自由の女神像の改修工事
ニューヨークのリバティー島に立つ自由の女神像は、フランスより寄贈されて今年で125年になる。 自由の女神は、2001年の同時多発テロ後、長らく閉鎖され、2年前に再び一般に開放された。CNNによれば、昨日、合衆国サラザール内務長官が、女神像の一般開放は10月までとし、以後、隣のエリス島の移民局博物館とともに1年間かけて改修工事に入ると告示した。 女神像の内部は周知のように頭頂の宝冠の展望室までエレベーターと螺旋階段で登ってゆける。その部分が一層安全にすべく改修され、また台座内部の展示室に多方からアクセスできるようにするようだ。 ところでこの自由の女神像(正式には、世界を照らす自由の女神)は、ギュスト・バルトルディの120cm丈の彫刻をもとに、1884年、パリのガジェット・ゴーティエー工房で制作された。鉄骨を組み300枚の銅板をかぶせボルトで留めている。銅板打ち出しの方法は、本来の鋳造方法より軽量で制作費用も安いからだった。内部の鉄骨構造は、エッフエル塔の設計工事をしたギュスターヴ・エッフェルの会社、エッフェル社が設計製作した。 女神像はばらばらにされて214の木箱に詰められ、蒸気帆船イゼーレ号でアメリカに運ばれた。 アメリカでは1886年に大々的な祝賀会が催された。しかし、ギュスターヴ・エッフェルはいささかガッカリしたらしい。女神の内部の鉄骨構造の美しさに誰も注目しなかったからだ。 「よし、それなら・・・」とばかり発奮して次に設計をしたのが、あのパリはシャン・ド・マルス公園北端のセーヌ河畔に建造されたエッフェル塔であった(と、まあ、言われています)。 エッフェル塔は、フランス革命100周年記念パリ万国博覧会のモニュメントとして設計コンペティションの優勝作として建造された。エッフェルの設計と一般に言われることがあるが、事実はエッフェル社のモーリス・ケクランとエミーユ・ヌーギエが設計し、ギュスターヴ・エッフェルはいわば総合ディレクターであった。自由の女神像が製作された同じ1884年9月に、3人の名前でエッヘル塔の鉄骨構造に関する新案特許を登録している。そして、新時代の象徴として1887年に着工し、1889年3月に竣工した。自由の女神像とまったく時を接して建造されたのである。 ところでギュスターヴ・エッフェルが自由の女神の真の美しさは内部にありと自負したその内部を、私はかつて写真に撮影している。ずいぶん以前にこのブログで紹介したことがあるが(Feb 24, 2006)、ことのついでに再び掲載してみよう。(1)私が所蔵する‘SCIENTIFIC AMERICAN’1885年6月13日号の復刻版に自由の女神建造の様子がリポートされ、内部の鉄骨構造がイラストレートされている。参考までに。(2)女神の衣服の裏側。部分分割して銅板を打ち出し接合していることが良く分る。(3)台座内部はエレベーターが通じ、像の中は螺旋階段が頭部まで。(4)同上。‘サイエンテフィック・アメリカン’の図を参照。(5)頭部の冠の内部。展望台になっていて、頭のてっぺんに電球が1個。(6)おまけ。台座の内部の展示室廊下、鋳造模型の女神の鼻穴に頭をつっこんで、子供たちが遊んでいた。