『何がジェーンに起ったか?』
BSフジでロバート・オルドリッチ監督の『何がジェーンに起ったか?』(1962)を観た。過去にもテレヴィ放映されているけれども、私はずいぶん久しぶりだ。主演はベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォード、アンナ・リー、ヴィクター・ブオノ。 物語。・・・ブランチ・ハドソンとジェーン・ハドソン姉妹は、父親とともに芸人一家として幼い頃より舞台に立ってきた。殊に妹のジェーンは、〈ベビー・ジェーン〉の愛称で人気スター。彼女の稼ぎが一家を支えていた。姉のブランチは父親からも粗略にあつかわれ、いわば「冷や飯食い」に甘んじながら妹ジェーンに対する嫉妬は憎悪に変わってゆく。「この恨みは死ぬまで忘れない!」と。 しかし、成長とともに姉妹に対する世間の評価は逆転する。ブランチは映画女優としてスターになった。そしてある日、姉妹の運転する車が自邸の門扉に激突し、ブランチは背骨を折って半身不髄の障害者となる。 妹ジェーンは、運転をしていたのは自分だったと、悔恨と憎悪とを胸に、しかし姉の蓄財によって生計をたてる我身なれば、酒浸りになりながら、長い年月、姉の介護をしている。ふたりは世間から忘れられ、昔の面影もなく、醜悪に老いている。たぎりたつ憎しみで、ジェーンは半身不髄の姉ブランチを虐めぬく。そのすさまじさ! そして殺人。 虐待のすえに瀕死の状態となった姉から聞かされる、あの自動車〈事故〉の真相。 物語のすべてを明かすわけにもゆくまいからこのへんで止めにするが、これから御覧になる方は、醜悪なジェーンの顔が最後にフワーッと天使のような顔になるところを見のがさないでいただきたい。 ベティ・デイヴィスは、私が好きな女優のひとりだ。彼女が79歳のときの作品で、91歳のリリアン・ギッシュと共演したリンゼイ・アンダーソン監督の『八月の鯨』(1987)は、私のベスト・フィルムの一本。とにかく、ウマイ! このジェーン役でも、子供の頃からスターとしてスポイルされてきた人間の、傲慢さと弱さ、世間知らずの一方で世故にたけている面もあったり、精神の未熟で不安定な人間をみごとに表現している。そのような人格はセリフで説明されているわけではないので、私たち観客はベティ・デイヴィスの肉体からそれをはっきり感じとるのである。女優というのはこういう人のことを指すんですなー。相反する二面性を同時に表現できる女優というと、我が日本には原節子がいたけれど・・・ ついでだから言うが、ブランチ役を演じたジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスは実際に犬猿の仲だったそうだ。その仲の悪いふたりが、殴る蹴る(殴られる蹴られる)の映画での共演をひきうけるのだから、エライもんです。 ところで、ベティ・デイヴィスとカタカナで書いているが、正しくはBette Davisである。なぜこんなことを言うかといえば、淀川長治・蓮見重彦・山田宏一著『映画千夜一夜』のなかで淀川氏が、ベティ・デイヴィスがアカデミー賞の授賞式のときに「アイ・アム・ベッテ・デイヴス」と言ったのでびっくりした、と言っているからだ。 私は『何がジェーンに起ったか?』のクレジットを見て「Bette Davis」という綴りを確認したのだが、この芸名はルース・エリザベス・デイヴィスという本名に由来している。エリザベス(Elizabeth)の愛称は一般にはBabette, Bess, Bet, Beth, Betsy, Bettina, Betty, Eliza, Elsa, Elsie, Lisa, Lisette,Lizである。エリザベス・テイラーがリズと呼ばれるように。 Betteと綴るのは、むしろめずらしいのではないだろうか。のみならず、Betteを「ベッテ」と発音するのは、ただしいのではないかとも思う。淀川氏は、彼女が「ベッテ」とわざわざ発音したことを、やや彼女の人格に対する批評として述べているふしがある。しかしそれは、我々が勝手に「ベティ」と読んで通念としていただけで、その通念に対して「ベッテ」という正しい読みが耳慣れなかったのではあるまいか。 さらに淀川氏は、「デイヴス」と傍点をふっているDavisの発音は、これも彼女は下唇を噛んで「V」を発音したために、日本人である淀川氏の耳にはわざわざ傍点をふらなければならない「デイヴス」と聞こえたのではないか。 まあ、私は、このことをクスクス笑いながら書いているのだけれど。 ところでところで、もうひとつ。 シカゴ・トリビューン紙やエスクァイア誌で活躍するアメリカの人気コラムニスト、ボブ・グリーンがベティ・デイヴィスについてちょっといい話を書いていた。原本がみつからないので引用ができないのが残念だが、彼女はニューヨークのプラザ・ホテルでランチをとるのが習慣なのだそうだ。プラザ・ホテルは映画『ホーム・アローン』にも登場する高級ホテル。セントラル・パークに面し、5番街と78丁目とが交差する角にちょっと奥まってある。 あるひのこと、彼女はいつものようにひとりでランチをとっていると、見覚えのある男がはいってきた。ウイリアム・ワイラーだった。(ベティ.デイヴィスはウイリアム・ワイラー監督によって大女優になったといてもよいだろう。また彼女はワイラーと愛しあい、結婚を望んだといわれている。監督にはすでに夫人がいたために、この恋はおわったとか。) ベティ・デイヴィスはどうしようか、挨拶しようか、それとも気付かなかったことにしようかと、昔のことを思い出しながら逡巡する。すると向こうの席でワイラーが立ち上がった。彼はまっすぐこちらに向って来て、ベティ・デイヴィスの前に立った。 「あいかわらず、きれいだね」 ウイリアム・ワイラーは言った。 と、そういう話です。 プラザ・ホテルのダイニング・ルームに行ってごらんなさい。ふたりの美しい亡霊を見かけますよ。