山田維史の遊卵画廊
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進行形作品、本日2回目。点の数は12,000。すなわち12,000/250,000である。 山田維史《250,000の点;12,000/250,000》ボール紙にフェルトマーカー 2010年Tadami Yamada “The 250,000 dots; For atomic victims in Hiroshima”Felt-marker on cardboard, 2010
Jul 31, 2010
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ことしも一週間後に広島原爆の日がやってくる。昨年、私は、その日を祈念して1日1点のコンピューター・グラフィックを制作し、このブログに掲載した。あるいは一昨年は俳句を8句つくって祈念した。長崎原爆の日も同様に祈念した。 ことしも作品をつくろうと思っているが、私自身のよんどころない事情があるので、さてどうしようかと考え、つぎのような企画をした。 被爆犠牲者25万人のその数だけ黒い点を打ちつづけるのである。その日毎の過程をこのブログに掲載してゆく。下に掲載したのは第1回目であるが、ここには2,500の点がボール紙にフェルトマーカー(サインペン)で打ちつけてある。25万にするためには残り100回(日)の作業が必要である。右下の私の署名は、やがて被爆犠牲者としての点に埋め尽くされるであろう。犠牲が他人事ではないという意味をこめるつもりだ。 山田維史《250,000の点 広島原爆の日祈念;1日目》 ボール紙にフェルトマーカー 2010年
日傘から紅き唇ちょとのぞき 青穹 炎天に山寺深き蝉の門 向日葵やすくすく育つ子の背丈 逆光にえのころぐさの穂の揺れて
Jul 30, 2010
猛暑には喜雨ともなりて端居かな 青穹 白雨(ゆうだち)や紅も小さき百日紅(さるすべり) 雨あがり蜩(ひぐらし)の鳴く背戸の山
Jul 29, 2010
このところ少し寝不足気味。 老母の看護がおわって就寝するのが午前1時。6時か6時半には1日の看護がはじまる。それはそれで、9ヵ月のあいだに心身にしみついてしまったから、どうということはない。ところが、問題は5匹の猫たち。 長らく猛暑がつづき、我家の猫たちの生活サイクルが変わったらしいのだ。 午前3時半から4時ころに朝御飯の催促をするようになった。眠っている私のそばにきて「ゴハ~ン、ゴハ~ン」と鳴くのである。 その時間になるとさすがに暑かった夜気もしずまり、一日でいちばん涼しい時間となる。そのときにたっぷり朝御飯を食べて、あとはめいめいお気に入りの涼しい場所にひっこんでしまう。 我家の猫たちは冷房が好きではない。母の体調管理のためにベッド・サイドに寒暖・湿度計を置いて、エアコンデショナーは25~26℃に、湿度は63~65%にしている。猫たちはこの程度でもお気にめさない。どうやら人工的に温度を下げていることが嫌いらしいのだ。 ・・・というわけで、せっかく眠りが深くなるあたりで一旦起きだして5匹の猫たちに朝御飯を与えることになる。なにしろ、しらんぷりして目をつむっていても、リコは私の頬にさわって起そうとするし、フクはえんえんと「ゴハ~ン、ゴハ~ン、ゴハン、ゴハン」を繰り返している。眠ってなどいられない。ぐずぐずして無駄に時間が過ぎてゆくより、さっさと与えて、残り2時間なり2時間半を眠ったほうがいい。 ・・・しかし、やはり寝不足になっているのですなー。昼間、ちょっと時間があるときに先日から原書で英国史を読んでいるのだが、気がつくと後頭部を背後の本棚によせかけて居眠りしている。こまったものである。
Jul 28, 2010
