巳年にちなんで蛇の絵画史
ことしは巳年である。すなわち蛇の年。・・・そこで、絵画にあらわれた蛇を見てみることにする。ヨーロッパ美術史には、蛇に関する主題がいくつかある。大雑把ながら次に実例をあげてゆこう。『旧訳聖書』に〈青銅の蛇〉が登場する。モーゼに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、途中で苦しみに耐えかねて不満を爆発させる。すると神は炎の蛇を投げ込み、蛇は民に噛み付き多くの死者が出る。モーゼが祈ると神は「青銅の蛇をつくり旗竿に掲げよ。噛まれた者は、その青銅の蛇を仰げば生き返る」と仰せられた。モーゼはそのとうりにし、民は死から救われた。 以後「青銅の蛇」はユダヤ王国で崇敬されたが、ヒゼキヤ王(紀元前715-同687)の時代に破壊されたとされる。ミケランジェロ(1475-1564, イタリア)『青銅の蛇;システイナ礼拝堂天井画』1511年。ヴァチカン。 しかし蛇はキリスト教のなかに生き残り、癒しと贖罪の象徴としてイエスの象徴(予型)となり、また脱皮を繰り返すことから復活の象徴となった。この蛇の象徴はキリスト教正教会の主教の杖(権杖)に具現している。アンドレ・ブルトン(1896-1966, フランス)『教会の卵(蛇)』フォト・モンタジュー、1932年。 中央奥に司祭帽をかぶった顔、その前に女が挑発的な姿態を誇示して、あたかも捧げ物のごとく横たわっている。女がよりかかっているのは主教の権杖である。 「純潔な魂を持った処女は、キリストの婚約者となることができる」と言ったのは、4世紀の聖メトディクス。この言葉を支えているのは、女性は色欲の誘惑によって悪徳を具現し、信仰否認の手先として悪魔に近い存在である、という信念だ。教会にとって女性は「魔女の卵」だった。 ブルトンは、LE SERPENT(蛇)と副題を書いている。蛇は誘惑者であるが、このフランス語は悪魔と同義だ。彼はこの作品で、エロティシズムとは、禁止と侵犯との親密な関係により保証されていることを示す。そして先述のように蛇は主教の権杖に再象徴化されている。 衆知のように蛇はアダムとイブの堕落の象徴。アダムとイヴが人間として「死ぬべき運命」を背負ったため、蛇は死の腐敗の象徴ともなっている。「死ぬべき運命」の対極に「イエスの復活」がある。これがキリスト教の構図。 蛇が男根象徴でもあることは言うまでもなかろう。アルブレヒト・デューラー(1471-1528, ドイツ)『堕落』 木版、1511年。マサッチオ(1401-1428, イタリア)『誘惑』 フレスコ、1426-27年。 サンタ・マリア・デル・カルミネ、ブランカッチ教会。フローレンス。 アダムとイヴを描いた15,16世紀の絵画では、人頭の蛇として描かれているものが多い。作者不明『罪により此の世に死が来る』 上記のようにアダムとイヴが「死すべき運命」であることを表わす、新約聖書ロマ書第5章12節の記述に依拠した図。作者不詳『最後の審判』モザイク壁画、12~13世紀。サンタ・アッサンタ大聖堂。イタリア。 煉獄の火で焼かれている場面。右下には蛇に食い荒らされる頭蓋骨。ツヴォルのラムとして知られる版画家の作『生の無常のアレゴリー』銅版画に手彩色、1480-90年頃。 墓の中で腐敗してゆく肉体。屍体の口に蛇がもぐりこんでいる。ゴシック様式のアーチの中に、十戒を記した銘板を持つモーゼ。 こうして蛇は、キリスト教において清濁あわせもつ象徴となっているが、それとは別に古代ヘレニズム文化圏では、自らの尾を呑み込む蛇ウロボロスが、自己完結と世界の完全性の象徴となり、それを基盤としてやがてヘルメス学・プラトン主義の発展とともに中世以後は、錬金術の象徴学のなかで「宇宙」の象徴ともなってゆく。錬金術の哲学である「相反するものの一致」として、あらゆる対立概念の解消がウロボロスによって象徴的に表現されるのである。死と再生、破壊と想像、男と女、陰と陽、永劫回帰、不老不死、宇宙の根源・・・等々。『ウロボロス』図『蛇がまきついた宇宙卵』 "OVHIS et OVUM, MUNDANUM" の插絵。 さて一方で、蛇にまつわる主題として「クレオパトラの死」がある。クレオパトラは蛇に乳房を咬ませて自殺したとされる。画家たちがこの主題に関心を示すのは、歴史的な関心からではない。エロティックな想像がはたらくからだ。ドメニコ・ブルサソルチ(1516-1567, イタリア)ギド・レニ(1575-1642, イタリア) 最後に謎の肖像画を掲げよう。イタリア、ルネッサンス時代の実在した女性の肖像である。シモネッタ・ヴェスプッチ(1453頃-1476)は、「麗しのシモネッタ」と呼ばれていた。ジェノア出身で、フロレンスのマルコ・ヴェスプッチの妻だった。夫のマルコは探検家にして地図製作者のアメリゴ・ヴェスプッチの遠従兄である。 彼女はたいへんな美人で、ボッティチェリの『ヴィーナス誕生』は彼女の面影を写しているとボッティチェリ自身が(まことしやかに)主張している。それはともかく、ここに掲げる肖像画に、作者のコジモはどういうわけか彼女の首に蛇をまきつけて描いている。シモネッタが死んだとき画家はまだ14,5歳。実際に彼女をみかけたことがあるかどうか。その頃彼女はフィレンツェの宮廷でジュリアーノとロレンツォのメディチ兄弟の胸を焦がし、結果、ジュリアーノの愛人になったと言われる。後の大画家コジモも、足許に寄れる状況ではなかったはず。だとすると、この肖像は・・・ 謎はみなさんでお解きいただくことにいたしましょう。ピエロ・ディ・コジモ(1462-1521, イタリア)『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』 パネルに油彩、1480年頃作。