山田維史の遊卵画廊
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畏友、作曲家の新実徳英氏が「ライフワークのように思って作曲してきた」ヴァイオリン独奏曲〈ソニトゥス・ヴィターリス〉(生きとし生きるものたちの音)の連作 I ~ V が完成し、「新実徳英 ヴァイオリン作品展」と銘打った演奏会を開催する。是非お聴きいただきたい。 日時: 2011年9月29日(木)午後7時 東京文化会館小ホール チケット(全自由席): 一般4000円 / 学生2000円 チケット取り扱い: Eメール conami@aurora.ocn.ne.jp Fax : 03-3369-7746 東京コンサーツ 03-3226-9755, 及び同ホームページから 東京文化チケットサービス 03-5685-0650 助成: 公益財団法人朝日新聞文化財団 制作協力・問い合わせ: 東京コンサーツ 03-3226-9755
Jul 30, 2011
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隠そうとしても滲み出る原子力安全・保安院のデタラメぶりは、原子力安全委員会の無能ぶりとともに、私はこのブログで言及してきた。ここにいたって、ついに、原子力安全・保安院の電力会社への世論操作依頼があったと暴露された。 プルトニウムとウランを混合して原子力発電の燃料とするすなわちプルサーマル発電についての説明会において、プルサーマル原発を肯定する「サクラ」を会場に配するようにという依頼である。法的に中立であるべき組織の原子力安全・保安院が、法を破るという恐るべきことをしていたのである。 依頼された中部電力は、「サクラ」住民を会場に手配したが、「コンプライアンスにおいてできないと社内的に判断し」発言をさせなかった、と言っている。コンプライアンス(compliance )とは、「法令遵守」という意味。すなわち国の組織が、法を破る行為を依頼したが、中部電力は法令遵守の立場をとることにした、と言うのである。 こうした世論工作の依頼は、中部電力に対してばかりではなく四国電力に対してもあり、その工作を実行したことを、四国電力が公表した。 そして経済産業省は、その世論工作にもとづいて、説明会のアンケートは参加者の60%がプルサーマル原発を理解し肯定していると発表したのだった。 そもそも原子力安全・保安院の設立主旨は、組織的には原発を「推進」する立場と「規制」する立場との相反する部門を同一組織内に置き、法的に中立な監視的組織のはずであった。とはいえ相反する部門を同一組織内に設けるということに、当初から疑問があったことも事実。しかし、今になってみれば、「規制」は国民の安全のためにではなく、むしろ「推進」を補助するためであったようだ。言い換えれば、国民の「目隠し」、なにがなんでも原発を推進するためのご都合主義の規制組織であり、そうあるためには原子力安全・保安院という同一組織の中に組み込まれていることが必要であった。 海江田経済産業大臣は、菅首相に半ば反旗をひるがえし、玄海原発再稼動の舵取りをしようとしてきたが・・・(佐賀県知事は九州電力からの政治献金を受領し、玄海町長は実弟の会社が九州電力から50億円規模の仕事を受注していたことが判明している)・・・ここにきて想いもかけずに足許を掬われたかたちになった。記者会見で涙目になっていたが、その涙は自らの立場が危うくなってきているからであり、誰も同情はしないだろう。経産省身内の堕落腐敗はポット出の大臣ごときの与り知らぬところで進んでいるのだ。今回の不祥事について第三者委員会が検証する、と発表したが、そんなことで済むと思っているのか。国の行政機関が法令を破るということが、どれほどゆゆしきことか。国家の根幹にかかわると言っても過言ではないはずだ。 政府は、原子力安全・保安院の現幹部を厳罰に処して、組織としてはこれを解体すべきであろう。行政機関の堕落腐敗は、部分を摘んで剪定しても駄目なのだ。黴の菌はいたるところに根を張っているのである。
Jul 29, 2011
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SF作家の小松左京氏が26日に亡くなられたという。享年80。代表作『日本沈没』『復活の日』『日本アパッチ族』『終わりなき負債』『首都消失」など多数。ご冥福を祈る。
