21年物の梅酒
梅酒や枇杷酒など、果実酒を仕込む季節である。我家でも数年前まではほぼ毎年つくっていたのだが、その後はちょっと途絶えている。上の2種に加えて、洋梨酒も1本、全部で1升瓶(1800ml)が10本ほどがキッチンの戸棚に眠っている。15,6本貯蔵していたのだが、飲んだり料理の隠し味につかったり、弟の家庭にプレゼントしたりした。一番古いものは1989年に仕込んだ梅酒。21年物ということになる。 高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収録されている最後の詩は「梅酒」という。それを以下に。 梅酒 高村光太郎 死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は 十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、 いま琥珀の杯に凝って玉のやうだ。 ひとりで早春のよふけの寒いとき、 これをあがってくださいと、 おのれの死後に遺していった人を思ふ。 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、 もうぢき駄目になると思ふ悲に 智恵子は身のまはりの始末をした。 七年の狂気は死んで終った。 厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを わたしはしづかにしづかに味はふ。 狂瀾怒濤の世界の叫も この一瞬を犯しがたい。 あはれ一個の生命を正視する時、 世界はただこれを遠巻にする。 夜風も絶えた。 私はこの詩が好きだ。 『智恵子抄』が出版されたのは昭和16年8月。以来、版を重ね、私が高校生のときに買った決定保存版は昭和38年1月に刊行された通版第54刷である。たしかずっと依然、このブログでその画像を掲載したが、見返しに智恵子作の梅の切絵を使い、紅絹で装丁した美しい本だ。 この短い詩に、人間の愛と悲しみが、諦念に似た感情とともに「玉のように凝って」いる。その孤独が私自身のこころに深々と降り積る。高校生のときとはまったく違う感覚で。 毎年毎年、果実酒を1瓶造りながら、智恵子のように身のしまつをしてゆくのは、いいかもしれない。その酒を誰が飲むかは知らないが・・・