山田維史の遊卵画廊
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さあ、御節調理と呼ばない我が家の今年のオセチの下準備・下拵えがすんだ。あとは明日、一気に揚げ、煮炊きすればできあがり。例年なら三日がかりで我が家伝統の15品をつくるのだが、今年はその半分にした。一日半の調理。パーティーもやらないので、簡単なものだ。
Dec 29, 2012
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例年なら年末は28日あたりから大晦日のパーティーの準備と正月の準備が始まる。しかし今年は喪中なので、一切の祝い事はしない。弟家族たちがやって来るのかどうか、まだ連絡はない。とはいえ、正月は商店が休みでもあるし食材等の買い置きくらいはしておく必要がある。本格的な御節料理は作らなくとも、正月中はのんびりしたいので、それらしきものは作っておこう。こういう場合の料理を何と呼べばよいのだろう。 というわけで、午前中と午後、2度にわけて買い物に出た。今日明日は雨になるという予報も出ている。降らないうちにすませてしまおうというわけだ(雨は夕方から降りだし、これを書いている今、間もなく0時になるが、本格的に降り出した)。 さすがにまだ料理には取りかからないが、父母の仏壇に新しい花を活け、供物を飾った。 父が亡くなって7年、朝夕、御飯と菜を供えて来た。母が亡くなって、それが二人分になった。亡父亡母は、生前とまったく同じように、生きている私たちと同じ食事を共にしているのである。 老母は生前、「私は御飯がおいしくて幸せ」と言っていた。その人がまったく食べられない状態になった。命を維持するために鼻からチューブを経由して栄養液を点滴で入れていた。すでに「食」に対する一切の想いはなくなっていたかもしれないが、・・・わからない。私は様々に推測してみるけれど、本当のことは何もわからない。イメージや推測で理解を補えないのだ。飢渇感はあったのだろうか? 私はきまった栄養液(医療用完全栄養液は2社の製品が保険で認可されている)以外に、ミネラル補給のためにティーパック状の鰹節や鰯や昆布などの混合出汁を抽出したものや、某社の水(カリウム含有量が最も少ない製品。これについては、医療に使いたい旨をうちあけて某社に成分の詳細をおしえてもらった。企業秘密なのだが、親切におしえてくれた。感謝)【後註】、乳酸飲料、野菜ジュース、某社のウーロン茶などもチューブに注射で入れて与えた。 こうした一般市販品は、すべて母の定期的な血液検査の結果をふまえて、栄養素の過多・過少を補うために、あらゆる製品の成分を比較検討した。 たとえばナトリウム(塩)を排出するためにはカリウムを摂取しなければならないが、投与している薬の作用によって血液中のナトリウムが少なくなっている場合は、カリウムの量を減らす必要がある。ナトリウムが少ないと、意識が低下するおそれがある。私は医者と相談しながら(ひとりよがりは危険である)、精製塩ではない塩(合成塩でないもの)を、分量を計測して水溶液にして注入した。処方箋で薬局から出してもらう医療用のナトリウムもあるのだが、ナトリウム以外の含有ミネラルを期待して私はあえて自然塩を使用した。逆にカリウムが少ない場合は、野菜ジュースやトマトジュースを濃度を調整して(チューブにつまってしまわないよう要注意)入れた。 ただし高血圧用の抗圧薬は、グレープフルーツとの相性が悪く副作用がある場合があるので、野菜ジュースや清涼飲料の成分にグレープフルーツが含まれている製品は避けなければならない。グレープフルーツで味付けしているものが、意外に多いのだ。また寝たきり状態でカロリー過多になるとメタボリックになるので、カロリーも計算しなければならない。 ・・・母の食事はこのようなものだったのだが、これを食事といえるのかどうか。私はほぼ4年間、数時間毎に1回に1時間30分ほどかけてこの「食事」を与えてきたのだが、「私は御飯がおいしくて幸せ」と言っていた母のことばを忘れたことはなかった。そして、いくら想像しても母の感覚の実体はわからなかった。 今、毎日朝夕に仏飯を供えながら、私は「よかったね、御飯が食べられるようになって」と、ようやく心のなかで言っている。