訪れ
お類は七十になるかならぬ頃に、親しい十三人の同輩が、それぞれ美しい迦陵頻伽の羽毛の外套を着て、つぎつぎに自分を追い越し、たったひとり置き去りにされる夢を見た。 迦陵頻伽という鳥は、法話で聞き知っているだけで、実際に見たことはない。けれども夢のなかでお類は「ああ、迦陵頻伽の羽だ」と思った。五彩に輝く外套の裾を軽やかにひるがえして、佇み見送るお類に気づいているのかいないのか、皆、足早に遠ざかって行くのである。美しいが淋しい夢であった。 その日から十数年経ったいま、現実はその夢のとうりになっていた。降る年ごとに、ひとりふたりと、夢に見た順序で他界へ旅立って行ったのだ。 見てはならぬ夢を見てしまった。知るべきではないことを知ってしまった。・・・縁先の日だまりに独りつくねんと坐り、涙も涸れた目頭を拭うのである。 友達は、もう、隣村の今井さんだけであった。十三番目の友達である。 先々月、横田さんが亡くなったとき、通夜の席で、今井の若夫婦が、 「あとは、うちの爺ちゃんと、お類婆だけだわね。・・・どっちが先やら」 と、小声で言いあっているのを、お類は小耳にはさんだ。耳が遠いと思い、そうきめつけているので、小声とはいっても老人を憚っているわけではない。今井老人の盃を持つ手が、恐れたように震えていた。 「夢のとうりだよ。みな夢のとうりだよ」 数珠をつまぐりながらお類は呟いた。 人間、誰もが年をとる。それを忘れているのではない。横田老人は八十三歳だった。八十三歳の死をひとびとは当然のごとく受け入れた。受け入れて、悲しんだ。皆、こころから亡くなった人を悼んでいるのである。しかしそのこころの片隅に、手がかからなくなってほっとした気持があることも、また真実なのであった。あからさまに表われることは多くないかもしれない。表われそうになると押し込めてしまうこともあるだろう。 「横田さんは幸せなお人じゃった。極楽往生じゃ、極楽往生じゃ」 と今井老人は、お類に言うのだった。 「それに較べて、お勝さんは・・・」 「いいえ、そんなふうに思い出すのはやめましょう」 お類は今井老人の思い出をやさしくとどめた。「誰が悪いのでもないかもしれませんからねえ」 お勝さんは、横田老人の前に亡くなっていた。 中風で、這いずりながら失禁するので、野良仕事に出なければならない家人達は、つきっきりでいることもできず、別棟の、いまは使っていない物置小屋に老人を移し、錠を降ろしてしまった。裏の玉蜀黍畑で寝ているところを、大騒ぎのすえに見つけたこともあったからであろう。 それまでは、寝床の枕許に洗濯石鹸の大きな空缶を置いて、用事があれば、麻姑の手でそれを叩くようにしていた。お勝婆さんの世話をするのは、たいてい孫たちの仕事だった。空缶の音がすると、子供たちは遊びを途中でやめなければならなかった。聞こえないふりをしていると、いつまでも鳴り止まない。老人の力が次第に抜けてゆき、ほとんど聞き取れないぐらいに弱々しい音が、間遠に、果てもなく執拗につづいて、子供のこころにいたたまれない不安な影をおとした。そして、子供たちが駆けつけても、老人は、自分の用事が何であったかを忘れていた。あるいはただ枕許にいてくれ、と言うだけだった。・・・子供たちの遊びは家の周囲から、空缶の音が聞こえる範囲から、遠ざかっていった。 朝、家人達が出かけるときに、丼鉢に盛った飯と菜を置いてゆく。死ぬまでの三ヶ月、そうしてほとんど誰にも会うことがなかった。お勝さんは、飯を喉につまらせて、丼鉢のなかへ顔をつっこんで死んでいたのだった。 お類は、お勝さんが物置小屋に閉じ込められたと聞いて、一度だけ、横田さんと今井さんとを連れだって、様子を見に行ったことがあった。 そんなところを見るのは嫌だと言うふたりを無理に連れ出したのは、お勝さんは、十一番目のひと・・・。 ふたりが、後日あらぬことを言われるのを恐れるので、直接訪ねて行くことだけは止め、物置小屋を見おろせる裏の小山に登った。 足場の悪い細い山道を三人の老人は一列になって、杖をつき、息を切らしながら、長い時間をかけて登って行った。 しかし、小屋は軒下に明かり採りの小窓がひとつあるだけで、中の様子をうかがうことはできなかった。鶏が二羽、三羽、小屋の周囲で餌を啄んでいるのが見えるばかりである。 三人はただ黙って、小一時間も立ちつくしていた。 もう帰ろうという頃になって、 「お勝さんじゃ。そら、お勝さんの手じゃよ」 今井さんが指差す方へ、お類と横田老人は足を止めて振り返った。 