Jul 28, 2011
他人に対して怒りをぶつけることは、ほとんど無い私だが、きょうは怒りをぶちまけてやった。前回の日記に、気が長くなったと書いたばかりなのに。 バカにつける薬はないと分かっちゃいても、徹底的に打ちのめさなければならない時だってある。礼儀知らず、無礼な奴は、社会的にどんな立場にあろうと、皮を斬らせて肉を斬り、肉を斬らせて骨を断つ・・・そういうやりかたで死闘を繰り広げるつもりだ。怒らせると怖いんだ、私は。
Jul 27, 2011
気が長くなったナ~、と思うことがある。こらえ性ができたというか。昔の私は、切り捨てるものはさっさと切り捨てて前に進んだものだが、相手のことを思いやるというのでもないが、ぐずぐずの鈍さをジッと我慢して笑っている。もう人生の無駄遣いも仕方がない、と観念したのかもしれない。 何が嫌いかといって、私の人生の時間を無駄遣いされることが、大嫌いだ。そういう人とは二度と付き合わない。そういう信条で、実際、そうしてきた。それがナ~、近頃、許しているのだ。今も、ブッコワシテヤリタイほど怒りが込み上げて来ているのだが、耐えている自分を発見するのだ。「ゆっくり気長にお考えください。私は待っていますから」なんて言っちゃった。 これを読んでいる方々には、何のことかお分かりにならないだろうが。今日のところはご勘弁を。
Jul 25, 2011
本日正午、1953年以来のアナログTV放送が終了し、東日本震災の被災地である岩手県、宮城県、福島県を除く44都道府県が地上デジタル放送に移行した。 いわゆる「地デジ難民」といわれる地上ディジタル波による視聴困難な地域の問題、あるいは、TV放送をFMラジオで音声のみを聴いていた視覚障害者や寝たきりの高齢者などがTV放送から疎外されてしまうという問題を残しての出発である。 あるいは年金生活の独居老人世帯は、高価な地上ディジタル・テレビに買い替えられないなどの問題も、無くはあるまい。おそらく、テレビ視聴をあきらめて、インターネットに頼ると考える人もいるかもしれない。 情報格差の問題は、目に見えにくいかたちで非常に重要な事態をひきおこすことも予想できる。郵政民営化により、離島や過疎地域が、あるいは山奥に一人暮らしするような人が、郵便伝達手段から見放されたように。 我が家は数年前に地上ディジタルTVに替えていたので、今日正午の移行公示のテレビ画面も、家人はさほどの感慨もなく見過ごしたようだ。 思えばその昔、我が家にテレビが入ったのは、1958年のこと。私は13歳、中学1年だった。皇太子御成婚に合わせるように、八総鉱山では会社がテレビ中継塔を建設し、社員のテレビ購入にも便宜をはかったのだった。もっとも、私自身はこの時すでに家を離れて単身で会津若松の学校に行っていたので、家にテレビがやってきた感動は無い。2ヶ月に一度くらいの割合で、週末に一泊の帰宅をしたときに初めて見たのだった。 どういうわけか、私はその当時からテレビにあまり興味がなかった。現在のように24時間放送されていたわけではないが、末弟などは完全にテレビっ子で、かじりつくようにして見ていたのを思い出す。 記憶に残っているのは、日劇カーニバルにおけるロカビリー狂乱のステージや、力道山のプロレス中継、「日真名氏飛び出す」という探偵ドラマ、そして劇場中継『がめついやつ』。少し後の『事件記者』は家族全員で楽しんだ。アメリカの番組、『ローハイド』や『ルート66』『ルーシー・ショウ』『奥様は魔女』などなど。 日劇カーニバルの山下敬二郎、平尾正晃、ミッキー・カーチス。プロレスは力道山、豊登、ルーテーズ。力道山は、まだ相撲の力士の頃、戦後まもなく北海道巡業で羽幌町に来たとき、弓取式に使う弓を我が家に借りに来た。相撲は吉葉山や千代ノ山の時代である。 劇場中継『がめついやつ』は、三益愛子主演、中山千夏が子役で出演し、その演技に中学生の私は驚嘆した。3年後に、私はアマチュア劇団の童劇プーポに入団することになるが、『がめついやつ』の衝撃が少なからず影響している。 親元を離れての学校生活が長かったので、その間、私はテレビと無縁だった。その後もさほど変わっていないかもしれない。まず、テレビドラマというやつは、まったく見ない。唯一記憶に残る優れた作品は、『岸辺のアルバム』くらいだ。某女性脚本家の作品など、私にはとてもドラマとは思えないのだ。まあ、批判はしないでおこう。どうせ見ないのだから。 