幻想画家と言われながら、(秘密をバラせば)幻想とはほとんど無縁な現実的実際的思考の私が、唯一、幻想を野放しにしているのがこの点だ。 御節料理とは呼ばないオセチ料理を、大晦日には供えようと思っている。【註】水は、口から摂取できる人には、誤嚥防止のためのゼリー状になった水がある。介護用品専門ショップで売っている。また、他の液状製品をジェリー化する粉剤も薬剤師のいる薬局にはある。初めて使用するときにはちょっとしたコツがあるので、薬剤師に実施指導してもらうとよい。ただし、注入には時間がかかり、私の母の場合は不適であった。薬剤師がいても在宅医療の実際(臨床)に未経験の人たちも大勢いるし、さまざまな調合施設(たとえば無菌調剤室など)が完備していない薬局もまた多い。介護保険を使用して在宅医療に入る時はこうしたことに注意する必要がある。我が家の場合は、医者も看護師も24時間態勢で訪問してくれる契約が結べた。また、薬局も処方箋が病院から回ると我が家まで常時配達してくれ、薬剤師は神経のいきとどいたアドヴァイスと場合によっては訪問時にヴァイタル・チェックをしてくれたり、無菌調剤室を備えていたのはもちろん、薬品保存のための小型冷蔵庫を無料で貸してくれる素晴らしい薬局だった。
Dec 28, 2012
年暮れて寒満月や窓の侘び 青穹灯を消せば寒満月や胡蝶蘭 障子五寸寒満月の添い寝哉
Dec 27, 2012
きのうの俳句「手袋二題」を意訳的に英語俳句につくった。There was in a pavementthe mate to the gloves getting wetShadow of what somebody once was 道端に片手袋が濡れてありI've lost a glove of this pairSomehow I can't dump the broken piecenothing though special memories are 失いて片手袋も捨てがたく
Dec 25, 2012
ホワイト・クリスマスの予報が出ている。東京はいかがであろうか。 家族から毛糸の手袋を贈られた。指先が無く、フードをかぶせるとミトンになる。これなら絵筆を握れ、またコンピューターのキーボードを叩けるだろうと言うのである。笑ってしまったが、なるほどおしゃれとはお世辞にも言えないが、便利にはちがいない。ありがとう、ありがとう。 手袋の指先無きを贈らるる 青穹 道端に片手袋が濡れてあり 失いて片手袋も捨てがたく
Dec 24, 2012
きのうの俳句を英語俳句に作った。Dead mum in the winterAlas! my flower's became quite another figureI uprooted it cause for miserable 枯れ菊の哀れ憎みて抜きにけりThe town on a hillA straight slope is gleaming with paleCold moon in the sky 坂町の坂蒼白に寒の月The town on a slopeA mountain soared high at the northIn the winter it sleeps 坂町の北面に立ち山眠る
Dec 23, 2012
枯れ菊の哀れ憎みて抜きにけり 青穹 坂町の坂蒼白に寒の月 坂町の北面に立ち山眠る
Dec 22, 2012
冬至粥湯気につと手をかざしけり 青穹 →→ 立つ湯気に手を温めつつ冬至粥冬至南瓜ほくりと割れて夜長かな →→ 冬至南瓜ほっくり崩す火影かな
Dec 21, 2012
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きのうの句を意訳的に英語俳句にしてみた。Cell motor doesn't easily workThe voting day on the national administrationIt's piercing cold this morning セルモーター凍てつく朝の投票日
Dec 17, 2012
