愛の遺骨
イタリア北部のマントバ近郊で、約6,000年前のものと推定される男女の抱き合った遺骨が発掘された。これを写真入りで伝えているのはAFP通信。 その写真を見ると、遺骨はほぼ完全な状態で、男女が顔を寄せて向かい合っている。ふたりともお坐りするように膝を折り曲げた恰好で、男の膝の上に女の折り曲げた膝が乗り、どうやら男は腕を女の肩を抱くように掛けているようだ。ベッドの上で睦みあうふたりの姿。 ・・・と云いたいところだが、すぐに疑問がもちあがる。報道では、考古学者は「埋葬された」と言っていると伝えている。だとすると、この男女はいったいどのような状況で亡くなったのだろう。抱き合うように横たわって、ふたり同時に! 病死にしろ、心中にしろ、二つの遺体をこのような恰好で「埋葬」することなどあるだろうか。「埋葬」ということは、あくまでも他人の手によって葬られたことを意味する。 この私の疑問に対する答は、報道記事のなかには何も見出せない。 そこで、私は勝手に想像をめぐらせるのだが、まず「埋葬」を否定してみよう。するとそこに現出する状況は、この男女は人知れず死んだということだ。病死でもいい、心中でもいい。また、食物がなくて抱き合ったまま死を待っていたという想像もできる。 その死の正確な状況はともかく、AFP通信が配信したこの写真が心を打つのは、ふたりの愛がひしひしと伝わってくることだ。朝日新聞はこの写真に、《6000年越しの愛》というタイトルを付けている(9日夕刊)。 6,000年前というのは新石器時代にあたる。 そこから私はあらたな想念がうかんでくる。 日本では厚生労働大臣の無知で恥知らずな発言が問題になっている。時代錯誤の意識が、自己改革されないまま「本音」となっているわけだ。陳謝しているけれども、男尊女卑的な意識というのは、一朝一夕に変わるものでもあるまい。 私が6,000年前の男女の愛の姿体を見て考えたのは、彼等の社会には男尊女卑の思想がなかったのではないかということだ。 きわめて奇怪なことであるが、世界三大宗教と呼ばれる宗教はことごとくその教義の根深いところに男尊女卑の思想がある。宗教文化は、その思想をたいへん精緻に理論化し、普遍化してきた。 私は数年来、創作のテーマとして「新アダムとイヴの誕生」を扱っている。これは、じつは、旧約聖書におけるそもそもの女性蔑視に対して異を唱えるものだ。キリスト教が女嫌いの宗教であることは、その初めから現代まで本質的に変わっているわけではない。イスラム教も仏教も、その点は似たり寄ったり。はっきり言えば、それらの宗教世界で徹底的に侮辱されているにもかかわらず、女性たちは唯々諾々として帰依しているのである。わが厚生労働大臣の意識を私は時代錯誤と評したが、驚くにはあたらない。 現在、この宗教文化に対して、「それは間違いですよ」と言っているのは、DNA遺伝子学である。この地球上に人間が誕生(発生)してから現代まで、脈々と種の生命が存続しているのは女性染色体によるのである。つまりX染色体の連続性である。男性染色体(Y染色体)というのは、いずれ消滅してゆく。てっとり早く言えば、もし自分の子孫を残して一族を繁栄させようと望むなら、女の子を産まなければいけないということだ。 昔の日本には、「嫁して三年、子無きは去る」という風潮があった。「家」が重視され、特に武士社会では家督を継がせる男児の出生は一大事であったから、柳沢大臣ではないが「女は借り腹」、子を産むための機械と考えられていた。 しかし、このような文化意識もまた遺伝子研究からは完全否定されるものだ。まさに笑止の沙汰。子供の性を決定するのは男の精子にほかならない。とくに男児がほしいとなれば、その責任は男性以外にはない。 遺伝学のむずかしいことを知らなくとも、女性染色体がXXであり、男性染色体がXYであることを知っていれば、それらを掛け合わせてXYを得るためには、初めから男性染色体が不可欠であることは何の説明もいるまい。つまり男は性を決定する染色体をはじめから半分づつ持っていて、X染色体を持っている精子が卵子と結合すれば雌性を決定し、Y染色体を持っている精子が卵子と結合すれば雄性を決定する。もうすこし正確にいうと、Y染色体を機能させるSRYという遺伝子が正常ならば、Y染色体をもつ精子と結合した卵子はやがて男性となる。性の決定に女性は関係していないのである。 「嫁して三年、子無きは去る」と、男の責任を棚にあげて、女を足蹴にしていい気にふんぞり返っていたのが武士社会というわけだ。文化文化というけれど、正体を見極める必要があるということだ。 そういう見極めは、社会学的にはフェミニズム論が一般化につとめている。が、それに対して反フェミニズム論者すなわち多かれ少なかれ心底に男尊女卑を宿す人たちは、おおむね、「それは、生物学的な性差に依拠し、自然の理を社会制度化していることなのだ」と反論してきた。 しかし現代遺伝学の研究結果は、それら時代錯誤の文化意識や宗教教義に反論の有無を言わせないのである。 6,000年前の男女の愛を感じる遺骨の状況は、この時代にはいまだ女嫌いの思想は胚胎していないことを示していはすまいか。 世界の数多くの民族のなかで、性差による社会的差別がないと報告されている民族がある。いま、ちょっとど忘れしてしまい、確実なことは言えないが、ピグミー族もそのひとつだったと思う。(間違っていたら後日訂正します。)これらの社会を研究すると、2,000年以上にわたって延々とつづいてきた女性蔑視社会を変えるまったく新しいパラダイム理論が構築できるかもしれない。 人間は、まだ、人間自身のなかに、希望の火種をみつけることができそうだ。