淀川長治氏への遅すぎた質問状
故淀川長治氏の著書に、かつて朝日新聞に連載され、のちに『映画のおしゃべり箱』(中央公論社刊)として上梓された一冊がある。400字詰め原稿用紙2枚の短いエッセイ122篇を収録している。タイトルどおりの気楽なおしゃべりだ。 とはいえ、そこは淀川氏の映画話、どの一篇をとっても「ヘーッ!」と思わざるものはない。また、淀川氏の目の鋭さに、私などはどれほど多くのことを学んだか。たとえば『カサノバの顔つくり』と題して、フェリーニ監督『カサノバ』のドナルド・サザーランドのメイキャップについて、「あたかも陶器人形のごとき顔のつくり、そしてこの映画に登場するどの俳優もが十八世紀の顔をしている」と指摘している。あるいは、『生活のにおい』では、ヴィスコンティ監督の『山猫』について、こう述べる。「とにかくこの『山猫』の大広間の大舞踏会はけんらん豪華、もはやこれだけの豪華シーンは二度と生まれないと思うばかり。ところがこの映画はそれだけでは終わらず、大舞踏会を見せながらカメラは場面一転、別の人影もないひっそりした部屋をのぞき、静かに移動する。すると部屋のすみの奥の方に何十個とも思える陶器の土色をした壷があった。(略)これらの壷は、ひょっとすると紳士淑女のこりゃ便器ではあるまいか」と。 表現のすべてを映像に託す映画は、すべてのカットが生きているのだということを、淀川長治氏ほど楽しみながら語った人はいないような気がする。そしてまた、この方の目は、画面全体を一様に眺め、記憶したようだ。そういう視覚に、私はいささかならず親近感を覚えてきた。 さて、きょうのブログに、私は、『淀川長治氏への遅すぎた質問状』とタイトルした。新聞連載時における初見で、「おやッ?」と思ったことがあった。単行本にするときに加筆されるかとおもったが、『映画のおしゃべり箱』では初出のまま、後に文庫化されたときも元のままだった。それで私はいよいよ文中の一事が疑問となって記憶することになった。 事は淀川長治氏のもっとも早い映画的記憶に関わっている。そのことについては、上記の著作のみならず、ご自身の思い出を語った他の著作においても述べられている。大正8年、淀川氏が10歳のときに見たオムニバス映画『ウーマン』についてである。『映画のおしゃべり箱』のなかでは『女のこわさ』という題で語られていた。「そもそも女はこわいと教えこまれたのは大正八年封切り『ウーマン』だった。女、女、女、女、女と数編にわかれているこのオムニバス映画は、『アダムとイヴ』でイヴがアダムを悪に誘い、『南北戦争』では、若い娘が、逃亡の若き兵隊をかくまってやったのに、追ってきた敵兵将校が懐中時計を目の前にぶらつかせたがため、その誘惑の時計に負け、若き兵のかくれ場所を教えてしまい、その兵は射殺される。 『あざらし』は、月夜の海岸に数百頭のアザラシがはい上がり、美女に変じて踊り狂う。岩かげからこれを見た若き漁夫が、思わずその一頭が砂上に脱いだ皮をかくした。夜明け前、美女たちは再び脱ぎすてた皮をまといアザラシに戻って海へ去る。ひとりの女がわが身の皮をさがす。そこへ、くだんの若者があらわれ、巧みに慰め、わが家に連れかえる。かくて五年。その女は彼の妻となり、二人の子をもうけたが、ある日ふと見つけたわが身の忘れえぬ皮。妻は置き手紙を残し、夫と二人の子を捨て、夫がわが家に帰る前、海へと去ってゆく。 かわいそうだが、これみんな女が悪いと思った。十歳の私は、このあと母なる人の顔をじーっと見つめ、罪なる者、そは女なりきと思ったものだ。」 原稿用紙2枚の文章のその半分以上を引用してしまった。というのも、淀川氏のアイデンティティを決定したような口ぶりのこの一節だが、『南北戦争』にはじつは原作小説がある。そのことを淀川氏が御存知ないとはとうてい思えないのだ。原作は、メリメの有名な傑作短篇、『マテオファルコーネ』である。ただしそこに書かれているのは、女ではない。男(少年)である。タイトルになっているマテオファルコーネは、男の子の父親の名前。なぜ父親の名前がタイトルにされているかというと、信義に悖(もと)る裏切りをした息子を、父は射殺するからである。舞台は南北戦争のアメリカではない。イタリアはシチリーである。それ以外は、淀川氏が説明する映画のとおり。 映画の脚本家もずいぶん罪な改変をしたものだ。少年を娘に変えたばかりに、いたいけな10歳の淀川少年に「女はこわい」という観念を植え付けてしまったなんて。しかも原作では、少年だからこそ将校のさしだす時計の誘惑が生きていた。娘に時計では、少なくとも私はピンとこないのだが、如何であろう。シチリアンの信義を重んじるという原作の主題は完全に閑却され、それだからこそだろう、女の心根の卑しさが言挙げされることになった。この脚本家、女性に対してずいぶん意地が悪い。 淀川氏は、『カルメン』の原作者メリメについて、良く御存知のはずである。私が疑問に思うのはそこだ。『マテオファルコーネ』を知らないとおっしゃるのだろうか。そんなことはあるまい。忖度すれば、10歳のときに植え付けられた観念を思い出として「美しく」維持しようとすれば、後年知った原作のことなど書かないほうがよいのである。そんなことは、どうせ映画そのものとは関わり無い、付け足しの知識だからである。 それにしても、このことだけは真相をお聞きしたかった。こっそり耳打ちでよいから。 