人民のための人民による人民の政治から150年
エイブラハム・リンカーンが南北戦争後期、1863年9月19日、激戦地だったゲティズバーグの戦没者追悼式において、のちに世界で最も有名になる演説をおこなってからちょうど150年。同地では盛大な記念式典が開催されたようだ。 ちなみに1863年という年は、日本では幕末、長州藩が米仏蘭艦隊を砲撃、英艦隊が鹿児島を砲撃、天誅組挙兵、三条実美ら七卿の長州落ち、平野国臣らが生野において挙兵。翌1864年には池田屋事件が、そして蛤御門の変、第一次長州征伐、英米仏蘭連合艦隊による下関砲撃と、怒濤のように時勢は移り行き、まさに「八重の桜」の初めの物語に重なる。 リンカーンのゲティズバーグ演説のオリジナルは、現在、ホワイトハウスのリンカーン・ルームに掲げられているが、ワシントンのリンカーン・メモリアルの壁に刻まれてもいるので、日本人観光客にもなじみのものだ。 原文を掲示してみる。Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.Abraham Lincoln
November 19, 1863 最後のところに「人民のための、人民による、人民の政治」という文言が登場する。 この演説草稿、じつは一枚の紙の表と裏とに書かれたため、プリントするうえで都合が悪く、大統領に書き直しが要求された。大統領はそれに応じて書き直し、署名し、日付をいれた。 さらに、大統領はたびたびコピーを求められて書き与えている。現在、上記のものを含めて5点存在する。それぞれ、「ブリス・コピー」「ニコレイ・コピー」「ヘイ・コピー」「エヴェレット・コピー」「バンクロフト・コピー」と称されている。ただしリンカーン大統領自筆の署名と日付があるのは、ただ1点、「ブリス・コピー」だけ。それがホワイトハウスに掲げられているのである。 ところで、先日16日の毎日新聞がニューヨークから草野和彦氏の記事として、ちょっと驚きの「事件」を伝えていた。 「ペンシルベニア州の地元紙パトリオット・ニューズ(電子版)は14日、第16代大統領リンカーンのゲティズバーグ演説を「ばかげた発言」と批判した当時の社説を撤回するとの記事を掲載した。」というのだ。 南北戦争当時、パトリオット・ニューズ紙の前身である新聞は民主党系で、共和党のリンカーンとは真っ向から対立してい、リンカーンのゲティズバーグ演説を「ばかげた発言」と攻撃した。そのことを、150年後の今、謝罪する、というのである。演説の「画期的な重要性、時代を超越した力強さ、普遍的な意義を認識できなかった」と。 150年経ってようやく理解したわけではないにしろ、たしかに歴史的な認識が、人間的な成長の証としての「真実」を見いだすまでに長い時間を必要とする場合がある。 我身になぞらえれば、いま日本は、戦後70年になんなんとして、いまだに自己肥大化した独善的な歴史認識から脱却できないばかりか、かえって古めかしい、国民の日常生活と精神とを束縛し、自由で明るく生き生きした社会から疑心暗鬼の惨めで残酷が支配する社会に改悪しようとしている。 パトリオット・ニューズ紙の150年後の反省と謝罪を、誰も「自虐的」などと言う者はいまい。【関連報道】毎日新聞 リンカーン演説:米紙が150年目の謝罪 2013年11月16日 20時45分(最終更新 11月17日 00時03分)