お笑いが好きなのだが、最近は、どうもね、学校のクラス会の余興に磨きをかけたような感じで、ちっとも面白くない。子供騙しだね。 私は昔のコントレオナルド(レオナルド熊さんと石倉三郎さんのコンビ)が好きだ。あのような社会性のあるお笑いがホシイな~。やっぱりお笑いの本質は、反権力や政治風刺、社会風刺。そういう、いわばアブナイ橋を渡ってこそ、お笑い芸なんだと思う。おとなの芸なんだよね。 テレビ局ががそういうアブナイ芸を閉め出したのかもしれない。そして子供騙しのお笑い芸人が二六時中番組を取り仕切っている。ニュース番組や、社会ドキュメンタリーや科学番組にさへ、シャシャリ出て来る。短い番組時間をバカなことを甘ったれた口調で賑わして無駄に使う。肝心な部分はむしろ付け足しのようだ。つまりテレビがつまらない、というわけ。 なにしろ自己信条として反原発を公言して、テレビから締め出された俳優がいるようだから。 テレビ局の言い分は、おそらく、反原発を信条とする俳優を使うと思想の偏向だと非難されると考えたのでしょう。しかし、それなら、原発推進を公言する人物だって締め出さなくちゃ。 こうして改めて言うとどちらにしろ奇妙でしょう? つまりジャーナリズムの本質は偏向を云々して中庸であろうとしたら駄目なのですよ。偏向を云々すると、それ自体が思想的偏向となる矛盾に陥ってしまうのですね。そういう新聞雑誌は多いですが。 双方の主張を徹底的に取材して、加工せずに報道する。あるいは双方を「分析する過程そのもの」をジャーナリスト側の主張として公表する。それがジャーナリズムというもの。 数日前、地デジ移行にともなって、すんなり移行できない老人が、「これからはテレビを見ないよ。どうせお笑いばかりだから」と言っていた。お笑いブームだそうだが、私はお笑いが好きなので、ブームという言葉がかえって空虚な響きがする。 まあ、番組は変りはしないが、ともかくもアナログ放送58年の歴史に幕が降りた。さようなら、アナログ放送。
Jul 24, 2011
台風襲来の準備をしていたが、東京は幸い風雨ともにさほどのこともなく、いささか拍子抜け。と言っては被害が出た地方には申し訳ない。事実、記録的な豪雨で、死者が出たところもあるようだ。 その温暖低気圧の影響で、昨日はひどく蒸し暑かったのだが、今朝は一転して涼しいほどだ。老母の体温管理も、昨夜は扇風機を止め、背中の送風機だけを回していた。猫のマリが母の脚に寄り添って寝ていた。やはり少しく寒かったのであろう。 私の仕事は、はかどって、装丁の版下製作以前の準備はすべて完了。作者花輪氏に完成を予想してもらうためにプリントし、本のサイズに裁断してダミーを作った。これを花輪氏に送ることにする。 カバーはフルカラー。本体表紙は、表裏の平(ヒラ)にデッサン風の絵を銀鼠で刷り、背のみにタイトル・作者名・出版社名を墨で入れることにした。 ヘンな話だが、この仕事のための体力がまだ余力を残しているので、このままひきつづき別な新しい作品制作にとりかかることにする。それは、たぶん5点くらいの小品連作になるだろう。それがうまくゆけば、でっかいサイズに描き直すことにしよう。
Jul 21, 2011
テレビは朝から〈なでしこジャパン〉一色。また、なんど見てもすばらしいプレーだ。技術力といい、果敢さといい、粘り強さといい。延長戦後半、澤選手のビハインドからの同点ゴール・シュートは、神技のようだ。彼女たちの表情の美しいこと! そして、なんとスポーツらしいスポーツ試合だったことか! というわけで、ひとしきり堪能したあと、理学療法士が来宅しての老母のリハビリは家人につきそってもらい、私は仕事場に入った。 昨夜、就寝前に、描きあげた装丁画をスキャナーでコンピューターに取り入れて、版型実寸大で文字を乗せてみた。それをもとに、原画を少し修正。文字の可読性を考慮して、ほんの気持ち透明色を加えた。 きょうは、この修正画を再びスキャンして、昨日同様にジャケット(カバー)のダミーを製作。調子を変え、0.5ミリ以下の微妙な調整をしながら、7点ほどプリントした。 以上の作業をしながら、いままで考えもしなかった表紙の新しいアイデアが浮かんで来た。 さて、どうしよう。少しく製作コストにはね返る。しかしやる価値はありそうだ。もう1点、原画を描かなければならない。・・・頭のなかで、どんどん本の姿が変わってゆく。こうでなくっちゃ。
Jul 18, 2011
なでしこジャパン、優勝だ! おめでとう! すごい、すごい!