主議院議員総選挙の日に詠む セルモーターかからぬ今朝のしばれ哉 青穹 セルモーター凍てつく朝の投票日【註】「しばれ」は、北海道・東北地方の一部の方言「しばれる」を体言化して使用した。「しばれる」は衆知のように、凍りつくような寒さの言い。同地にこのような体言用法があるかどうかは分からない。しかし、「寒さかな」では表現しきれなかった。
Dec 16, 2012
12月の天体ショー、ふたご座流星群は昨夜ピークだったという。私もベランダに立って15分ほど夜空をながめていた。しかし残念ながら星はひとつも流れない。そのうち寒くなって入ってしまった。そういえば2009年も、13日は見れず、翌14日に再びベランダに出ると、東の空に流星が二つ三つと飛んだ。そのときに次の句を詠んだ。 東京のネオン凍るや流星群 青穹 双子座の流星降って山眠る 貧しきも富めるも冬の流れ星 いくつもの星が流れる冬の空 無窮のかなた明(あか)き星飛ぶ12月 さて、流星群は14日も見ることができるそうだから、今夜は寒さ対策をし、少しがんばって夜空を見つめてみよう。ならずものどもが美しい空にミサイルを飛ばすのは承服しかねるが、他国のことを言ってもいられない。我らのなかのならずものが大言壮語でこの国の根底を危うくしかねない。星に願いをの歌もある、いのち儚い人間の希望を、流れ星が消えぬ間に祈ってみよう。
Dec 14, 2012
作品が完成した。予定としては昨日をめざしていた。と言うのは、昨日は2012年12月12日で、12が三つならぶ100年に一度の日。記念するに良かろうと思っていたのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。で、一日ずれた。 ともかく永い永い制作が終わった。起筆したのは4年前。しかし、予期しなかった亡母の在宅医療看護に入って、もしかするとこの作品は完成することができないかもしれないと思った。看護がいつ終わるか分からなかったので、その行く末が不明のまま制作のモチベーションが維持できるとはまったく思えなかったのだ。事実、この春に母がとうとう亡くなって後も、絵画制作に向かうエンジンはなかなか起動しなかった。40年以上絵画制作だけだった日常と、気を抜くことも休養もとれない看護の日常とは、それほどかけはなれていた。 老母は生前、私が仕事場に閉じこもって新しい作品にとりかかると、作品が完成して出てくるのを楽しみに待っていた。私も、母が「ワッ、すごいね!」と言う第一声を聞いて、ああ、ひとつ仕事が終わったと思い、次の構想を練りはじめるのが常だった。 母が私の作品を最後に見たのは、東京創元社のディクスン・カー『一角獣の殺人』のための表紙絵だった。そのときはすでに医療用ベッドに寝ていた。その目の前に、私は絵をかかげて見せた。「ワッ、すごいね!」 母が死んだとき、棺のなかに母の身体全体をおおうように家族の写真と私の作品の写真数十点を入れた。 さて、完成した作品は、2003年作の『石を握るダヴィデ・・・ミケランジェロ〈ダヴィデ〉に拠る』に連なるものである。やはりミケランジェロの〈蹲る少年〉(エルミタージュ美術館蔵)に依拠し、タイトルもそのまま『蹲る少年・・・ミケランジェロに拠る』とした。 この2作品は、9.11を基盤テーマとし、そこに様々なイメージの連想と私の思考を重ねている。象徴性とデザイン性を合わせ、同時にデザイン的な平面性に写実による立体性・空間性を合わせ、中心の喪失と視覚の散乱をめざした。 作品はこの後しばらく放置し、最後の手を入れる入れないで、ほんとうに完成するだろう。
Dec 13, 2012
CNNが伝えるところによると、イタリアで「モナ・リザ」のモデル解明のために、モデルとされる豪商フランチェスコ・デル・ジョコンドの2人目の妻リザ・ゲラルディーニの遺体を発掘して、頭蓋骨から顔を復元しようというプロジェクトが進行しているそうだ。 ものずきと言うより、バカバカしくて、ご苦労なことだ。私の感想はただそれ一言。【関連報道】CNN 「モナ・リザ」のモデル、遺体発掘し顔面復元へ イタリア 2012.12.12 Web posted at 10:57 JST
Dec 12, 2012