幽霊を手なずけている髪洗い 青穹 暑過ぎて幽霊萎える夏芝居 幽霊や道を尋ねてみやんしょう 幽霊や鉄分たりぬ色おんな 幽霊や引く手あまたの夏座敷
Jul 27, 2010
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鳴神や地団駄踏める面の皮 青穹 雷公が腹をたており渋団扇 稲光りつと離れたるこひ心 夕立やひょっこり覗く茗荷の子
Jul 26, 2010
きのうの夕方、ちょっとめずらしい雲の様をみた。北の空に暮れなずむ積乱雲が起って、その雲の縁を、アウトライン化するように細い光が縁取っていた。まるで光のペンで描いたように、あるいは細いレーザー光線で雲の形を空のなかに切り抜いたように、あるいはまた金糸でこまやかにステッチ縫いをしたように。沈んでゆく太陽光の微妙な位地加減によるわけだが、こんなに明瞭に雲のアウトラインだけが細い光で縁取られているのを、私は見たことがない。それはものの10分ほどで、しだいに溶けるように滲んで、形はダラシナク崩れて行ったのだった。 私は見とれていた。そして、これを絵に描くとしたら、描くのは難しくはないが、自然現象としてリアリティーを感じさせるのは、逆に大変難しそうだ、と思った。金色の一本の線で、大空に入道雲の形を描いても、幻想と思われるのがオチではないかと・・・。 絵が、どのようなあたりで、どのように成立するか・・・印象派の作品だって、リアリズムではないですからね。 夕雲や光の糸で縫取られ 青穹 青柿の落ちてひとつの佇まい
Jul 25, 2010
遠雷や踊りのあとの釜開き 青穹 踊り手が去って広場に雷の音 遠雷や愛憎の果てたたずめり 遠雷や此の世になんの執念(しゅうね)哉 畜生と歯噛みせし日の旱(ひでり)哉
Jul 24, 2010
昼ひなか櫓ぽつりと踊りまえ 青穹 提灯にまだ火の入らぬ盆踊り 殺生や烏賊鶏かなわぬ屋台店 ただドンと何やら空し昼花火 蝉時雨ひたと鳴き止む事情哉 みんみんは鳴止んで耳澄まされる
縁なきはついの住処に夏帰省 青穹 欲捨ててちと寂しきは酷暑かな
Jul 23, 2010
なんという暑さ! みなさん御元気ですか? みなさんはこの暑さをどんな言葉で表現しているでしょう。酷暑、猛暑、炎暑、大暑、極暑・・・ウ~、アッチーヨ~! TVニュースで、ある家電量販店ではエアコンディショナーが例年の3倍の売れ行きだと報じていました。我家でも、1階も2階も、エアコンディショナーがフル稼動です。 寝たきり状態の91歳の老母の体調管理をどうすべきか、これがこの夏の一番の問題ですが、過日購入した空調ざぶとんを背中にいれて、どうやらこれがとても良い効果をはっきしています。体温も36.5度±0.2(38度になると危険領域と考えたほうがよいでしょう)を維持しています。血圧も順調。水分補給も気をつけ、排尿量が一日平均1200mlになるよう気をくばっています。排尿量が少ないと脱水の疑いがあります。尿が汚れ、細菌感染による膀胱炎になります。 医者の話ですと、暑さで家人がまいってしまい介護すべき人の面倒を見きれなくなる例もでているとか。被看護人は年齢も状態もさまざまですが、たとえば老人にありがちなのが抹消血管のおとろえによって手足の血行が悪くなる。手足が冷たいので、この暑さでも「寒い」というわけ。家人は、ついつい靴下をはかせ、毛布でくるむことになります。するとたちまち体温は上昇し、脱水症になり、点滴をしたり入院騒ぎになる。結果如何では心臓や肺がやられて命をおとしかねない。・・・じっさい、高齢者の看護というのは微妙な事が多く、むずかしいのです。 ・・・みなさん御大事に。 炎帝の火箭ふりそそぐ此の世かな 青穹
Jul 22, 2010