きょう、蝉が鳴きはじめた。 老母のための訪問看護師が、連日の真夏日の暑さでおそらく他の在宅患者になんらかの異変がおこっているらしく、巡回の予定時刻がおおはばに遅れるようになっている。さいわい老母は安定しているので、看護師がタイム・スケジュールを間際になって変更しても、不都合はない。他家の看護する家族の苦労が偲ばれる。 たとえば高齢者のなかには体温調節機能が衰えていて、この暑さでも「寒い、寒い」と訴える人がいる。家族は懸命に身体を温めてあげることになり、挙げ句の果ての熱中症というわけだ。老母の主治医が、「電気カーペットで温めていた家があった」と、驚きの例を話していた。しかし、看護している家族を責めることはできない。「寒い」と訴える病人のために、自分たちはうだるような酷暑を耐えていたのだから。 我が家の5匹の猫たちは、冷房が嫌いなので、みな涼しいところを求めて外にいる。御飯時だけ姿をみせて、食べると再び涼みに出てゆく。朝、雨戸を開けようとすると、戸袋の屋根庇から長いしっぽが垂れ下がっていた。どうやら其処がリコの場所らしかった。裏山からの風、あるいは山下から吹き上げる風が、隣近所の建物や庭木の間をめぐって、良い具合に屋根庇の上を過ぎてゆくのである。フクはキッチンの窓の庇の上、マスクやマリはどこだろう。サチは、なんと私の仕事場の沢山立てかけた大きな絵の上、絵と絵との隙間にもぐりこんでスヤスヤ寝ている。そんな場所が涼しいのだろうか。 私は、午後いっぱい、装丁画を描いていた。
Jul 15, 2011
サッカー女子W杯、なでしこジャパン、準決勝はすばらしいゲームだった。各人の動きといい、よく見ての的確なボールさばきといい、ボール・ポゼッショニング(ボール保持率)といい、果敢なシュートといい、わくわくする試合だった。ここまで勝ち進んできたのは、ほんとうの実力だったと得心した。このまま、アメリカを下して、優勝してほしいものだ。 ガンバレ、なでしこ!
Jul 14, 2011
ただいま午前5時18分、ライブ中継中の女子W杯準決勝、日本対スエーデン、後半戦30分時点、なでしこジャパンが3-1で勝っている。がんばれニッポン!
朝、裏山でキジバトが太い声でデデッポー、デデッポーと鳴いていた。緑の葉の重なり合った茂みに、山風がさやさやと吹くようなイメージが喚起され、私は夏の朝のキジバトの鳴き声が好きだ。 早朝5時から10時まで、老母の看護であわただしかった。9時の入浴にあわせて、電動介護ベッドのマットレスを新しいものに交換してもらった。訪問入浴のスタッフ3人と、ベッドを借りているショップのスタッフが、広くもない母の部屋で肩擦り合うように行き交う。 すべてが終わってスタッフが引き上げると、さっぱりとして眠る母と私だけになった部屋に、不思議な静けさがおとずれる。母の背に敷いた空調布団の送風機と、足許に置いた蓄電式の扇風機、そして28℃に設定したエアコンデショナーの、それぞれの軽いモーター音が、一層、静けさを深くする。しばらく母の寝息をたしかめてから、私は仕事部屋に移った。 きのうまでコンピューターで装丁の実寸での下絵をつくっていた。 3点ほどつくり、それぞれに文字を入れ、あちこち位置をかえてみて、それぞれにさらに2,3点づつ作った。それをプリントしたものが机の上に8点。最も気に入ったものを実寸大にカットし、ありあわせの本にかぶせてみる。本は立体物なので、立体のダミーを作ってみるのである。 それができたところで、次はコンピューターの下絵のイメージをキャンバスに油彩で描いてゆくことになる。コンピューターで作ったものをそのまま装丁に使う事も可能だが、私はその下絵を気持ちにのみこんだうえで、一旦破壊してしまう。新たに、キャンバスのうえにイメージを創造してゆくのである。 きのうはその下地作りの第一段階をすませた。なかなか良い下地ができた。さいわいカンカン照りだったので、ベランダに出して乾かし、今朝もキャンバスの裏を日にあてて充分乾燥させた。 母を寝かせて、仕事場に入ると、窓を閉め切り、エアコンデショナーを切り、扇風機も切った。何をするつもりかというと、じつは昨日の下地の上に、下地第2段階として箔を貼るのである。箔はミクロンの薄さなので、空気の動きは禁物なのである。 うだるような暑さのなかで作業開始。キャンバスが小さいサイズなので、作業はたちまち終了。暑さのために下塗りのニスの乾きが早く、やや手こずる。しばらく放置してから、タンポンで箔を圧着する。それから丸めたティッシュペーパーでわざと表面をこすって荒らす。・・・これで下地が全部完成。すっかり乾燥するまで一日放置し、いよいよ油彩にとりかかることになる。明日以降の仕事だ。
