「北京からの手紙」を読みながら
一昨日、亡母の主治医と話しながら、私はこんなことを言った。 「在宅看護をしている方々のなかには、患者が暴れるので苦労されているとも聞いていました。母は、その点では一度も暴れたことがなく最期まで静かでした。私は、暴れたり困らせられたりしても、よかったんですが・・・」 医師は、無言で私をみつめた。その目のなかに、私が何を言いたいのかを理解した光を、私は感じたのだった。 今日、積んである本の山のうえに猫が跳びのった。数冊が崩れて落ちて来た。そのなかにパール・バックの『LETTER FROM PEKING (北京からの手紙)』があった。それを随分ひさしぶりに先ほどまで読んでいた。次の一節を読みながら、上述のことを思い出したのだ。 「Baba sits in the kitchen with me and we talk. Oh, but it is different talk now. He is not childish---no, not that---but something has gone from him. The old scintillating wit is silent, the mind rests. He is sweet and gentle and easy to live with, and he does not complain. He does not long for his old life. Somehow he knows it is no more. He simply accepts his daily bread. I am not sure he knows where he is. I think he forgets at times who I am. He looks at Rennie now and then with strange thoughtfulness, but he does not speak. I feel he is inquiring of himself whether this is Gerald or Gerald's son, or even sometimes whether he knows him....No, it would be cruel to show him Gerald's letter. I could not explain it.」 「ババは私とキッチンに座り、会話する。ああ、しかしいま、その会話は何かが違うのだ。彼は幼児化しているのではない。・・・いや、そんなことはない・・・しかし何かが彼から去ってしまったのだ。昔のきらきらした機知は沈黙し、心は停滞している。彼は温厚で優しく、一緒に暮らしやすい。不平も言わない。昔の自分の暮しを懐かしむこともない。今以上を望まないと承知しているのだ。日々の糧をたんたんと受けとっている。今居るところが何処かを知っているのかどうか、私にはわからない。私が誰なのかを時々忘れているようだ。彼は今、レニーを見ている。そして奇妙な考え深げな様子だ。しかし喋りはしない。これはジェラルドなのか、それともジェラルドの息子なのかと自問している、と私は感じる。あるいは彼がジェラルドを知っているのかどうかと思う時さへ・・・。いや、彼にジェラルドの手紙を見せることは残酷だろう。それについて説明することが私にはできないだろう。」 【註】主人公の女性は、息子レニーと共に、夫ジェラルドの父親ババを引き取って暮らしはじめた。ババはその昔、中国女性と結婚してジェラルドをもうけた。したがって主人公の夫ジェラルドはアメリカン・チャイニーズ。現在、ジェラルドは独り社会主義が台頭してきた北京にいる。同地の大学の総長である。妻と息子を中国からアメリカに帰国させたが、自らは中国を捨てることはできないのだった。・・・ ここに描かれる老いて孤独な父親の姿が、読みながら私の亡母に重なってきたのである。 一緒に住み、幼児化しているのではないがもはや喋ることもできず、温厚でもの静かで、日々何かが心から抜けていく姿。私たち息子を見ているけれども、息子であることを認識しれいるのかどうか。死の直前に、私の顔をまじまじと見ていたけれども、何を感じ、何を知り得ていたのか・・・ 死後、夜中だったけれどもすぐに葬儀社に来てもらい、ドライアイスで防腐処置をしてもらった。翌日までに、母の亡骸はカッチンカッチンに凍ってしまった。手の表面は霜におおわれ、拭っても拭ってもたちまち霜が出て来た。 弟が携帯電話のカメラを向けようか向けまいかと躊躇していた。 「写真、撮るなら撮りなさい」と私は言った。 「でも、慰み者にしているようで・・・」 「そんなことはないよ。いま撮らなければ、あのとき、と後から思うことになる」 たしかに、死んだ直後の写真を何枚も何枚も撮る人はいないかもしれない。だが、私は、とことん「見る」人間なのだ。母の死に顔をスケッチさへした。母がその最期に何を知り、何を感じていたのか・・・私は見つめることで理解したかったのだ。