以前、我家からいくらも離れていない住宅街の道路を自転車で通ると、妙な感じがする犬とすれちがった。犬にしては?・・・と思い自転車をとめてもう一度見やると、どうも猪のようだった。山際なので、猪がいるかもしれないとは思ったが、住宅街で目撃したので驚いた。 それから1年ほど後のこと、やはり同じ近くで、こんどは狸を見た。道端の石垣に寄り添うようにというか、うずくまるというか、死んで横たわっているのか、動かないのである。そのときは急いでいたので、そのまま通り過ぎた。帰りにふたたびそこを通ると、すでにいなかった。 我家のあたりではないが、たまにTVのローカル・ニュースで住宅地に狸が出没すると報じていた。それを思い出して、なるほどと思った。 ところで、さきほど、地区民生員のWさんが老母の様子を見にきてくださった。そして、ご自宅の裏の草原に、狸の親子がやってくるのだと話された。 母狸と二匹の子狸。草原で何かを食べているので、そっと覗くと、気配を察知してこちらを見たまま動かなくなる。つまりフリーズしてしまう。「あれは狸の死んだふり」とWさんは言った。 「狸寝入り」とは言うが、死んだふりというかどうか、私は知らない。要するに気配を消しているわけだから、「狸の知らんふり」というのはいかがだろう。・・・そうは思ったが、もちろんWさんには言わない。 ・・・狸の親子を覗いてみたいものである。
Jul 21, 2010
明け暮れの早きこのごろ日々草 青穹 われ此処に夏の夕陽を眺めけり 片陰に祭り露店のうすけむり 水打って内玄関の車椅子
Jul 20, 2010
昔、ニューヨークのメトロポリタン美術館のショップで買った、向日葵の陶器の大皿を飾った。絵が描かれているというより、花冠の部分だけを浮き彫りにしている。余白がないので、花そのもを皿にしているような印象。それがおもしろくて2枚買った。1枚は弟の家にプレゼントした。夏しか飾ることができない、ということもなかろうが、我家では夏の飾り。ぶっ欠き氷をいれてフルーツサラダを盛りつけてもおもしろそうだが、じつはまだ一度も料理を盛ったことはない。やはり夏の飾りである。 大皿に向日葵のはな描きあり 青穹 烈日に原の刈り草においたち 刈り草の倒れしなかに桔梗かな
Jul 19, 2010
炎天に緑陰涼し書斎かな 青穹 原書読み宿題おもう夏休み 英国史繙きおれば夏の蝶
Jul 18, 2010
夏空や飛行機雲の一文字 青穹 炎天にいささ風知る葉のそよぎ こじつけて海の日とする夏休暇 夏休み貧乏臭さも国のさま
Jul 17, 2010
おもしろや猫それぞれの涼処(すずみどこ) 青穹
Jul 16, 2010
暑けれど梅雨明けぬらし水見舞い 青穹 金玉も茹で上がりそな暑さかな 夏休み告げる店員声はずみ 看板にどぜうあります面白き 駒形の泥鰌鍋喰う暑さかな 寺詣り暑い暑いとどじょう鍋
Jul 15, 2010
老母の夜中の看護のために、月曜から金曜までは私がベッドサイドに寝る。 夜明け前、「寒い」というので、タオルケットを毛布に替えて胸元まで掛けた。どのくらい時間がたったか、母の深い寝息が暗がりのなかで聞こえていた。すると突然、眠っているはずの母が大きな声で歌い出した。 「きよしこの夜 星はひかり」 私はおどろいて声をかけた。 しかしすでに眠っていた。 母が歌うのを聞くのは1年ぶりだろうか。いや、もっとになるかもしれない。 大きな手術をする以前、母はベッドに横たわりながら、手を宙にあげてピアノを弾くように指を動かしながら、「ミレドミソソラソ」などと音名で歌をくちずさんでいた。「指の運動になる」といいながら。それだから、大きな声で歌いだしたときは、それだけ元気が湧いて来ているのか、という思いと、とうとうヤラレてしまったか、という思いが重なって来た。 が、すぐに、夢をみたのだろうと思い直した。明方の寒さが、何か冬の夢を誘発し、さらにクリスマス・ソングに結びついていったのだろう、と。 そう考えるとなんだか可笑しくなった。 起床して、訪問入浴スタッフを迎える準備をしながら、 「歌をうたっていたよ。夢をみていたのかな?」と聞くと、老母はこくりとうなづいた。 どんな夢かは知らないが、きっと楽しい冬の夢だったのだろう。 「風邪ひかないでね」と母は私を気づかって言った。------------------------------------------ 夏見える層雲の穴かがやけり 青穹 出水や蟻がおしえる水位かな
