明星大学国際シンポジウム「シェイクスピアの読者たち」
明星大学 国際シンポジウム「シェイクスピアの読者たち」MEISEI UNIVERSITY : An International Symposium on Readers and Users of ShakespearereanfoliousSpeaker : ★住本規子(明星大学文学部教授)「明星大学所蔵フォリオの書き込み」 ★ジャン=クリストフ・メイヤー(フランス国立科学研究センター教授)「Life with the Bard --- Shakespeare and the Shaping of the Early Modern Self (詩聖と共にある人生 --- シェイクスピアと初期近代自己の形成)」 ★廣田篤彦(京都大学文学部准教授)「〈ヘンリー8世〉 の 'craftie emperor' --- 書き込みから考える劇中の外交政策」 7月19日に明星大学で開催されたシンポジウム「シェイクスピアの読者たち」は、当日のこのブログ日記に記したとおり、同大学が所蔵を誇るシェイクスピア稀覯本、なかでも1623年に刊行された世界出版史に記念されるファースト・フォリオの頁余白等にのこされている当時の読者による多数の書き込みから、現代の我々は学問として何を読み取ることができるか、という問題を3人の研究者がそれぞれ講義するものだった。そして、シンポジウム後に、実物のファースト・フォリオ(1623年刊)、セカンド・フォリオ(1632年刊)、サード・フォリオ(1663年刊;第2刷1664年刊)、そしてフォリオ判最後の刊行となったフォース・フォリオ(1685年)を見る機会を与えられた。 じつは明星大学はこの知的遺産を世界共有のものにすべくデーターベース化して広く公開している。もちろん誰でもアクセスすることができる。私のブログの読者は是非そのサイトを見ていただきたいのだが、今回のシンポジウムの基盤にある研究と言ったら良いだろうか、山田昭廣元明星大学教授(元明星大学図書館長、現信州大学名誉教授)が明星大学ファースト・フォリオの17世紀の書き込みを最大限可能な限り読み取り、その研究成果を”The First Folio of Shakespeare : A Transcript of Contemporary Marginalia, Yushodo, 1998' として発表されていられる。その研究成果も御自身の解説つきで上記データーベースで読むことができるので、ここで詳しくは述べない。 Meisei University Shakespeare Collection Database 要するに、17世紀のイギリスでは、すでに安価本は出版されていて(識字率が格段に低かったので安価本とはいっても読者階級はきわめて限られていた;後註1)シェイクスピアの戯曲(単独)も例外ではなかったが、フォリオ判(現代の百科事典ほどの大きさと思えばよい)による出版は宗教書や法律書に限られていて、ましてシェイクスピアのファースト・フォリオは「戯曲集」であったから、その出版はまさに空前絶後のことであった。世界出版史に明記される所以である。しかも当時、ロンドンの熟練工の手当が週に6シリングであったが、シェイクスピア・ファースト・フォリオは1ポンドというから、大変な高価な本であった(後註2)。 明星大学本は、17世紀の最初の所蔵者がウィリアム・ジョンストウンという人物であったことが本の余白(margin) の自筆の書き込みからわかる(学説)。そのほかに同一筆跡の書き込みが多数あり、それらは当時いまだ英語のスペリングが確定していなかったり、あるいシェイクスピアの使用した言葉がすでに意味が不明になっていて、それらの解釈がなされている。あるいはジョンストウン氏の人生における実体験に照らし合わせたと思われる識語などだ。 具体的な例を上記山田昭廣元教授の研究から示せば、『マクベス』に次のような書き込みがある。 Macbeth furnishes to him self true reasons to / forsake his porpoise of killing the king / but his hellish wife dries him to do it (mm2,a) この下線で示した「hellish」という言葉にジョンストウン氏の感覚というか意見が見てとれるのだ。マクベス夫人を「hellish (ゾッとする)」女房だ、と彼は言う。 このようなウイリアム・ジョンストウンという一人の読者を通じて現代の我々は何を読み取るかという、シンポジウムの命題に立ち返れば、住本規子教授はこう述べる。 