新版広辞苑に思う
今夜は十三夜、そう思いながら夜空を見上げると雲ひとつなく月が輝いていた。色付きはじめた柿の実のような色をしている。私の横をすりぬけて猫のサチがベランダに飛び出し、月明かりのなかで黒いシルエットになって、嬉しそうに転げ回る。 「寒い寒い、帰っておいで」 サチを呼び入れ、戸を閉めた。 露けさに障子たてたり十三夜 虚子 「十三夜」という言葉を手近にある国語辞典で引くとそれぞれ次のように説明している。 【三省堂・明解国語辞典】 1,陰暦十三日の夜。2,陰暦九月十三日の夜。のちの月。 【三省堂・明解古語辞典】には「十三夜」は載っていず、「のち(後)」の項に「後の月」として、 陰暦八月十五日の夜の月に対して、九月十三日の名月をいう。「後の月 葡萄に核(さね)のくもりかな」(成美) 例文の句は、江戸時代の俳人・夏目成美(寛永2年:1749―文化13年:1816)の作であることを示している。 【岩波書店・広辞苑】 1,旧暦の毎月十三日の夜。2,旧暦九月十三日の夜。八月の十五夜の月に対して「後の月」と呼び、また、芋名月に対して豆名月・栗名月といって、月見の行事を行う。919年の醍醐天皇の月の宴に始まるとも、宇多天皇がこの夜の月を無双と賞したのによるともいうが、わが国固有のものらしい。→「十五夜」 ごくごく手近の辞典でも少しづつ記述が異なっている。ちなみに、上の二書はわざと古いものを使った。昭和42年発行の新装改訂134版と、昭和38年発行の新版4版である。また、広辞苑は昭和56年発行の第2版補訂版である。現在書店に出ている広辞苑は第5版であるから、第2版も古いといえば古い。 さて、もってまわった言い方で何故こんなことを書いているかといえば、このたび広辞苑の第6版が刊行され、これに新たに採録された言葉、その編集方針にいささか疑問をいだいたからだ。 話題になっている採録語は、たとえば「うざい」とか「ラブラブ」という言葉である。 これらいわば俗語が、現代俗語辞典と称するようなものに収録されるなら当を得ているといえようが、はたして広辞苑に収録する必要があるのかどうか。 辞典の編集方針を決定するのは難しいものである。あらゆる流通語を漏れなく収録できればそれに越したことはあるまい。だが、言葉は生きているということをそのまま無定見に方針に組み込めば、ナマモノの日常語のなかでスタンダードは見失われていくであろう。私はたしか以前このブログで書いたことがあるが、日本放送出版協会が発行していた『アクセント辞典』が、それはいわゆる東京アクセント型を標準としていたにしろ、その後、若者俗語の語尾強調型アクセントを「現代一般型」として採用する編集姿勢をとりはじめたことにより、日本語のアクセントのスタンダードを見失ったのではないかと指摘した。なんでもアリということは、正しいアクセントを調べるという本来の有用性を破壊することにほかならず、辞典としての存在理由がなくなってしまったのだ。 辞典というものを1册あれば事足りると考えるのは間違いなのではあるまいか。最近の広辞苑の編集方針には、そのようなバカバカしい商売っ気がうかがえるのだ。 私の書棚には外国語をふくめて大小沢山の辞典がある。もしかしたら、一般家庭としては多すぎるかもしれない。一般家庭には『隠語辞典』などは、まあ、所持していないだろうから。 今、机のそばの棚にならんでいる辞典だけでも書き出してみようか。 『角川国語辞典』『大明解漢和辞典』『明解漢和辞典』『日本服飾史辞典』『実用服飾用語辞典』『男性服飾用語辞典』『デザイン小辞典』『岩波理化学辭典』『小学館独和大辞典』『岩波独和辞典』『スタンダード佛和辭典』『ラルース大英和辞典』『語源英和辞典』『新クラウン英語熟語辞典』『英語会話表現辞典』『会話・作文・英語表現辞典』『社会人の英単語』『新選英和辞典』『デイリー・コンサイス英和辞典』『最新コンサイス和英辞典』『トラベル英会話辞典』『講談社学術文庫版・英和辞典』『大学書林・中国語小辞典』『Webster English Dictionary』 先に上げた3册の国語辞典をいれて27册。この他に別な部屋にもあり、それらを常時ひっきりなしに使用しているわけではないが、辞典として機能しているのだ。つまり、繰り返すが、辞典というものは1册で事足るとは少なくともできるだけ厳密をもとめようとする使用者の思念にはない。したがって国語辞典はまずは50年100年くらいのスパンをスタンダードとすることを基本に、現代俗語は付録として収録することで良いのではあるまいか。多分に一過性の流行語、未成熟な符牒のようなものもあろうではないか。辞典を引く理由はいろいろあろうが、日本語としての成熟語を探究するというのも、大きな目的であろう。軽薄で未成熟な若者言葉を多数収録したことにより、削除されてしまった言葉がないとは考えられない。私はこれまでにも、何故この言葉が収録されていないのだと思ったことがしばしばあった。「死語」とは今日若者が言うのを耳にするけれども、国語辞典の収録に関しては死語などはないと考えたほうがよい。編集方針としては、現代流行語を追い掛けるよりも、むしろ大切なことなのではあるまいか。 「うざい」と同種の言葉だと思うが、私の日常言語にまったく登場しない言葉、したがって不可解な言葉はたしかにある。「しかと」「えんがちょ」「びびる」「ばんちょう」「ヤンキー」等々。ようやく最近になってそれらの概念がなんとなく分かりかけてきた。しかし血肉となるには遠い。おそらく私はこれらの言葉から無縁でおわるだろう。はたしてこれらの言葉が広辞苑の最新版に出ているかどうか。出ていないとしたら、ますます編集方針の容易に納得できない無定見さを疑わなければならない。愛用者としての嘆きである。 水涸れて池のひづみや後の月 蕪村