Jul 14, 2010
遠橋や広重描く雨の糸 青穹 鬼百合や雨の紗幕に大名題 罪つくるモームの雨は降止まず【註】モームの雨: サマセット・モームの戯曲『雨』を指す。 ルイス・マイルストン監督の映画『雨』(1932年)の原作である。ジョーン・クロフォードとウォルター・ヒューストン主演。映画史に残る傑作。雨はきわめて映画的なので、雨の映画といえば『雨の訪問者』(くしくも今夜NHK・BS2で放映)、『リスボン特急』、『死刑台のエレベーター』、『シェルブールの雨傘』、『雨に唄えば』、『ティファニーで朝食を』、『コレクター』、『雨のなかの女』、そして我が山中貞雄の『人情紙風船』、黒澤明の『羅生門』や『七人の侍』『八月の狂詩曲』、東映仁侠作品の道行シーンの数々まで、たちどころに思い出す。しかし上記『雨』を忘れてはなるまい。私の所持しているのはヴィデオだが、たぶんDVDも出ているであろう。未見の方は是非。 NHkヴィジュアル・ブックス企画・発売 NHKエンタープライズ
Jul 13, 2010
稔りても廃園の葡萄腐るらん 青穹 露涼しやがて消え行く医者診立 はんみょうや名医に遠き思考哉 唐きびを丸齧りする歯や老ず【註】はんみょう(班猫): 黄・赤・紫・黒などの斑点がある体長20ミリほどの「はんみょう科」の昆虫。路上で人が来ると前にとびだし、1メートルくらい先にとどまる習性がある。まるで道案内をするようなので、「道おしえ」という別名がある。 高浜虚子に「高野山」と前書を添えて次ぎの句がある。 此方へと法の御山のみちをしへ 虚子 さて、今日の拙句は604句目である。昨日の「廃園に・・・」が600句目だった。残り5ヵ月半で400句つくれば計画どおりに1000に達する。・・・と、まあ、こんなことで24時間看護のストレスを解消しているわけである。
Jul 12, 2010
梅雨半ば地も固まるまい参院選 青穹 国政も国技も泥濘り夏禊 投票所夫婦交互に犬の番 しっぽりも濡れ過ぎてしまう驟雨哉 ざんぶりと濡れて帰れば雨あがる 廃園にたわわに稔る青葡萄
Jul 11, 2010
東都晴れ猫のひたいの青田哉 青穹 瞬刻の残陽映ゆし雲の峰 夏の日や雲金に染め暮れにけり
Jul 10, 2010
毎年7月9日、10日は東京浅草の浅草寺境内で「ほおづき市」が開かれる。午前10時から午後10時ころまで。 ちょうど観音様の功徳日で、7月10日にお詣りすると四万六千日に相当するといわれ、江戸時代から参詣が盛んだった。「ほおづき市」はこの功徳日にあわせて開かれ、浅草寺境内には「ほおづき屋」が450店、そのほかの屋台店が350店も立ち並ぶ。またこの2日間だけ、浅草寺から竹串にはさんだ「雷除守護」のお札が出される。 我家の近所の花屋の店先にも、切り花としての「ほおづき」がバケツに入れられてならんでいた。 水桶に青鬼灯の斬りてあり 青穹 鬼灯の半ば色づき降りやまず 鬼灯の種揉みほぐし鳴らしけり 鬼灯の鳴る音すこし哀しけり 叱られて泣いて鬼灯鳴らしけり
Jul 9, 2010
