オバマ大統領の就任演説を読む
オバマ大統領の就任演説(Obama's Inaugural Address)の全文をあらためて原文で読んだ(朝日新聞1月24日掲載)。これが歴史に残る演説かどうかについてはCNNでも議論されていたが、格調高いすばらしい演説であることはまちがいない。すくなくとも空虚な言葉はただの一語もない。理念は具体的なイメージでバックアップされていて、そこに二義性はうまれようがない。「美しい日本」などという、何の意味もないばかりか、人によってまったく異なるイメージが生まれる多義的な言葉などでは全然ないことを、私はあえて指摘したい。そしてアメリカ合衆国の理念ではあるが、いまやそれが世界の大方の理念と一致するものと言ってもよい。いや、私はそう願うのだ。 私は常に日本のことが念頭から離れないのだが、この演説はまた、いちいちが日本の現状を省みさせる。日本の政治的な進み行きは、ほとんど真逆のような感じさえするのだ。たとえば、 「Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.」 「きょう、出発にあたって、私たちはみずからを奮い立たせ、私たち自身の埃をはらいのけ、アメリカを再生するための仕事を始めなければならない。」 私が注目するのは、「自分自身の埃をはらいのけ」という宣言だ。ここには歴史認識があり、自己の過ちを修正する明確な意志が示されている。国民を統合するために古きにしがみついて、それを「伝統」などといいくるめる日本の大衆操作術とは大きな違いである。しかも大統領は、その後にすぐさま、そのことを政治がどう具体的にしてゆくかを明らかにする。総じてオバマ大統領の演説は、理念を掲げてからその具体化すべき問題を示している。空虚な言葉はひとつもない、と先に私が述べたのはそういうことである。 思いおこせば日本の首相は、佐藤栄作は記者会見場からマスコミを追い出したし、田中角栄は自分の都合の悪い質問をした取材記者に対して、「お前はどこの社だ!」と恫喝したものだ。ヤクザ並。低級なんですな。自らの言論をまったく信じていない証拠である。そういうヤカラによる政治が連綿としてつづいている。これは与野党に関わりない。野党だって場当たり的な稚拙な言葉しかもちあわせていないのだから。 いまや対外的な日本の顔は、政治によって保たれてはいない。政治家諸君、そして政治家を志向する人たちよ、自らを裸にし、ただ一個の人間として哲学することから勉強しなおさなければいけませんよ。言葉とはそういうものです。