憂鬱な雨
老母の訪問入浴の看護師が、「今年は柿酢の仕込みはまだですか?」と訊く。熟して落ちたほかに、まだたくさんの柿の実がぶらさがっている。「今年はやめました」と応えて、そのわけを言うと、「なるほど、そうですか。柿酢をつくるにはなるべく洗わないでお使いになると、おっしゃっていましたものね」 使わないにしろ、実は早くに採ってしまったほうが、木をやせさせずにすむ。しかし、色づいた葉叢のなかに朱色の丸い実がたわわになっている風情がすてがたく、そのままに放置している。無精をきめこんでいるというのが、ほんとうであるが・・・ 朝の内、降るともなく降っていた小雨が、午後になって本格的に降りだした。気象情報によると、関東・東海の太平洋側には大雨警報が出ている。土砂災害の注意報も出ていて、今年は一年中どこかで大きな自然災害にみまわれて来たので、警報が出るたびに、またか、と憂鬱になる。 モーツァルトをたてつづけに聴いてすごしたが、なぜか心は晴れない。それどころか、モーツァルトがこんなに退屈に感じたこともなかった。「おんなじ言葉の繰り返しじゃないか!」と。シンフォニーNo.25, Gマイナーで、ようやく今日の自分の感情をつかみ得た。急速にやってくる悲劇性。 時雨るゝやモーツァルトの短き日 青穹 小夜しぐれ身の内外のすきまかな