Jul 13, 2011
たったいままでNHK・BSプレミアムでヒッチコック監督の『ロープ』を見ていた。このビデオを所持しているのだが、それはそれとして、老母に経管栄養を点滴している間、ベッドのそばでテレビを見ていたのだ。 この作品には、中学生時代の思い出もあり、作中の時間と映画のいわゆる尺が同じことや、セットがすばらしいことなど、語りたい事はたくさんある。しかし、まあ、それは措いておこう。 見ながら少しく笑みがこぼれてきたのは、この時機にこの作品を放映したNHKの企画に拍手したからである。「ハハ、NHKさん、ヤッタネ!」と。NHKとしては、たぶん、「いやいや、そんな意図はありません」と弁明するであろうけれど。・・・ 『ロープ』のテーマは、いささかドストエフスキーの『罪と罰』に似ていなくもない。世の中には優れた人間とどうでもいい人間がいて、優れた人間には善悪という道徳観念は無用。つまり、どうでもいい人間を殺しても、なんら疚しさを感じる必要はない・・・そう考える二人の若者が友人を殺害する。 ・・・この状況から、何かを連想しないか? 私は、たちまち、いままさに日本の難事となっている原発をめぐる電気事業界の体質、ならびに放射能汚染を「安全だ」と公言してはばからない組織とそこに属す人たちを想い浮かべたのだ。原発事故処理にあたっていた作業員が被曝し、死亡者も出、食肉牛がセシウム汚染されて食肉流通業界は減益に苦しむ現状にありながら、その不安をあざわらう人たちがいる。 たとえば今日の『週刊ポスト』は、〈大特集「恐怖の放射能」の嘘を暴く〉と新聞広告を出している。そして次のように書く。 「反原発活動家や煽りメディアから「安全デマ雑誌」と批判される「週刊ポスト」ですが、どちらが正しいか、判断するのは読者の皆さんです。」 いやはや、あきれたもんだ。これでは言論による説得の放棄ではないか。まさにファシズムがおこなうやりかたに自らを貶めている。 放射能は決して安全なことはないのだ。しかし原子力を我々が自家薬籠のものとして使おうとするなら、安全については常に精査してゆかなければならない。そして、電力業界も政府機関の原子力安全・保安院も経済産業省も、こぞって、その安全性をないがしろにしてきたことが判明した。震災と津波によって、未曾有の事故がおこった。以来、4ヶ月になるが、初期段階の終熄さへままならず、技術が事故の規模に追いつかない。放射能汚染は、事実として進行している。 溶解した燃料をとりだすために10年かかり、廃炉にするためにさらに数十年かかると、工程表が発表されたばかりだ。周辺住民は故郷を追われ、生活の糧を失い、絶望して自殺する人もでている。子供たちは戸外で遊ぶこともできない。これは事実だ。 これを放射能に対する過剰な反応というのか。・・・バカを言っているじゃない。 いったい「原発は安全である』とは、誰のために言っているのだ。みな、安全であることを願っているからこそ、安全かどうかをしっかり調べようと言うのではないか。直接被害にあった人たち、これから遭うかもしれない日本各地の人たちを無視して、安全を公言するのか安全ではないと公言するのか「どっちが正しいか判断しろ」とは片腹痛い。 電力業界も政府機関の原子力安全・保安院も経済産業省も、「われわれは優れている」という驕りでやってきた。つごうの悪い情報は「大衆がパニックになるから」と隠蔽し、情報を操作した。国家経済の根幹を握り、舵とりをしてきたのは自分たちだとばかりに、国民を「どうでもいい奴ら」とみくびって来た。原発の作業現場は一種の棄民思想で支配されてきた。金で買われた労働は、使い捨ての家畜同然。そうして原発は稼動してきたのだ。 ・・・『ロープ』の、楽しみのために友人を殺害した二人の傲慢な青年のように。 私は『ロープ』を見ながら、そんなことを連想したのである。
Jul 12, 2011
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の絵が再発見されたと、朝日新聞(12時30分)と毎日新聞(14時41分)が報じている。 『サルバトール・ムンディ(救世主)」と題されたその絵は、キリストが右手で天を指し、左手に水晶球を持っている。17世紀に英国王チャールズ1世が所有していた。その後、18世紀になって競売にかけられ、イギリスの蒐集家の所有となり、さらに2005年にアメリカの蒐集家の所有となった。専門家の調査により、レオナルドの作品であることを確認した。来る11月からロンドンのナショナル・ギャラリーで展示される予定という。 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品としてはむしろ異色の作品といえよう。