絵を読むヒント
絵を見て「ああ、いいなァ」と感じたとしよう。しばらく立ち止まって眺めてみる。そのうちにだんだん「これは何が主題なのだろう? ここに描かれている人物は、いったい誰なのだろう?」という思いが頭を横切る。もしそれが分れば、もっと絵の世界に入ってゆけるかも知れない。 ----たぶんそんなふうに思ったことがあるでしょう。 絵というのは、太古の時代の洞窟壁画のように呪術的な目的で描かれたと推測できるものもあるが、ヨーロッパでもアジアでも、発展の起因となったのは宗教上の教えを文字が読めない人にも理解できるようにするためであった。聖書の図解、つまりイラストレーションだった。芸術家の個人的な思想や感覚を問題にするようになったのは、美術の歴史としてはつい最近のことである。 聖書(日本だと仏教教典ということだが)の物語を描いている以上、絵を「読める」ということになる。信仰心から聖書になじんでいれば、その読解は比較的容易であろう。そうでなかったとしても、ある程度の知識があれば、そこから入ってゆくことはできよう。画家は絵のなかに、かならず読むためのヒントを描いているものである。 さて今日は、絵のなかのヒントについて、図版を参考にしながら見てみようと思う。手始めに誰でもが知っているだろう「洗礼者ヨハネ」を取り上げる。それほど深い知識がなくとも、「ああ、これは洗礼者ヨハネだ」と気がついていたことだろうから、私は聖書を説明せずにすぐ画家が描きこんだ洗礼者ヨハネのアトリビュートを示すことにする。 アトリビュート(attribute)という言葉は、図像学ではかならず出てくるので、もし御存知でなければちょっと御記憶いただきたい。「附属物」とか「象徴」という意味で、つまりそこに描かれている物語の人物を特定するための、その人物だけに属している物を言う。宗教聖人の場合、そのアトリビュートは神学的に公式に決められている。したがって画家の勝手な想像で、神学上で決められた以外のものを付け加えることはできない。これが絵を読むときの最初のヒントになるわけだ。アトリビュート意外にもヒントはいろいろあるが、それは作品個々の問題ともなるので、ここではそれを説明することを除外する。 まず図版を用意したのでそれをご覧いただく。 3点の絵はいずれも洗礼者ヨハネの像である。しかしこれらはまだイエスに洗礼を施す前のヨハネである。聖書によれば、ヘロデ王の幼児狩りの魔手から逃れるため幼子イエスはエジプトへ脱出した。ちょうどその頃、洗礼者ヨハネは「天国は近づいた、悔い改めよ!」と言いながら、ユダヤの原野を歩いていた。ヨハネという人は、予言者イザヤが「主がやって来る道を準備し、人々にその道筋を真直ぐにするように呼び掛ける人」と言った、その人だった。ヨハネはヨルダン河のほとりでユダヤの全国からやってくる人々、あるいはエルサレムの人々に悔い改めの洗礼をほどこしていた。この人の様子をマタイ伝第3章5節は次のように記す。 「このヨハネは身に駱駝(ラクダ)の毛衣を着て、腰に皮の帯を巻き、イナゴと野蜜を食物としていた」 洗礼者ヨハネのアトリビュートは、この句にもとづき、まず第一に駱駝の毛皮である。そしてユダヤの原野を歩くための杖である。しかしその杖は、主の道を準備することを意味するとともに、やがてイエスが架けられることになる十字架である。ただし言っておかなければならないが、十字架というのは、キリスト教以前からある「生命の樹」の象徴でもあり、その土着の古い信仰のシンボルに後にイエスが磔(はりつけ)にされた十字架のシンボルが合わされて、キリスト教のシンボルとして洗練されていったのである。 洗礼者ヨハネのアトリビュートは、ほかにもう一つ、小羊がある。羊そのものが、「迷える羊」という言葉があるように、放っておくと何処へゆくかわからない民衆の象徴である。ヨハネには羊飼い(牧人)のイメージが重ねられているのだ。カトリックでは神父というが、プロテスタントではその名称は使わない。牧師という。迷える羊を導く人という意味である。 先の図版とこの図版のヨハネは、赤い衣を着ているが、よく見るとその下に毛皮がのぞいている。また下の絵には羊が描かれていて、この人物が洗礼者ヨハネであることを示している。 右の絵は、聖書の物語ではなく、ある信仰会が聖母子を称えるために画家に描かせたものであるから、聖書時代の歴史考証に関しては不忠実である。