ハートとアート
英語の押韻については何度か書いてきたが、英語の詩に関心をもち自分でもその真似事のようなものを書いていると、英語の雑誌や小説を読んでいてもついつい押韻関係にある言葉が気になってくる。英語が母語である人ならなんのことはないのであろうが、私はいちいち頭で考えなければそのような関係にある言葉は思いつかない。まして詩として一連の意味を構成する一つ一つの句の最後に押韻関係にある言葉をもってくるのだから、私にしてみれば、詩を書くというより言葉のゲームである。老化してゆく脳のために、少々は活性効果をもたらすのではないかと思っているのだが・・・ ところで、ふと思い出したのがフィリップ・ロスの小説『さよならコロンバス』(Philip Roth; GOODBYE, COLUMBUS)だ。翻訳が出ているであろうが、原文でなければ分らないことなので、ちょっとそこを抜き出してみる。 図書館勤めの主人公ニールのところへ黒人少年がやってきて、こう尋ねる。 ''Hey,'' he said, ''where's the heart section?'' 「ハート(心臓)部門はどこですか?」 ''The what?'' I said. 「ザ・何?」 ''The heart section. Ain't you got no heart section?'' 「ハート部門です。ハート部門はないんですか?」 少年の言葉は強い南部黒人訛りなのだが、ニールには理解できる。が、ただ一つの言葉だけが明らかにハート(心臓;heart)と聞き取れるのだ。 ''How do you spell it?'' I said. ''Heart. Man, pictures. Drawing books. Where you got them?'' ''You mean art books? Reproductions?'' He took my polysyllabic word for it. ''Yes, they's them.'' 「どういう綴り?」 「ハート。絵ですよ。ドローイング・ブックです。どこにあるんですか?」 「君が言うのはアート・ブック(芸術書)だね? 画集?」 少年は私の複音節語(注;Reproductionsという言葉のこと)を理解した。「そうです。その本です」 さて、ここで愉快なやりとりの原因となっているのが、ハート(heart)とアート(art)。この二つの言葉は、片やh音が入るけれどもまったく同じ発音なのだ。つまり押韻関係にある言葉である。黒人少年は、別に芸術が心に響くと言っているわけではない。たぶん南部黒人訛りで、hが少し混じるのだろう。それが主人公ニールにはすぐにはアートと思いつかず、図書館にやってきてハート(心臓)部門はどこだと尋ねるのでいささか面くらったわけである。 押韻関係にある言葉というのは、ちょっと冗談みたいな遊びもできるのである。マジメな詩においても、その冗談みたいな言葉の飛躍が、思いもかけないイメージの飛躍、感覚の拡大を生むといってよいかもしれない。 「heart」と「art」は真正押韻だが、じつは正確には発音は同じではないのだが、非常によく似たいわば疑似的な押韻というのがある。これはシェイクスピアのソネットにも出てくる。 シェイクスピアの詩は、古語を使っていることもあり、文法的にもやっかいなので、英米では昔から良く知られている童謡『ベティ・ボター(注;女性の名前)』を例示してみよう。擬似的な押韻をつらねた早口言葉、あるいは冗談のような童謡。英米の童謡のひとつの典型でもある。 ベティ・ボターがバターを買ったらビター(苦い)だった。それをバター(練り粉)に入れたらビターになるだろうし、もうすこしベター(ましな)バターを入れたらベターなバター(練り粉)になるだろう。それでベティ・ボターちゃんはビター・バターより少しベターなバターをビット(少し)買って、それをバター(練り粉)に入れたらバター(練り粉)はビター(苦い)でなくなった。ベターなバターを買ったベティ・ボターは少しベターだった。・・・と、いう意味。Betty BotterBetty Botter bought some butter,but, she said, the butter's bitter;if I put it in my batterit will make my batter bitter,but a bit of better butterwill make by batter better.So she bought a bit of butterbetter than her bitter butter,and she put it in her batterand the batter was not bitter.So't was better Betty Botterbought a bit of better butter.