俳優の小沢昭一氏が本日未明に亡くなられたという。享年83。 小沢昭一氏は俳優としての功績は言うまでもないが、著作家としても数多くの優れた仕事をされた。私はその多くを読み、所蔵している。『日本の放浪芸』(レコードシリーズもある)、『私は河原乞食・考』『私のための芸能野史』は、かつて類例を見ない実地調査・実地検証的というべき研究で、しかもご自身が俳優として地べたを這うような視点だった。私は非常に多くのことを教えられた。そして私自身の猿楽に関する歴史的考察のヒントを得もした。 かけがえのない俳優・著作家を失ったという想いがする。 以下に、私の本棚から取り敢えず探しだした小沢氏の著作本の書影を掲げて、ご冥福を祈ります。
Dec 10, 2012
しばらくぶりの英語俳句。A shower in early winterblows on a heap of dead leaves---Under there, small dry earthThe town on a slopeIt grows dark, rains in early winterThe foot is drenched gradually
Dec 9, 2012
あいかわらず作品制作の日々。きょうは最も肝心要の部分をほぼ仕上げた。4日がかりだったが、もう1日は必要。しかし出来栄えは上々。作品の完成までにはまだ時間がかかる。明日は早朝から別な用事があり、半日つぶれる。ただいま、23時16分。就寝までもう少し筆をいれよう。
Dec 6, 2012
今日未明、中村勘三郎さんが亡くなられた。闘病中とは聞いていたが、57歳のあまりにも早いご逝去に驚いた。もったいない、というのが私の率直な気持。「髪結新三」「四谷怪談」「法界坊」、そして演出家串田和美氏と組んでコクーン歌舞伎と称しての「夏祭浪花鑑」や、野田秀樹氏の新作「野田版研辰の討たれ」・・・それらの現代的なスピード感と活力が横溢したすばらしい舞台が目にうかぶ。 なんとも口惜しい。中村勘三郎氏の死を悼みます。
Dec 5, 2012
サッカー元日本代表のFWゴンこと中山雅史(45)さんが現役引退を表明した。三浦知良さんとともに1990年代の日本のサッカーをリードしつづけた。サッカーファンとして寂しさを感じながら、惜しみない拍手を贈ります。
Dec 4, 2012
坂町は暮れて時雨に濡れる裾 青穹木枯や老いて貴奴め戦おらぶ【註】第2句は、このところ盛んに軍国的主張する政治屋がいることへの危惧から。・・・奴らは、自分が老人となって、もはや戦場に駆り立てられなくてすむと潜在意識にあるのかもしれない。我が身は安全な場所にいて、若者達を死地に駆り立てる卑劣さ。日本の国防は、軍国主義ではまったく駄目なのだということが、なぜ分からぬのか。日本が国際的に孤立して生きられないことは、太平洋戦争当時とまったく変りはないのだ。頭脳と技術以外に、戦時を維持して行く資源は全くないのだということだ。いざとなればどこか他国がたすけてくれると思っているのか。どこかの国が日本を助けるために出兵すれば、第3次世界大戦に突入することは火を見るより明らか。経済がグローバル化した現代、我一国だけの平和などありえないのだ。さらに、戦争が起ったとしよう、その場合、いったい戦場はどこだと考えているのか。他国へ侵略してそこを戦場とするような想像は時代錯誤というもの。とすれば、戦場は、この自国、日本だということだ。核戦争とななれば、なおのこと、自国そのものが戦場と化すのだ。軍国主義的な国防など意味をなすはずはあるまい。隣国の幼稚な国際感覚に煽られるように、愛国づらした奴らが大言壮語に旗ふりをしているが、むしろ亡国の徒。日本を引っ掻きまわすだけの老政治屋たちよ、せめて死に際を誤るでない。
Dec 3, 2012
12月1日である。午前中は雨まじりの北風が仕事場の窓にたたきつけていた。猫のマリが膝にのって降りようとしないので、そのまま椅子をずらしながらキャンバスに向かう。我が家は猫達の天下だ。 そんなときに、S氏からすばらしい純白の胡蝶蘭の鉢と亡母への供物が送られてきた。ありがたいことである。 また、私が装丁した本の読者だという方からも、亡母への哀悼のお手紙をちょうだいした。さらに別な方からも、手紙に同封して可愛らしい贈り物をちょうだいした。見知らぬ方々の御心づかいには深く打たれる。絵描き冥利である。
Dec 1, 2012