午後、眠っている老母の顔をのぞきこむと、ちょうどパッと目をあけた。私の顏があったものだから、まじまじと見ながら「7時になったら観に行くんでしょう?」と言った。 夢を見ていたのだろう。 「どこへも行かないよ。そばにいるよ」と応えると、母はそのまま目をつむった。そしてすぐに軽い寝息をたてはじめた。 それから数時間後。夕闇がおりて、母はあいかわらず眠っていたので、部屋の灯りもつけずにいた。すると暗がりから、「にいちゃん!」と私を呼んだ。 「ハイ!」 何事かと思って、薄暗がりで母の顔をのぞき、「ここにいるよ」と言うと、 「ちょうどよかった」 「どうしたの?」 「出かけるじかんでしょう?」 「どこに?」 「観に・・・」 どうやら午後に見た夢はおわっていなかったようだ。あるいは、私が出かけるのではないかという想念をめぐって夢が果てもなくグルグルと回転していたのかもしれない。 「どこへも行かないよ。ずっと家にいるからね」 母はすこし不審そうに私の顏をみつめていた。 私は長い年月考えたこともなかったが、観劇や観能、あるいは音楽会や諸々のパーティに、母をおいて出かけていたことに思いあたった。多くは仕事や社交がらみであったから、母を伴ったことが絶無ではないにしろ、母に留守居役をまかせて何の遠慮もなくしょっちゅう家をあけていたことを。 私は中学生のときから家族と離れて一人暮らしをしていたから、じつのところ、総計すれば母と過した時間はあまり多くはない。この1年半、看護をするようになって、はじめて24時間母のそばにいることとなった。それはまったく予想もしなかったことだ。しかし、それで見えてきたこともある。きょうのように、夢で見ているらしいことを現実に持ち来って私に言う言葉には、母の心のなかのアンビバレンツが透けてみえるような気がするのだ。息子の外出時間を心配すると同時に、引留めたいという気持もあることを、私は感じるのだ。それは、いま91歳の母の気持というよりは、昔の、長い年月の間ずっといだいてきた母の気持なのではないか、と。
Jul 8, 2010
梅雨のひま洗濯物に朝日かな 青穹 冷麺の酢の香ただよう昼の卓 小商い葦簀のかげに睡蓮や
七夕である。朝、訪問入浴のスタッフが老母のために七夕飾りをつくって持って来てくれた。寝ている母の目の前で揺らしながら声をかけ、私はそれを母の目の先の戸棚の引手にくくりつけた。いつもながらの細かい配慮に感謝である。 七夕や雨夜に恋は忍びけり 青穹 雨ぞ降る日々に疎しの二星かな 笹鳴りて願いの絲や雨の糸 七夕や子等の数だけ紙の星 駄菓子屋の七夕飾り賑々し
Jul 7, 2010
たまにネット・サーフィンをしていると思いがけない画像に出逢うことがある。先日は、海外の絵葉書コレクターのアルバムに昔の私の作品絵葉書が蒐集されているのでびっくりした。うかつな仕事はできないな、と自戒もし。 http://www.quotergal.com/goners/Lioness-Prezzie-1209.pdf きょう、庭に飛来した蝶を見やりながら、遠い昔、小学校1年生の担任だった樋口カエ子先生を思い出していた。私にとって生涯でもっとも大切な出逢い、と思っている。小難しく言えば、最初の「他者」であり、その他者の目で私の可能性を存分に引出してくださった。それはまた、私が自分自身を他者のように観察することができる第2の目をもつ人間としての教育であった。わずか1年半の間のことであったが、私を5,6年生の課外授業に参加させて、自然観察と分類学、そして文章によって、また描くことによって自己表現する術を身につけてくださった。私はいっさいの束縛も強制もなく自由奔放に、ただ私であればよかったのだから、楽しい思い出だけがこの時代を彩っている。 それは長野県南佐久郡川上村、川上第2小学校でのことだった。ずいぶん以前になるが、依頼された仕事の取材の帰りに、何十年ぶりかで川上村梓山を訪ねたことがあった。昔住んでいた向いのお宅がそのままだったので、いきなり訪ねて、「タダミさんですか?」といきなり言われて仰天したのだった。 そのとき、川上第2小学校にも行き、しばらく校庭をぶらぶらした。その時より3年前だかに、私の入学したときの校舎をすっかり建て替えたのだという。