レオナルドは、幼子イエスは描いているが、成人としてのキリストを描いた作品は他には一点もない。私は、レオナルドは成人キリストにはまったく関心がなかったと思っている。今回再発見された『サルバトール・ムンディ』にしても、正統キリスト教の教義からは逸脱しているのではあるまいか。すなわち、左手に持った水晶球の存在に注目しなければならない。世界の象徴、地球の象徴と言うには、いかにも魔術的すぎる。異端のにおいがするのである。とすれば、レオナルドにとって、この「救世主」は、必ずしもキリストを指していないかもしれない。キリスト教文化圏では言いにくいことだろうが、私はあえて指摘しておく。 そのような意味で、なかなか興味深い作品の再発見である。
きのうの日記で夢のなかでさまよう街について書いた。そしてあらためて気がついたのだが、たぶん50歳前後くらいから、地理的な夢が非常に多くなった。どことも知れないところや、きのう述べたように夢の中で何度も何度も訪れている街を、さまよい歩いているのである。どうしてだろう? たとえば、これもしばしば訪れるところなのだが、非常に高い高架線路の下に町並みがひろがり、高架線路の一方の端が駅になっている。私はそこから高速の列車に乗るか、あるいはどこからかやって来て、ふいにその駅で降ろされる。降ろされると私の混乱が始まるのだ。行くべき通路に出られない。改札口が二重三重になっているかと思うと、とんでもない裏口に出て来て、表口への道がわからなくなってしまう。・・・いま、こうして書いていると、すでに私の頭のなかにはその景色が思い出せるのである。つまり、何度も何度も同じ夢を見、その景色は記憶に焼き付いてしまっているのだ。 夢判断ふうに解釈すれば、この夢からいともたやすく私の心のうちを解き明かすことができる。 しかし、私をふと不安にするのは、そんな解釈ではない。夢から醒めると、そこが何処だか分からなくなってしまうのに、私は確かに「其処」を知っているのだ、ということだ。駅の路線図や地図のなかから、ひとつだけ駅名が消えていたり、どうしても行き着くことができない地名が書かれていたり・・・だが、私は、かつて「其処」に行ったことがるのだという確信。それが私を不安にする。 行き違う列車の窓明かり・・・ひとり途方にくれてたたずむプラットホーム・・・プラットホームへ降りて行く階段・・・ふとすれ違う人の顔・・・間違えた番線・・・駅裏のロータリー・・・酒場がひしめく怪しげな通り・・・工事中の通り・・・ 50歳を過ぎたころから、私はたったひとりで、夢の中の街をさまよい歩いている。
Jul 11, 2011
夢の中でさまよう街が何カ所かある。あまりに生々しいので、純然たる夢なのか、現実に訪れていて記憶から消えてしまった街なのか、思い出そうとして時に胸苦しくなる。それらの街は、なぜ、くりかえし私の夢の中に現れるのだろう。 幼いときから各地を転々とした。静岡県土肥、北海道の羽幌町、札幌市、長野県川上村、福島県南会津、会津若松市。東京中野区、杉並区、世田谷区、そして現在地と・・・。それらのいずれの村や町も、じつは昔日の面影を残しているところはない。 私が東京に移住した当初、1964年、例えば新宿駅周辺は、現在の新宿副都心はまだ淀橋浄水場跡のレンガ積みが残っていた。西口広場は厚い鉄板が敷き詰められて、その下で地下駐車場の大工事が始まろうとしていた。京王デパートの屋上に巨大な筒状の照明灯が設置されて、夜になると七色の光がまっすぐ天空に立ち上がった。そんな光景を、いまの若い人たちは知らないだろう。高島屋がある南口の陸橋は、昔の面影をとどめていなくもないが、昔は小便臭いあやしげな場所だった。私はその陸橋にたたずんで東京オリンピックのマラソンの「裸足のアベベ」を見たものだ。 中野駅周辺は、ようやく中野ブロードウェーができ、やがて中野サンプラザが建設される地はまだ刑務所だった。 ・・・街はめまぐるしい早さでその景観を変えてゆく。私の夢にくりかえし現れる街も、もしかしたら実際に存在したのかもしれない。先夜の夢で、と或る通りの角の文房具店に私は行ったのだ。入口を入ってすぐ右側の階段をあがると、狭い通路でしきられた棚が天井までのび、さまざまな文具が積み重なっていた。私は、何か、リングを買おうとしたのだったが・・・。目覚めて後、はげしく記憶をゆさぶるこの文房具店・・・どこの、どの街だったのか・・・ さて長々と前置きした。夢ともうつつともつかぬ街を思い出したのは、東北の被災地で街の復興計画が描かれはじめ、完全に復興するまでに10年ないし15年かかる、と報道されていたからだ。10年というと、私は75才だ。