|
カテゴリ:読書日誌
【人生の諸問題】 出口王仁三郎聖師 人は水の流れるやうに生活すればよろしい、 水は流れ易い方向を選んで、 いと自然に自が途を開いて進み行く。 途中障害物に突きあたることがあると、 またいと自然に方向転換をやつて進み易い道を進んで行く、 これが処世法の秘訣である。 自然に逆らつて低きにつかんとする水を 高所に上げやうとするやうな生活は、 労多くして功が少ないものである。 現今の地上は、悪魔の集会所である。 故に諸善神は天にのぼり、地に潜んで、 その跋扈跳梁に任してあるが如き状態である。 であるから善いことは容易に出来ない世の中である。 善い人、善い仕事にはかへつて悪魔がつき纏ふて邪魔をする。 丁度よい果実に悪い虫がつくやうなものであつて、 神様のお守りを受けるより他にこれを防ぐ道がないものである。 甘い果実に悪い虫がつく、 その虫がつかぬやうに人間が除虫法を行ひ、 袋をかぶせて保護してやる。 さうすると誠に立派な見事なものが得らるる道理。 どんな性のよい人、 また成功すべき仕事であつても、 神様のお守りがないと悪魔に祟られて、 惜しいことには十分成熟せずに、 【ポタリ】【ポタリ】と途中で落ちて行く 果実のそれと同じ結果に終はつてしまふのである。 生死の問題と信仰とは別である。 人間は玉の緒が神様と結んであるので、 それを神様が切られると、 命が切れるのであつて、 人はそのもとを大切にせねばならぬ。 生死は全く神の御手にあるので、 人力をもつていかんともすることは出来ない。 大切な子が死んだため 信仰をおとすなどといふのはわけの分からぬ人間である。 思ふやうには行かぬ世の中である。 それは前いふ通り、 地上に悪魔が横行闊歩してをるからである。 それ故に人間は神様に守つて頂くと同時に、 勇気を出して物事をやつて行かねばならぬ。 勇気を出せば悪魔は退いてしまふ。 人は思ふ道を勇敢に進むに限る。 思ふやうには行かぬ世の中といふのは 悪魔のさやる世の中をいふので、 神代になれば思ふことが箱さしたやうに、 ケタリ、ケタリと上手く行くことは神諭に示さるる通りである。 それだからこそ神様が立替を急いでおいでなさるので、 神様は早くこの悪魔を退治して 皆が喜び勇んで暮らす世の中にしてやろうと、 昼夜間断なく御活動になつてゐるのである。 思へば有難く勿体ない限りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書日誌] カテゴリの最新記事
|