そういう場合でも、左の人物が洗礼者ヨハネであることはそのアトリビュートがきっちり描かれているからである。そういうことがデタラメであったり、画家が空想に走るようなことがあると、教会はその絵を受け取らないか、破棄するのが常であった。 次に掲げる図版は、12,3世紀の古い時代のもの。修道院内で修道僧画家によって制作されたと思われる。洗礼者ヨハネが川岸から水の中のイエスに洗礼をほどこしいるところをモチーフにしている。モチーフは時代の好みを反映していることが多く、どんな場面を描いているかで、制作年代や制作された国が特定できる場合もある。それは描かれる聖人についても言えることで、洗礼者ヨハネはだいたいどの時代でも描かれていたが、教会キリスト教の時代に入ってからの聖人は、いちじるしく時代の人気を反映している。 上の洗礼図にくらべると、下の右の2点の洗礼者ヨハネ像は時代も下って非常に洗練されてきている。デッサンの裸体像が洗礼者ヨハネであると分るのは、右手に聖水を注ぐための容れ物をもっているからである。このように、右手を差し出して掲げるようにしたポーズも、洗礼者ヨハネのきめてとなる。 中央の絵は、二人の幼子であるが、イエスと洗礼者ヨハネである。ヨハネはイエスに何か花の茎をさしだしている。この植物が何であるかは確証がないが、頭をたれた様子からヒナゲシかもしれない。ヒナゲシはルネサンス美術では受難のシンボルとして使われてきた。 ヨハネの足許には桜草の花がふたつ咲いている。イエスとヨハネを表わしている。またヨハネの足の間にムギの穂が見える。ムギは信仰と布教のシンボルだ。 ここに示した作品はレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けたものであるが、レオナルドにも同じモチーフの作品がある。またラファエロも幼子としての二人を描いている。ラファエロは幼児ヨハネに十字架の杖をもたせている。 このような絵が描かれたのは、じつはイエスとヨハネは幼児のころに出会ったことがあるという伝説があり、聖書には書かれていないのだが、それだけに画家が想像をふくらませるモチーフだったらしい。ルネサンス時代には特に好まれたのである。 この時代はネオ・プラトニズムの哲学が復活し、完全な球体の二分されて互いに引き合うものというイメージが浸透していた。田中英道氏の研究では、レオナルド・ダ・ヴィンチは自己のホモセクシャリティーを哲学的にはネオ・プラトニズムで、イメージはその二重像に託して表現したと言っている。 9,10世紀から13世紀頃のいわゆる中世のイコン(聖画像)は、聖書の物語をそのままシンプルに描いてい。しかし、その後は次第に多くのシンボリックな表現がなされるようになり、絵が複雑になってゆく。特にイタリア・ルネサンス美術は他の諸国にくらべてその傾向が著しい。それはそのまま文化の爛熟を示していると言ってもよいかもしれない。 洗礼者ヨハネ像のアトリビュートを足早に見てきた。ヨーロッパの宗教美術のなかから洗礼者ヨハネを指摘することは、以上のアトリヴュートをふまえることで、おおむね過誤なく可能であろう。この後は、時代思潮や、厳しい神学上の制限のなかで画家がどこまで自由裁量をしたかなどを研究することで、より深く絵を読むことができるわけだ。たとえば、12,3世紀の洗礼図の風景に注目していただきたい。ヨルダン河のほとりの草木のない荒涼とした岩と砂漠の様子がうかがえよう。ところがブリュッセルの絵を見ると、ヨハネの背後にヨルダン河の流れが望見できるけれど、そこは緑の草木がはえる優しい丘陵地帯である。実際のヨルダンの景色とはかけはなれている。なぜだろう。----じつは、画家は自分の故郷の景色にすりかえているのであった。ヨルダンに旅行したことがなくとも、昔から伝えられて来たイメージはあったはずだ。しかし画家はそういうイメージを空想で描くよりも、自分が親しんだ生れ故郷の風景を描くことにしたのだ。しかもその風景は、彼が活躍した後期ゴシックのアーヘン(オランダ、ベルギー、ドイツ3国の中間に位置する都市)の嗜好に一致していたのである。----こういうことは、聖人のアトリビュートについての知識とは別な知識が必要である。そういう知識を積むためには時間と根気がいる。けれども、たくさんの絵をみて比較すると、いま述べたような違いが見えてくる。それを語ってみるだけでも良いではないか。 絵は読める。読むためのヒントがちゃんと描かれているのである。