種吐き出して事决す
東京・浅草の鬼灯(ほゝづき)市は、たしか7月の9,10日。その頃に、我家の近所の園芸店でも、茜色をした袋をたくさんぶらさげた鬼灯の鉢が並んでいた。昔、子供の頃の我家の庭にも1,2本あったし、知り人の畑の隅にあった鬼灯も、それが誰の家だか忘れてしまったのに、その目に染む赤い色の背後にひろがっていた田園の風景だけは今も忘れてはいない。女の子たちが鬼灯の実の種子を抜き出して、口先でキュッキュッと鳴らしていたものだ。私は不器用で、いくらやっても上手く鳴ったためしがなかった。昔の映画で、子守女が鬼灯を鳴らしながら背中の赤ん坊をあやしている場面が記憶にある。なんという映画だったか。 記憶に残る赤い鬼灯の遠景は、たしかに夏の景色なのだが、「季寄せ」によれば鬼灯は9月の季語。これは旧暦のため。しかし私の感覚でも、鬼灯は秋の色である。 引渡し期限の迫った仕事の手を休めて、近くを散歩していると、他家の庭の葡萄棚に山葡萄のような葡萄がたわわに垂れていた。まだ固い青い実にまじって、すでに赤紫に色付いているのもある。 その家の老主人が何やら細杖を手に出てきて、庭木をコンコンと叩く。どうやら虫を落しているらしい。薬剤を散布すると、袋掛けしていない葡萄は、食べられなくなってしまうのかもしれない。 じろじろ見るのも悪いから、見るとも無く見ながら歩き出した私の背後で、いつまでもコンコンと木を叩く音がつづいていた。 葡萄の種吐き出して事を決しけり 虚子