国語辞典が役立たず
コンピューター用のフォント・セットにない漢字にはじまり、辞典にない漢字や言葉を、鴎外の俳句をめぐって詮索してきた。こういうしつこい詮索癖は、頭をその意識でいっぱいにすると或種の「磁力」を発揮しはじめるかもしれない。情報がどこからともなく、あるいは類は類を呼ぶかのように、ひょこひょこ現れる。そう思うのは今にかぎらない。長年、仕事をしている間に何度感じたことか。 きょう、次のような河東碧梧桐の句に気がついた。 井戸水にイカラみえそめ温みけり 私がカタカナで「イカラ」と書いた言葉は、漢字で虫ヘンに蔑と書く。そのように河東碧梧桐はルビをふっている。鴎外の使った「マクナギ」という言葉の漢字の1字、「ベツ」とよく似た漢字である。 「ベツ」は、手ごろな漢和辞典が収載していなくもない。たとえば、長澤規矩也博士の『明解漢和辞典』(三省堂)には出ていないが、戸川芳郎監修・佐藤進・濱口富士雄編『全訳漢辞海』には載っている。 しかし「イカラ」は両者ともに載っていない。そればかりか「イカラ」という言葉さえ、手持ちの数種類の国語辞典を調べたが、出ていない。河東碧梧桐の句と、そこに使われた漢字から、どうやら「イカラ」が虫のたぐいらしいとは推測できるのだが。 鴎外が使っている漢字にしろ、河東碧梧桐の漢字にしろ、現在では諸橋轍治博士の『大漢和辞典』13巻(大修館書店刊)に当たるしかない。すくなくとも、当たれば、フォント・セットに入っていなくとも、なんとか解決できるだろう。しかし、言葉そのものは日本語辞典から消滅しているおそれがある。 ここ2,30年、いろいろなところで様々な分野の人たちが、言葉を知らない、漢字を知らないと嘆いているが、かんじんの国語辞典が役にたたなくなっているのだ! 「マクナギ」については、未詳としたり、辞典によっては「マクナギ」と「マクナキ」とを混同して掲出していたり、それでも項目をたてている。しかし「イカラ」については、私はいまのところお手上げだ。 いまどきの国語辞典が役立たずなのだから、私はせめて詮索癖を昂揚させて、もうすこし「磁力」を強める必要がありそうである。なんとも安っぽい国だことよ。なにが日本文化だ!