さて、原作について述べたので、同じく『あざらし』についても述べておこう。この原作を淀川氏は御存知だったかどうか。 ヘルマン・ヘッセをして「ドイツにおける最良の童話作家」と言わしめたリーザ・テーツナー、その人があつめた各国の民話のなかから、アイスランドに伝わる『アザラシ』という一篇、これが原作である。日本の『狐葛の葉』のような異種異類婚と『天の羽衣』とをあわせたような物語は、淀川氏の説明している映画のとおり、おそらくまったく改変していない。 上記『南北戦争』の脚本を罪な改変と私は言ったが、『あざらし』については、これまた映画脚本家のお手並みに驚かされる。原作は、なんと、たった320語。あんまり短いので、私、酔狂にもついつい字数を数えてしまったほどだ。こんな短い物語から、みごとに映画をつくりだしてしまったのだから、その想像力というか創造力というか、映画ファンとしては自分の手柄のように嬉しくなってしまう。たとえ淀川氏には御気の毒な結果を残したにせよ・・・ ついでだから、その原作を原文のまま掲載しておく。Das Seehundsfell(アザラシ)Lisa Tetzner Ein Mann aus Myrdal ging einmal eines Morgens in der Fruhe an einem Felsen vorbei und kam zu einer Hohle horte er tanzen und larmen:draussen aber lag eine Menge Seehundsfelle. Er hob eines davon auf und nahm es mit nach Hause. Hier verschloss er es in seiner Truehe. Als er am Abend wieder zu der Hohle kam, sah er ein wunderschoes, nacktes Madchen dort sitzen. Es weinte bitterlich. Das war der Seehund, dessen Fell der Mann in seiner Truhe eingeschlossen hatte. Er trostete das Madchen, gab ihm Kleider und nahm es mit sich in sein Haus. Da sie einander sehr lieb gewannen, nahm er sie zur Frau. Sie lebten gut miteinander und hatten viele Kinder. Aber manche Stunde sass sie am Ufer und schaute uber die See hinaus. Den Schlussel der Truhe trug der Mann immer bei sich. Einmal aber, nach vielen Jahren, ruderte er hinaus, um Fische zu fangen. Da vergass er den Schlussel zu hause unter seinem Kopfkissen. Als er am Abend heimkam, war die Truhe offen, und die Frau war mit dem Fell verschwunden. Sie hatte den Schlussel gefunden, aus Neugier die Truhe geoffnet, darin herumgestobert und dabei ihr Seehundsfell gefunden. Da hielt sie es nicht langer aus, sagte ihren Kindern Lebewohl, fuhr in das Fell und verschwand in der See. Bevor die Frau in die See sprang, sagte sie: 《Mir ist so froh und ist so weh, hab sieben Kinder in der See, und sieben auf dem Lande.》 Der Bauer war sehr trauring daruber. Wenn er zum Angeln hinausruderte, dann schwamm ein Seehund oft um sein Boot herum, und es war, als liefen dicke Tranen aus seinen Augen. Seit dieser Zeit hatte er immer Gluck beim Fischfang und in allen Dingen. Wenn die Kinder an den Strand singen, begleitete sie der Seehund und warf ohnen bunte Fische und hubsche Muscheln hinauf. Aber die Mutter niemal wieder zu ihnen.