15年ならば80才だ。被災地の市街は壊滅してしまったのだから、昔日の面影をさがすどころか、復興は、まったく新しい町並みを建設することになる。 それらの新しい町並みを、私が訪ねることができるかどうか。私の見聞などどうでもよい。ただ、彼の地の人々は、もしかすると、いずれ夢のなかで街の断片を拾い集めてさまようかもしれない。胸苦しさに苛まれながら。 人間は、どんな運命に翻弄されようと、何処にでも生きていられるものだ。けれども、アイデンティティ(存在証明)は、己が己であるというにとどまらないかもしれない。人は土に縛られているような気がする。 アンデス民謡『コンドルは飛んで行く』にこんな一節がある。 ・・・遠いところへ行きたい 舟で行きたい 人は土に いつも縛られて 泣くのだ かなしそうに あああ・・・ 福島県で高齢の婦人が自殺した。原発から避難することがままならず、家族の足手まといになると、「私は墓に避難します」と遺書を残して。 ・・・足の下大地ならいいな もしもできることなら ムムム 遠いところへ行きたい 舟で行きたい 人は土に いつも縛られて 泣くのだ かなしそうに あああ・・・
Jul 10, 2011
佐賀県の玄海原子力発電所(九州電力)の再稼動について、古川康佐賀県知事は、安全性は確認できたとして、経産相と面談のうえ、再稼動を認可した。しかし、その後、菅首相が全原発に対するストレス・テスト(耐性試験)実施を命じたため、せっかくこぎつけた玄海原発再稼動をふたたび期限不明のまま停止しなければならなくなり、おおいに怒りをあらわにして政府(菅首相)を攻撃した。 ところが、そのさなか、九州電力の子会社の社員から内部告発がおこった。すなわち、佐賀県民向けの政府主催の原発の安全性をめぐる番組に対して、原発安全を支持する旨の意見を寄せるように子会社に指示したメールが、九州電力の上部より発信されていたというのである。メールの数は2,300におよぶという。 つまり、九電の命令系統において下部組織に「やらせ」を指示し、いかにも県民の意思のようにみせかけて、原発再稼動をもくろんでいたのだった。この発覚によって、古川佐賀県知事は、ふたたび認可を見合わせることを公表した。 ところがである。 古川康佐賀県知事の政治団体に、九州電力幹部から、個人献金という体裁をとって、毎年献金がおこなわれていた、と毎日新聞が報じた。 古川康佐賀県知事と九州電力は、知事就任当時にさかのぼる密接な利害関係、言うならば、「癒着」の疑惑がでてきたわけだ。 そうなると、古川知事の「原発の安全性はクリアされた」という言明は、その根拠においてきわめて怪しげなものということになる。認可までの「熟慮」や、その決断をくつがえすストレス・テストへの怒りは、茶番劇だったのか? 金で身を売る、娼婦・男娼のような政治家・官僚たち。個人に回帰する堕落なら、知ったこっちゃない。しかし国民・県民の安全を犠牲にされてはかなわない。 日本国民は、いまや、国に対するストレス・テストを実施しなければならないようだ。
Jul 9, 2011
七夕であるが、東京の空に星は見えない。老母の訪問入浴のスタッフが、折り紙で金色の星をつくって、プレゼントしてくれた。寝ている母の目の先に飾った。 TVレポートで、被災地の幼稚園のこどもたちが、願い事を書いた短冊を笹竹につるしている映像を見た。この幼稚園では、例年ご近所から笹竹をプレゼントされてきたが、今年は放射能が心配なのでプラスチック製の笹竹だそうだ。
Jul 7, 2011
三井物産が、東日本大震災の被災地である宮城県・岩手県・福島県などに、計約10万キロワット規模の大規模太陽光発電(メガソーラー)の建設を計画していると、YOMIURI ONLINE が報じている(14時34分)。 被災地の約3万戸の電力をまかなえる規模で、復興の足がかり及び雇用の場を提供する目的。早ければ今年度中にも着工という。 震災後4ヶ月になんなんとして、ほとんど初めての真に建設的な計画である。 一方で、仮設住宅の建設は、菅首相の「お盆までには全員入居できるようにする」という公約は、ここにきて到底実現困難なことが判明した。宮城県で670戸が不足。建設用地が確保できないためという。 くりかえすが、震災後4ヶ月になんなんとして、かくのごとしだ。 この問題は、菅首相だからできないのか。 それとも、他の人物でもできないのか。 他の人物ができるとしたら、なぜその人物にはできるのか。 そして、いかなる方法でおこなうのか。 他の人物ができる、(机上の空論でも大言壮語でもない)その実現可能な方法を、菅首相はなぜできないのか。 大規模災害時の仮説住宅建設用地の確保には、いかなる法整備が必要なのか。 運用できる現行法は、あるのか、ないのか。 あるとしたら、なぜ活用できないのか。 無いのだとしたら、法制定に向けて動いているのか。 動いているのだとしたら、成立をさまたげているのは、何か。 動いていないのだとしたら、なぜ動き出さないのか。