「ああ、来るのが遅かった!」と、私は内心で思った。 まえおきが長くなった。じつは川上村でレタスファームを経営する方のホームページに千曲川源流を紹介するページがある。数点の写真が添えてあり、そのなかに川上第2小学校前の千曲川の写真があった。もちろん私の時代の校舎ではないのだが、川や土手の様子は昔とさほど変わってはいない。 http://www.avis.ne.jp/%7Elettuce/kawa.html 写真には写っていないが、手前のほうに橋がかかっている。その突き当たりに秋山の郵便局がある。土手に添って校舎の視界をさえぎるように植えてあるのはカラマツである。その陰になって、私がおとずれたときは、校舎側に川上犬の犬舎があった。児童が飼育しているのである。川上犬は、この地方特産の純粋和犬。愛犬家には知られている。私が飼っていたカピも川上犬だった。 ついでなので、私が在校した当時の川上第2小学校の写真を掲載してお目にかけよう。昭和28年(1953)11月13日撮影。小学2年生の私の級友たち。樋口カエ子先生も写っている。ただし私はいない。2ヵ月ほど前に福島県に転校したからだ。先生が級友たち全員の手紙と一緒にこの写真を送ってくださったのである。 先生!御元気でございましょうか?
Jul 6, 2010
七月に入ると、ふと心によぎることがある。自分も年をとったか、ということ。何をいまさらと言われそうだ。65歳なのだから、自分の思惑とは違い、りっぱな老人かもしれない。 なぜこの時季か。じつは御中元にビールを頂戴するのだが、とても飲み切れなくなっている。箱詰めにされたその箱が、封も切らずに何箱も積み重なっている。時々すき焼に入れたり、肉を漬け込むのに使っているが、それだけでは消化しきれない。 60歳をむかえたころから、心中で「もう残り時間もないから、酔っぱらってクダ巻いてばかりいられないぞ」と、殊勝らしく思った。なに、じつのところ、健康なのだが身体が酒を受け付けなくなっているのだろう。 というわけで、まことに申しあげにくいのだが、お心差しだけ有難く頂戴いたしますので、あまり御気づかいなさらないでください。たしかに昔、知人たちの知る若い頃の私はウィスキー党だった。それがいまや、自らすすんでは飲まなくなってしまった。変われば変わるものである。 老いたるか貰いし麦酒手付かずよ 青穹 点鬼簿に知友かぞえる雲の峰 いづくんぞ生死を問わん露涼し
Jul 5, 2010
雷鳴や握れば小さき老母の手 青穹 早桃(さもも)三つ灯下の卓にけぶりけり 多摩川の出水に籠る都鳥 落ち梅の崩れゆくなり蟻たかる 居寝やらず聞いているなり夜半の梅雨(あめ)
Jul 4, 2010
空蝉や背割れて七日の命いづ 青穹 遠雷や呼ぶ声すなり秋成か 曾根崎も雨に降らるや秋成忌 梅雨さなか穫り残されし胡瓜哉
Jul 3, 2010
飛ぶ蜂やプリマバレリナのような脚 青穹 雷鳴や子等のうたごえはたと止み 遠雷や雨はいずこのあたりまで 遠雷や初唐黍を茹でており 空蝉やCT画像の老母かな
Jul 2, 2010
月晦日せわしき歩み扇鳴る 青穹 待たされて竹葉に鰻食いにけり 涼風が頁をめくる昼寝かな そよ風に猫の口ひげ揺れており 雨雲が押し寄せて来る梅雨の暇 ことしも早後半に入った。1年間で俳句1000句をつくろうという年頭の計画は、どうやら実行されていて、きのう6月末までに555句つくった。1日3句つくればどうにかなるという計算。先日の時点でやや予定数に充たなかったのだが、どうやら挽回して12句アドヴァンスができた。きょうの5句をいれると全部で560句だから、14句のアドヴァンスとなる。出来不出来は別である。数撃ちゃ当るぐらいの気持。しかし、読み直してみると、その日の感情に入り込むことができることに、あらためて気付いた。
Jul 1, 2010