俳人碧梧桐の会津城
俳人河東碧梧桐の句に会津若松の鶴ヶ城を詠んだ句がある。季節は秋。「會津城」と添え書きがあるので、それと知れるが、無ければわかるまい。つくられたのは、明治38,9年頃から41年頃に東北行脚をした際のもの、と推測される。 幕末の戊辰戦争で敗れた会津藩の鶴ヶ城開城は1868年(慶応4)。廃城となったのは1874年(明治7)である。城は取り壊され、91年後の1965年(昭和40)に再建されるまで、石垣と掘割のみの文字通りの城跡であった。 私が第2の故里として中学・高校時代の6年間を過した当時、城の本丸跡は競輪場で、やがてそれを取り壊して跡地で博覧会が開催された後、整地されて公園広場となった。天守閣が再建竣工したのは、私が会津を去った翌年である。 河東碧梧桐が訪ねたときの城跡は、どんな様子であったか。それを知る資料はいま私の手元に無いが、碧梧桐の句を詠むと、やはりそこはかとなく懐かしさが胸にくる。わずか3句なので、それを次に紹介しよう。 「會津城」 河東碧梧桐 末枯の漆落葉を踏み行きぬ 境木の築地になりぬ末枯れて 末枯れて道迷ふ湖面いや照りて 季語は「末枯(うらがれ)」である。草は末のほうから枯れてゆく、それを末枯(うらがれ)という。碧梧桐は、会津城のたどった運命をその言葉に含めているのではあるまいか。 末枯や月に笛吹く少年もなく 青穹