17世紀のイギリスのシェイクスピア読者は、紙背に徹するような読書体験が教条主義にとらわれずドラマを通じて日常生活と直結し、書物を自らの書き込みとともにそれを手にするであろう次の読者へ残そうとする意思(それは18世紀のハンマー本にみられる過去の注の書き込みを転送書き込みしていることや、ハンドライティングにもかかわらずまるで定規を当てて書いたように美しい書き込みであることなどによって推測される)が、総体的な知の集積として我々にシェイクスピアの再構築を可能ならしめているのではないか、と。 また、メイヤー教授はこうも述べる。 16世紀から18世紀にいたる間にシェイクスピアの読者は「育って」いったのだが、その読者たちは、シェイクスピアを演劇として観るにしろ戯曲として読むにしろ、人生を変えようとし、実際に変えたと信じている、と。 ---シンポジウムの開催にあたって、司会も担当された住本教授があるスライドを掲げながら、昨2012年7月19日~25日までロンドンで開催された「シェイクスピア展」に展示された「The Robben Island Bible」に言及された。それについては日をあらためて述べるが、マンデラ氏が獄中で読んでいたシェイクスピア全集に、「ジュリアス・シーザー」の台詞に { と記し、欄外にネルソン・マンデラ氏の署名と1977年12月16日という日付が書かれている。その台詞とは、 Cowards die many times before their deaths : The valiant never taste of death but once. Of all the wonders that I yet have heard, It seems to me most strange that men should fear, Seeing that death, a necessary end, Will come when it will come. (臆病者は自らの死の前に何度も死ぬ。勇敢な者は死の味など味わわない。味わうとしたら一度きりだ。私が不思議なのは、男どもが必然の死に臨んで恐れるということだ。死はやって来るときにはやって来る。---山田維史訳) シェイクスピアのこの台詞が獄中にあるマンデラ氏をどんなにか勇気づけていたことか。想像できなくはないが、余人の想像をはるかに超えるものであったにちがいない。 じつは、このエピソードはロンドンの「シェイクスピア展」をまたずして、我々はすでにクリント・イーストウッド監督の映画『インビクタス(負けざる者)』(2009年、出演;モーガン・フリーマン、マット・デイモン)によって知っている。モーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領が人種融合のために南アフリカ共和国代表のラグビーチームの白人キャプテン(マット・デイモン)にW杯制覇へ向けて協力と奮闘を求めるという、実話にもとづく映画だ。そのなかでマンデラ大統領が白人キャプテンにプレゼントするのが、自身獄中にあっての座右の銘、上記のシェイクスピアの台詞だった。まさに現代の理不尽に苦闘する男マンデラ氏の人生に、シェイクスピアは寄り添っていたのである。時に7月18日は、ネルソン・マンデラ氏の95歳の誕生日であった。 【註1】ジャン=クリストフ・メイヤー教授によれば、17世紀のイギリスにおける男性人口の20%が文盲であり、ロンドンの商人の70%が文字を読むことと書くことができた(北方イングランドでは50%)。さらに女性の90%が自分の名前を書けなかったという。読書は娯楽より実用だった、とメイヤー教授は述べた。 【註2】メイヤー教授によれば、シェイクスピアの最初のベストセラーは『ヘンリー4世』(第7版まである)、『リチャード2世』(第5版まで)、『リチャード3世』(第5版まで)の3作品で、いづれも価格は6ペンスであった。当時、一般にフォリオ判は未製本のもので15シリング、製本すると1ポンドだった。リチャード・ストンリー(78歳)という人物の家計簿に、シェイクスピアの出版されたばかりの『ヴィーナスとアドニス』(詩作品)を6ペンスで購入したという記録があり、また、サー・エドワード・デリング(25歳)の1623年12月5日の日記にファースト・フォリオ2冊を2ポンドで買ったという記述があるという。 同じくメイヤー教授によれば、ファースト・フォリオが出版された1623年より以前、1600年前期、ロンドンの人口は200,000人。シェイクスピアの刊本は約50,000部売れていたそうだ。驚くべき売れ行きと言ってもよいだろう。 【参考】240ペンス(現行100ペンス) = 20シリング = 1ポンド ちなみに1623年、日本では徳川家光が3代将軍に就いた。