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カテゴリ:読書日誌
熊谷守一画伯の本「へたも絵のうち」から、何故かホッと心が安らぐ言葉を書き抜いてみました。 ■私にも、大ぜいの異母兄弟たちにも、一人ひとり乳母がつき、学校にあがるころになると家庭教師がつきました。そして、自分の子供だけを極端にかわいがったり、そうかと思うと自分が担当の子供はきらって他の子をひいきにしたり、ともかく家の中がごちゃごちゃして、とても複雑でした。いま思い出しても、イヤになるくらいです。 隣の工場には、若い使用人が多いから、色恋ざたとかけんかもよく見聞きしました。心中事件があって、その経緯を面白半分にくわしく聞かされ、なんともイヤな暗い気持ちになったこともあります。 そんなことで、私はもう小さいときから、【おとなのすることはいっさい信用できないと】、子供心に決めてしまったフシがあります。子供といっても、何でも理解して確信もって判断してしまうものです。 今ふうにいうと、私は自分のカラに中に閉じこもったわけです。「守一さんはいい子だけれど、ちょっとわからんところがある」という家の中の評言は、よく私の耳にもはいっていました。 ■大所帯でおとなのいろいろなことを見聞きして、私はもう何もかもわかってしまった気持ちになっていました。ばあや以外は、【おとなはみんなウソのかたまりだと】、心に決めていたフシがあります。 だから、小学校に上がっても、先生の言うことなども、ほかの子供のようによく聞く気になれないのです。とくに、師範の付属だから先生は若い人が多く、まともに相手にはできない気持ちでした。 先生が一生懸命しゃべっていても、私は窓の外ばかりながめている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がヒラヒラ落ちるのだとかを、あきもせずじっとながめているのです。じっさい、先生の話よりも、そっちの方がよほど面白かった。 ■先生は、しょっちゅう偉くなれ、偉くなれといっていました。しかし私はそのころから、人を押しのけて前に出るのが大きらいでした。人と比べて、それよりも前に出ようというのがイヤなのです。偉くなれ、偉くなれといっても、みんなが偉くなってしまったらどうするんだ、と子供心に思ったものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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