「どこに? 今井さんや、どこにだね」 「そら、あそこじゃよ、小屋の右下の隅っこの・・・見えんかね。腰板が朽ちて、そら・・・鼠に喰われたように・・・破れているでしょうが」 「ああ。ああ、破れとるね。破れとるが、・・・手は見えんよ。・・・ねえ、お類さんには見えるかね」 「ええ。・・・いいえ」 お類は首をふった。 おおかた今井さんは何かを見間違えてそんなことを言っているのだろう。そう思った。 するとその時、腰板の穴から、すっと手が出てきた。そうして、何かを招いてでもいるかのように、地面を叩いた。 「あっ」 と、お類は息をのんだ。 まさしくそれはお勝さんの手だった。 「どうかね、お類さんには見えるかね」 横田老人は、眼下の小屋に喰い入るように顔をさし出しながら、もう一度言った。 「いいえ」 お類は、強く、はっきりこたえた。 「見えんでしょう?」 安心したように横田老人は言って、「嫌なことを言うもんじゃないよ、今井さん」 不快そうに頬をゆがめながら横田老人はお類を振り向き、目顔で、 (今井さんは、ひょっとすると危ないのじゃないかねえ) と言った。 お類は何もこたえなかった。 そして、横田さんの方へではなく、今井さんの方に目顔で合図した。 (このひとには、もう、何も仰言っちゃいけませんよ) 秋風の頃である。 火鉢に手をかざしながら、お類は閉てきった障子戸の下だけ硝子を嵌め込んだ窓から、ぼんやり庭を眺めていた。 物音といえば、鉄瓶の湯のたぎる音だけである。 しかしお類にはそれさえ耳に入らない。ただぼんやりと坐っている。今井さんでもやって来ないものかと思っている。たったひとりの茶飲み友達なのに、ここ十日ばかり顔を見ていない。近頃では、足許が危ないからと、家の者が出してくれないのだと言っていた。 「何を言っているんですよ。自分からどんどん歩くようにしなくてはいけませんよ。まだまだ目も耳も達者なんだし、そうそう年寄り扱いされて、若い者の言うことばかりも聞けませんよ」 そう、お類は少し強く言ってやった。 門の方で、草履の足音がした。 今井さんの足音である。 (やっぱりやって来た。十日も顔を見ないでいたのだもの、今日あたりは、きっとやって来ると思ってましたよ) お類はにっこり笑って、急いで白くなった炭火をおこした。 硝子越しに、老人の姿が見えた。 杖をつきながら、うつむき加減に、ゆっくりゆっくりやって来る。 杖が小石に躓いて、小石がころころと転がる。 (ほらほら、足許に気をつけて) 玄関の方へまわるらしい。いつもの茶鼠のもんぺが、たいそう懐かしく思えた。 しばらくしたが、老人の訪う声がない。 (裏庭に盆栽でも見に行ったのだろうかね) お茶の仕度をしながら、お類の気持はまるで恋人を待つかのようである。 二十分経った。今井老人は来ない。 (嫌だよ、あのひとは。ほんとに何をしているのだろうねえ) お類は待ちきれずに立って行き、障子をあけた。 秋の陽はもう沈みがちであった。庭の紅葉が夕陽に映えて、燃えるようにお類の目を射た。それはあたかも、あの夢のなかの迦陵頻伽が赤や黄に輝く翼を重ね合わせて、たそがれの空にいっせいに飛び立ったかのようだった。 「今井さんや。・・・お爺さんや」 お類の呼ぶ声に、今井老人の返事はない。------------------------------------------ 上に書いたのは、私の祖母の思い出に創作を加えたものです。書く前にチャールズ・ラムの詩を読んでいましたところ、‘The Old Familiar Faces’(懐かしき顔)の最初の一節にこうありました。 I have had playmates, I have had companions In my days of childhood, in my joyful school-days; All, all are gone, the old familiar faces. 中学生程度の英語ですから、あえて訳しません。これを読んでいるうちに、祖母が友人知人に先立たれ、たった一人生き長らえたと話していたことを思いだしたわけです。昨日書いた、伯父に腰を治療してもらった頃ですが、やはり14,5年ぶりに祖母が我家にやってきました。そして、「タダミさん、たっしゃでいなさいよ。私はあと3年しか生きられない。もう会えないからね」と言ったのだった。そのとき私はいろいろ祖母から聞き書きをしたのである。そして、それが祖母との最後の対面であった。