Jul 6, 2011
きょう午前8時45分、松本龍が防災担当相兼復興相を辞任した。当然のことで、言うべきことはない。 記者会見の言葉を聞いていても、やっぱり大臣とするには、オツムが足りない。被災地再建の重大局面の責任などこの男の感慨には無いのかもしれない。「妻と子供に感謝します」言ったり、とってつけたようにカズオ・イシグロ氏の小説をちらと口の端にのせたり、涙ぐんだり。国民を舐めているのか、それとも国民の感性や従順性を見透かしているのか。どだい、この男の出る場所が違うのだ。センチメンタルは思想として通用しない。 菅首相も、あきれるほど脇が甘い。自分の立場が崩壊寸前だというのに、重要ポストの人選がまるでトンチン・カン。人間を見る目がないのだろう。松本龍のような男は、その言動を見れば、熟考して自らを鍛えあげてきた人間ではないと知れる。今回の「暴言」も、言っちゃァ悪いが、人格的なものだと見てとれる。 われわれ国民は、飼いならされた家畜ではないのだから、おかしな言動の政治家に物欲しげにぶらさがっていないで、ヒネリ潰さなければいけない。政党政治だけれど、政党の問題だけではない。放置しておくと、結局、国民みずからが窮地におちいり、二進も三進もゆかなくなる。
Jul 5, 2011
松本龍復興相の大バカな発言で、野党から辞任をもとめる声があがっている。当然である。一刻も早くつまみ出す必用がある。 被災地の窮状は盛夏に向けて切迫している。そして、復興事業は、長き将来を見据えて、大局的に実現していかなければならない。被災地の知事に向かってサッカー・ボールを蹴りつける「しょぼい」パフォーマンスなんかしている場合ではないのだ。この松本龍という男には、何も見えていないのだろう。頭の中はカラッポなのだ。こういう人物が復興相では、百害あって一利なし。分かりきったことだ。早々につまみ出せ。 日本の国会は、いまやバカ者の吹きだまりか。どいつもこいつも、ロクナモンジャネー!各紙関連記事http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110704-OYT1T00664.htm?from=main1http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110704k0000e010063000c.html?toprank=onedayhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/110704/stt11070412480001-n1.htm
Jul 4, 2011
またもや大バカもの政治屋か! 松本龍復興相を糾弾する。なんだこの男は! 復興相として不適格だ。
Jul 3, 2011
東日本大震災・大津波による福島第一原子力発電所の事故は、日本の原子力政策の隠しつづけられてきた構造的な堕落と、技術力の実体の無さを、白日のもとにさらけだした。 NPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長・飯田哲也氏は、これまで私がこのブログで疑念を呈してきた事に、それを裏付ける発言を毎日新聞の〈キー・パーソン・インタヴュ-〉において、おこなっている。 これを読むと、少なくとも日本の原子力エネルギー政策は、容易ならぬ泥沼に落ち込んでいることが分かる。一企業の腐敗した構造的な堕落に限定されず、関連組織がそれぞれに同じ堕落の構造を維持し、その倫理的な堕落は日本の経済構造のなかにガッシリ組み込まれ、それゆえ文化的特性となっていると理解できようからだ。 この堕落した構造を一掃することができるかどうか。黒を白と言わない新しい意識改革を、エネルギー政策においてできるかどうか。新しい組織構造ができるかどうか。そこに、日本の真の復興がかかっているのは間違いない。
Jul 2, 2011
こんなこともあるんだな、と思った今日。 数十年前の知人たちから、次々と消息がとどいた。 古い記憶のなかから浮かんでくる顔や、さまざまな事ども。 2,081,376,000秒の私の人生。 その瞬間瞬間で交錯し、スパークした人々。 刻まれた記憶。そして、 宇宙の星の運行のように、数十年後にふたたび巡り会う。 ・・・そんなことを考えてしまう。
Jul 1, 2011