自分の行いを謹んで、軽々しく振舞わないこと。
2.自分の品位を保って、みだりに卑下しないこと。
3.自分の身体を大切にし、健康を損なわないようにすること。自愛。

自立した大人は、
心を開いたり、甘えたり、自重したり、
それらを意識的に行えるだろう。

決して、自嘲することではない。

難しいことかもしれないが、
わたしが考える、自立した大人はそうだ。

子どもじみてはいない、成熟した無垢な子どものように。
わたしも、そうありたい。





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Last updated  2007.08.06 04:09:55
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