2,400日目のブログ
このブログ「山田維史の遊卵画廊/青空日記」を始めて、今日でちょうど2,400日である。ここ2,3年、老母の在宅医療の看護のためになかなか時間がとれず、きちっとしたものが書けない。 せめてもと、一昨年は俳句を1,000句つくったが、昨年はわずか77句に終った。 現代俳句のような如何にも作り込んだものは好まない。むしろ古典的に蕪村を、近代なら虚子を好む。そういう嗜好は嗜好として、私自身はありふれた日常を凡庸にうたいあげてみたい。できることなら、「一見凡庸」に。・・・そう思いながら、日記がわりに俳句を詠んでブログに書き込んでいる。創作エネルギーの一種の捌け口である。 老母の医療を通して、人間の身体の仕組み、生理的な精密な構造、ひいては脳神経や精神の状態、意識や無意識、人間的であることと動物的・生物的であることのさまざな表徴を見て来た。現に、見ている。あるいは感じている。 正月6日以来、体調を崩し、病床に寝付いて3年半維持して来た命を、これを限りと危ぶむところにあった。しかし、20日目の今日、もしかすると危険を脱するかもしれない、と考えられるところまで来た。 今朝、手の甲から点滴していたのを、首からの高カロリー輸液の点滴に換えた。ストレス性の急性胃潰瘍出血もどうやら止まり、運動が極端に低下していた腸動も回復しつつあり、腎機能もダメージを受ける寸前で常態にもどった。誤嚥による肺炎(右肺に雑音があった)が、医師も驚くほど回復し雑音が消えた。 ・・・何か一カ所崩れると、たちまち連鎖反応のようにあちこちが駄目になってゆく。それが90歳を超えた老人の身体状況だと言ってもよいかもしれない。そして、人間の臓器が、ひとつとして機能が完全に独立していはしない、という証左でもあろう。 母が、もちなおすのではないかと、家族も医師もひそかに期待していたのは、そんな状況にあっても手の力が驚くほど強かったからだ。「おっそろしく力が強いなぁ」と、血圧を計ったり血中酸素濃度を計測したり、点滴用の針を取り付けたりするたびに、医師は言ったものだ。今朝も、首の静脈に点滴針を取り付けるときに、私がアシストしながら母の両腕をガッシリと押さえつけていたのだった。「普通なら、こんなに力はでないものです。すごい力ですねー」 今、老母は静かに眠っている。そのあいだに、この2,400日目の青空日記を書いているのである。